ノート:屋島/過去ログ1
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公共交通機関のみで屋島を訪れることは不可能となってしまった
琴電、ことでんバス、JRを使って最寄り駅まで行き、そこから徒歩で行くのは入らないんでしょうか?そもそも潟元、琴電屋島両駅は相引川を越えていますが。--kwakkun 2006年5月25日 (木) 14:02 (UTC)
- 活動履歴がこの記述追記のみのようですし、このままより修正したほうがいいと感じ、手をいれてみました。--toto-tarou 2006年7月22日 (土) 20:21 (UTC)
よりよい屋島を目指して
--屋嶋の仙人(会話) 2014年7月4日 (金) 05:34 (UTC)
1.貴殿が改定されるまでは、「独自研究が含まれる」との注意はありませんでした。 記念切手は、独自研究と拝察致します。 2.タヌキさんの名称は、「屋島寺さんの説明板」の標記に従って記述しています。 県・市の観光パンフレット他��おいても「太三郎狸」と説明されています。 「禿狸」は独自研究と拝察いたします。 3.種々のご教示・ご助言を頂戴し、ありがとうございました。
今年は、瀬戸内海国立公園指定80周年という節目の年に当たります。 昨年末に「屋島-Wikipedia」を拝見し、「この内容ではダメダ」と思い、改定に至った次第です。 改定に携わった私共は素人ではありますが、屋島の活性化に取り組んでいるボランティアグループ(10年以上にわたる活動暦)とも連携を図り、年明けから改定に取り組みました。 国・県・市等の関係機関のご指導も仰ぎながら記念日前の2月中旬に貴殿が改定される以前の状況に至ることができました。 今後、適切なご指導・ご助言を頂きながら数段良い内容にしていくことができればと考えています。 未熟な点が多々あるとは思いますが、よろしくご指導を賜りたく存じます。 なお、観光項目の記述内容は、山上~山中~山下の順番に構成しております。 ご理解を賜りたいと存じます。
- 詳しい編集理由につきご説明をいただき、ありがとうございます。さて、「屋島の禿狸」を独自研究であるとのご意見ですが、もしそれが信頼できる典拠に基づくものであれば、その論拠を元に屋島の禿狸のノートで議論を提起されてはいかがでしょうか。現在のところ、該当記事を独自研究だとする参加者はほかにおらず、また複数の文献が出典として明示された上でこの記事名が付けられておりますから、「屋島の禿狸」という名称には相応の根拠がある、というのがウィキペディアのコミュニティにおける見解だと思われます。また、屋嶋の仙人さんが「独自研究」とおっしゃる内容が名称の話だというならば(かつその名称が不当なのであれば)たとえば太三郎狸という表記を使用する方法もございます。ウィキペディアにおいては関連する内容をリンクさせて読者の利便を図ることが望ましいので、ご理解をお願いいたします。
- また、記念切手の画像が「独自研究」とはどういう意味でしょうか。屋島を描いていることは絵柄からは明白であり、国立公園に指定されたという内容を補足する以上の意味はないのですが。たとえばこの切手に描かれた図柄の場所が明確ではなく、複数のモデルが主張されている状況で、私が勝手に「これは屋島だ」と出典もなく追加したのであれば「独自研究」ですが、この図柄が屋島を描いたものであることは広く認められおり、私が独自の見解を追加したというものではありません。そのあたりのお考えをもう少し詳しくお聞かせ願えないでしょうか。--Unamu(会話) 2014年7月10日 (木) 13:51 (UTC)
・・追記・・ 2015年1月の下旬から瀬戸内海国立公園指定81年記念日に対応し、画像補強を主にした見直し活動を展開しています。差し替え(削除)しました画像に感謝しつつ、作業を進めています。ご理解を賜りたく。我々グループ(以下YKGと略称)は、2014年6月12日からのUnamuさんの投稿に関し、上記に記述の日から交信を始めました。YKGは上記のとおり、主ページの見直しの取組みで、アップアップの状況でした。貴殿の対応にエネルギーを取られ、投稿の中止を検討せざるを得ない状況に至りました。しかし、70才を越える人間が、国・県・市を訪れ、「文面の改訂後は、画像の見直しも致します。・・・」と、挨拶して教えを乞っていますので、いかがなももか?となりました。ノートパソコンに触れたことのない下名がインプット作業を応援し、とりあえず継続することになりました。次の目次の「夕夜景と校歌に関して」の、ご挨拶:・・・のとおりです。貴殿の対応に、主ページ見直しエネルギーの、3倍強のエネルギーを使用している状況です。見直し完了目標の2月末は不可能な状況に至りました。本ノートもA4×9ページになります。ご理解を賜りたく。・・・同日の下記に続く。 ・・追記・・ 書き忘れた事がありました。屋島活生化活動に取り組む中で「ウィキペディアの屋嶋城・屋島」は、なぜ取り残されているのか疑問に思いました。下名の問い掛けに対し、「自由参加の型はあるが、参加できる環境に成っていない」との事でした。香川県及び高松市の国立公園・文化財・観光関係を司る方々の共通した返答でした。この様な状況では「待っていても良くなる事は無い」と思い、能力不足を知りつつも、見直しに取り組みました。「屋嶋城と屋島」以外に活動を拡大する気持ちはありません。KGYは自由人が限定目標に参集したグループであり、何の縛りもありません。ご参考まで。--やしまのお城(会話) 2015年2月26日 (木)05:00 (UTC)
・・追記・・ 本件に関連した記述は以下の通りです。①太三郎狸の解説に関して、・・追記、2月24日。②クリーン大会①に関して、2月27日。③クリーン大会②に関して、3月3日。④屋島神社等に関して、・・追記、3月5日。・・・ご参考まで。--やしまのお城(会話) 2015年3月6日 (金) 01:20 (UTC)
・・追記・・ YKGの投稿に関した基本スタンスを説明します。①文献でも結論が出せない折は、グループ外の国、県、市の専門職員の方々他、学術者レベルの方のご指導を得る。②・・・誤りは無いか? ・・・説明責任を負えるか? ・・・自信の持てない事は投稿しない。③投稿文・画像他、総ての投稿内容は、各々の投稿者に100%責任がある。④グループ内の評価に止めず、一般読者及び学術者の評価と助言を反映する。⑤「屋島」の項目のレベル向上とウィキペディアの発展を願って活動する。⑥「屋島」の完成度は、「屋嶋城」と同レベルの、自己評価60点(最低合格ライン)を目標とする。以上 --やしまのお城(会話) 2015年3月12日 (木) 04:40 (UTC)
- 貴殿のノートページにも質問しましたが、「YKG」なるグループの複数メンバーで「やしまのお城」というアカウントを共有し、複数人でこのアカウントから編集しているということはありませんか?その場合はアカウント名の使用ルールに違反していることになります。また、別のところにも書いたように、ご自身の独自の指標ではなく、Wikipedia:秀逸な記事やWikipedia:良質な記事、Wikipedia:素晴らしい記事を書くにはなどを参考にして記事の水準向上を図って下さい。あと、丸囲み数字は「機種依存文字」といいまして、ウィキペディアを閲覧する��境によっては正常に表示されませんので、使用はお控え下さい。--Unamu(会話) 2015年3月12日 (木) 13:36 (UTC)
・・追記・・ 上記の質問に対する回答。3月12日の追記の「③投稿文・画像他、総ての投稿内容は、各々の投稿者に100%責任がある。」の通り。「YKG」なるグループは、複数メンバーで「やしまのお城」というアカウントを共有し、複数人でこのアカウントから編集していないと断言できる。「やしまのお城」は一人です。念のため。誠に失礼な質問だ。・・・お元気で。さようなら。--やしまのお城(会話) 2015年3月14日 (土) 03:15 (UTC)
- アカウントの件は失礼いたしました。ですが、それならば、この場で編集に関わっていないグループのメンバーに対する私的な会話をこのノートページに記すことはおやめください。それはノートの目的外使用に当たります。投稿内容に責任を持たれるのは結構です。ただし、ウィキペディアにおいては再三申し上げておりますが、第三者により信頼できる文献で検証ができることが求められます。ウィキペディアの重要な特徴は、自由な参加者による共同作業ということです。他者の編集を「妨害」とおっしゃる前に、まずこの場でも相手の会話ページでもいいですから、対話をして合意点を探る努力をしてください(明らかな悪戯や悪意を持った編集でない限りは、相手にもその編集をした相応の理由があるはずです)。それが耐えられないのなら、あなたの望む屋島の案内を、このウィキペディアではなくほかの場所(つまりあなたの意見がそのまま通せる場所。個人のウェブサイトでも何でもいいですが)で作成することを(まじめに)おすすめいたします。--Unamu(会話) 2015年3月15日 (日) 03:08 (UTC)
・・追記・・ 多くのご指導いただいた方々、及び、やしまの仙人様他の名誉のために記述します。上記の事柄に関した、私見は以下の通りです。 1)「私的な会話をこのノートページに記すことはおやめください。それはノートの目的外使用に当たります。」に対しての回答。・・・投稿者に対する、支援要請・協力要望と、その内容であり、私的な会話は見あたらない。 2)「他者の編集を「妨害」とおっしゃる前に、まずこの場でも相手の会話ページでもいいですから、対話をして合意点を探る努力をしてください」に対しての回答。・・・Unamuさんの予告のない一方的な改訂に対する説明が、本ノートの目次の内容であり、二項目以外は貴殿一人のための交信だ。貴殿の記述内容は、主ページに関した事柄は少なく、ノートに記述した説明文と内容に関した事柄が多い。初心者の下名が、貴殿より数倍努力していると思われる。 3)「それが耐えられないのなら、あなたの望む屋島の案内を、このウィキペディアではなくほかの場所(つまりあなたの意見がそのまま通せる場所。個人のウェブサイトでも何でもいいですが)で作成することを(まじめに)おすすめいたします。」に対しての回答。・・・下名の「屋島ーWikipedia」への投稿を、排除したい様子の文章だ。「個人のウェブサイトでも・・・」との言葉は以前も目にした。「屋島ーWikipedia」の主ページに、客観性に欠け、自己主張の強い文章は、見あたらない。もし、あれば貴殿が手を加えた文章と思われる。以上。ご参考まで。お元気でサヨウナラ。--やしまのお城(会話) 2015年3月19日 (木) 05:28 (UTC)
- ご理解いただけないようで大変残念です。貴殿とは会話が成立していないと申し上げるほかにありません。これ以上返答はいたしませんが、Wikipediaの方針に合致しない編集に対しては粛々と対応いたします。--Unamu(会話) 2015年3月19日 (木) 13:53 (UTC)
地形についての記述
地形の段落において、『花崗岩の基盤の上に乗った輝石安山岩からなる溶岩台地である。』旨の記述がありますが、他方で説明文中のリンク溶岩台地の記事では、『屋島は第三紀に低地に流下した安山岩質の溶岩流が隆起し侵食され強固な溶岩が残ったもので溶岩台地ではない。このような地形はメサという。』とあります。分類において相互に異なった見解になっている様に読み取れますが、門外漢なのでどちらが正しい内容なのか分かりません。専門的な知識をお持ちの方の手で、適切な記述に補足または訂正していただけると助かるのですが。--名無しの門外漢
・・追記・・ Troisrivさんへ。地形のサヌカイトに関して「・・・、頂部は安山岩(サヌカイト)である。」と改訂されていますが、この様な説明に初めて出あいました。多くの屋島関係の書���に目を通しており、疑問の気持ちを拭えません。今一度、精査いただき、修正することを含め、ご検討ください。--やしまのお城(会話)2014年11月17日
・・追記・・ 主ページの特徴の「溶岩台地」の文言を?に思う気持ちを払しょくできません。主ノートの参考文献、『屋島風土記(2010年)』には、「・・・みごとな卓子状の山容で、それは、わが国における典型的な溶岩台地である。」との記述がある。しかし、以前に主ノートの脚注に列記していた、『里山に遊ぶ(2003年)』には、「・・・九州大学の小沢儀明博士によって、水中堆積層とみられる「屋島礫層」が発見され、以後、火山説は一変。・・・「メサ型」の地形として扱われるようになり、赤い三角印は黒の三角印へと変わった。」との記述がある。また、主ノートの参考文献、『屋島ーシンボリックな大地に刻まれた歴史ー(2014年)』には、「・・・メサとは、水平な硬岩層が浸食に抵抗して生じた平坦な頂面と、周縁の急な崖とをもつ台地の地形、あるいは水平な硬岩層におおわれ、周囲の一部を急崖で囲まれたテーブル状の高地と定義されており、メサを溶岩台地と呼ぶのは適切ではない。」との記述がある。本文章は、高松市・香川大学天然記念物屋島調査団2014『天然記念物屋島調査報告書』から転載された一部であり、本文章の執筆は、長谷川修一教授である。ご参考まで。今一度、改訂することを含めて精査いただきたく。・・・尚、関連事項で、Asturio Cantabrioさんより「冒頭部の『屋島は山』は、・・・『屋島は台地』という定義に修正することを検討してもよいのではないかと思われました。」との、丁重な提案を頂きました。下名の取り纏め能力を超える事柄(種々のご指導、厚くお礼申しあげます)です。ご理解を賜りたく。--やしまのお城(会話) 2015年3月18日 (水) 04:01 (UTC)
・・追記・・ Troisrivさんへ。貴殿の地形の項の改訂に思いました。1)西行法師の歌碑(西行は屋島に来ていない。文献もない。)は、学術的には?とされています。2)血ノ池の赤色の正体には?。「植物説」もあります。3)板状節理の畳石は、文化財の説明と重複しますので、不要に思われます。4)専門書のような内容は、内部リンクのメサ項目への記述が良いのではと思われます。5)文章の量は、屋島ーWikipedia全体とのバランスにも配慮ください。今一度、精査いただき、修正することを含め、ご検討ください。--やしまのお城(会話) 2015年3月28日 (土) 02:38 (UTC)
・・追記・・ Troisrivさんへ。屋島は日本を代表するメサですので、本「屋島ーWikipedia」で詳述したい気持ちは理解できます。しかし、「日本語のWikipedia」ですので、専門書のような内容は、「メサーWikipedia」に記述していただきたい。歴史に興味のある人は1割未満、地学に興味のある人は一段と少ないと思われます。興味のある人は、内部リンクされた「メサーWikipedia」に目を通されると確信します。「屋島ーWikipedia」が包含する事柄のバランスを考え、今一度、精査いただき、修正することを含め、ご検討ください。--やしまのお城(会話) 2015年4月1日 (水) 02:06 (UTC)
・・追記・・ 荒俣氏の発言が削除された?「屋島は日本を代表するメサ」であると、これほど「明快に表現された文言」に出合ったのは初めてです。また、世界でも通用するとの評価です。天然記念物の屋島の価値を理解できない方が多いことを、誠に残念に思います。近々、差し戻す予定です。ご理解を賜りたく。--やしまのお城(会話) 2015年4月5日 (日) 03:45 (UTC)
・・追記・・ Troisrivさんへ。巻頭の、屋島は「独立丘」の説明に初めて出あいました。一般的に説明されている「独立峰」に差し戻します。社会人の認識は、屋島は「山」です。学術レベルでも問題ないと思われます。--やしまのお城(会話) 2015年4月6日 (月) 03:17 (UTC)
・・追記・・ 地形の項目を改訂しました。ご理解を賜りたく。追伸:「屋島ーWikipedia」の文章には、多くの学術レベルの内容が記述されていますので、お互いに慎重に取り組みましょう。--やしまのお城(会話) 2015年4月9日 (木) 02:46 (UTC)
特徴の天然記念物に関して
天然記念物の指定理由の板状節理と、屋島が有する特徴の屋島礫層・屋島凝灰岩(雪の庭)を列記されていますが、両者が指定理由に含まれる様に読み取れます。疑問の気持ちを拭えません。今一度、精査いただき、修正することを含め、ご検討ください。 --やしまのお城(会話)2014年11月17日(月)(UTC)
- 高松市ウェブサイトという出典リンクを明示しております。それ以外に出典をお持ちならここでそれをお示しください。私はあくまで高松市のウェブサイトの記載(「屋島の天然記念物としての主要な構成要素は、メサ地形、畳石、屋島礫層、屋島凝灰岩(雪の庭)である。」)に基づいて記述したまでですので、疑問がおありならウェブサイトの担当部署として明示されている高松市文化財課までご自身でお問い合わせください。何度も申し上げますが、「他の利用者が検証可能な、信頼ある第三者の出典に基づいて記載する」のがウィキペディアです。あと、あなたの会話ページでご注意した「署名」機能をいまだお使いいただいていないようですね。本来の会話ページではないページにリンクされてしまいますので、(このページの編集の時に画面上に出るやり方に従って)署名をご記入ください。ご自身で署名を「自作」しないでください。--Unamu(会話) 2014年11月17日 (月) 15:24 (UTC)
山容の画像に関して
「香川県の山の説明」が主題ですので「山容画像の補強」を計画しています。東西南北からの遠望と、近景を代表する画像を予定しています。ついては、現在の西面の「シンボルタワーとサンポートの埠頭」の画像が類似であることと、県外の来訪者が訪れ易くすることに気遣いし、表題写真に「サンポートの埠頭」を採用し、他方を削除したいと思います。・・・精査ください。尚、ノートで議論なき場合は10月末日の後、改訂させていただきます。・・・10月14日、追記。・・・山容の画像は「地形」の下部に「ギャラリーとしてセット」したいと思います。①左端に、北東の海上から遠望した『航空母艦状の山容』。②次に、長崎の鼻の先端から『遊鶴亭を見上げた山容』、散策者または登山者が見上げている様子で一の浜も入れた画像が良いと思われます。③中央に、庵治町から『屋島湾に浮かぶ卓上型の山容』。④次に、髙松町から遠望した『切妻屋根状の山容』。⑤右端に、赤牛崎から見上げた『冠状の山容』を計画しています。尚、新談古嶺からの古戦場の画像は、現地の状況を考慮し、先々で「談古嶺」からの画像に差し替えたいと思っています。・・・精査ください。--やしまのお城(会話)2014年10月10日
・・追記・・ 2015年1月の下旬から瀬戸内海国立公園指定81年記念日に対応した、画像補強を主にした見直し活動を展開しています。差し替え(削除)しました画像に感謝しつつ、作業を進めています。ギャラリーを新設しました。ご理解を賜りたく。 ①ギャラリーのトップに、地形の項の「北方海上から屋島を望む」を移動したいと思います。「メサと島」の両者を1画像で表現しているためです。尚、先々で少し東側から撮影した、メサ形状が鮮明なものに改善できればと思います。②地形の項の「サンポート髙松の埠頭より」は、表題写真と同様の山容であり、少し鮮明さが欠けているため、削除を検討しましたが、他に内部リンク(主ページで判別できない使用に?)されていることが判明しました。トラブルの可能性がありますので、当面このままとします。将来は前記①の改訂画像が良いのではと思われます。ノートへの記述が遅れ、お詫びいたします。精査ください。--やしまのお城(会話) 2015年3月2日 (月) 06:37 (UTC)
- 地形の目次の「サンポート髙松の埠頭より」の画像は、Toto-tarouさんの快諾をえて、7月下旬に削除いたしました。--やしまのお城(会話) 2015年8月18日 (火) 14:22 (UTC)
- 前投稿者に連絡し、四点が新着画像に替わりました。1)6/29、南端山麓(赤牛崎)より。2)8/18、北方海上から屋島を望む。3)8/26、サンポート髙松のシンボルターワーより。4)8/26、南方(谷池)より。--やしまのお城(会話) 2015年9月2日 (水) 20:01 (UTC)
三大展望所の画像に関して
上記の画像情報を強化したいと思います。ご支援の程、よろしくお願い申し上げます。試案は以下の通りです。 横並びのギャラリーとし、左��より①~⑤の画像を、観光項目の「日本三名狸・・・と、屋島ドライブウェイ・・・の文章の間」にセットしたいと思います。 ①獅子霊巌の石碑の周辺から多島海を眺めた昼間の画像(現在は無い)。 ②同左からの夜景の画像(現状は鮮明度が不足)。 ③談古嶺の石碑の周辺から古戦場を眺めた昼間の画像(現状の画像は場所が異なる)。 ④同左からの北北東の多島海・屋島湾・庵治半島を眺めた昼間の画像(現在は無い)。 ⑤遊鶴亭から多島海を眺めたの昼間の画像(現在は無い)。尚、現状と差がなければ、2~3年前の画像で良いと思われます。作成の程、重ねてお願い申し上げます。精査ください。--やしまのお城(会話)2014年11月2日
・・追記・・ 2014年11月2日に提案しました、①③④⑤は観光の項目の横にセットしました。差し替え(削除)しました画像に感謝しつつ、作業を進めました。観光の項目の「夕夜景の展望景観は、・・・」の脚注の外部リンクで、夕夜景の画像が見えるように改変されましたので、②はとりあえず削除しました。尚、新設されたギャラリーに新画像を挿入したいと思っています。ギャラリーが新設された為、本目次の名称を変更しました。連絡が遅れ、お詫びいたします。ご理解を賜りたく。精査ください。--やしまのお城(会話) 2015年3月2日 (月) 23:53 (UTC)
その他の画像に関して
ギャラリーが新設されましたので本項目を設けました。「山容と三大展望所の画像に関する詳述」は、各々に「追記」していただければ有難いです。画像の設定場所には関係ありません。1)観光の項目の横のトップに、新たに「屋島寺と祭事風景」をセットしました。2)同上の横の「・・・冠ケ嶽を望む」は、ギャラリーに移し、画像も差し替えました。3)ギャラリーの空間を埋めるため、とりあえず7枚の画像をセットしました。直近で①山上からの夜景・②瀬戸大橋の遠望・③明石大橋の遠望を予定しています。先々に④北嶺の風景に遊歩道の状況が写された画像を組み込みたいと思っています。 画像設定は、撮影の季節や日時他、種々の事情があります。いずれにしろ、まだ1年ほどを要する作業になりそうです。尚、画像情報は強力ですが、先々では総てを厳選し、「主ページ増は最小限に努めます」ので、ご理解を賜りたく。精査ください。--やしまのお城(会話) 2015年3月3日 (火) 04:00 (UTC)
- ギャラ―リーの「南嶺山頂の三角点」の画像削除の要望に対して、快諾いただき6月下旬に、dokudamiが削除くださいました。--やしまのお城(会話) 2015年8月18日 (火) 14:22 (UTC)
夕夜景と校歌に関して
本文言の削除が理解できません。高松市民(屋島が国立公園・史跡・天然記念物であることを知らない方等を除外)には、公認された事柄と判断いたします。本事典の本文言のために「脚注の二行のスペースを、もったいない」と思いますが、復活させるために追記しました。ご理解を賜りたく。 ご挨拶:ノ―トの作成に3時間ほど要し、疲れました。 今後共も、よろしくお願い申しあげます。--やしまのお城 (会話) 2014年9月8日(月)
扇の的に関して
この事柄は「屋島の特ダネ」だと思います。屋島愛好者の私は、音楽界とは無接点です。しかし、削除に賛同できません。5月20日の四国新聞の「鳴りやまない拍手が観客の素直な評価と捉えてよさそうだ。・・・作品が古里を出て、県外や海外で上演される日が来てほしいものだ。矢は髙松から放たれた」。観客の一人で、記者と同感です。古から名高い「扇の的の物語の根源の地は屋島」では? 精査した地元ニュースが反映できるのは本事典の強みでは? 出典を追記し、復活させました。1年後に見直していただければ幸いです。ご理解を賜りたく。・・・「香川県の山の説明」。しかし、このお山、高くはないが、高さの数倍~数十倍の奥深い自然と文化(歴史)景観が有る様子。観光事業の関係も無視できない。3頁ほどに纏めることは容易でない。しかし、屋島を俯瞰し、内部リンク・外部リンクを活用すれば、出来るかも? ・・・・・!! Wikipedia-屋島、素晴らしい。維持活動も大変だろう。まだ未完成と拝察いたします。 末尾ながら「屋島」を作成された諸先輩に敬意を表します。 Wikipedia-屋島と皆様のご発展を祈念いたします。--やしまのお城(会話) 2014年9月12日(金)
屋島神社等に関して
・・・「香川県の山の説明」。しかし、多くの検索者は観光目的の方々と思われる。(要出典) ならば、山麓のこの件は説明に加えて悪くはない。・・・山の一部でもある。 屋島観光は屋島寺を中心とした南嶺山上と山麓の四国村周辺との二大ゾーンが存在する。(要出典)そして、山麓のこの二件は、詳細説明が出来ない大事項。・・・以前は独立した文章になっていた。・・・私は以前の形が良いと思います。・・・ご検討ください。尚、誠に勝手ながら、賛同いただける様でしたら改訂もお願い致したく。 <追伸> 「Wikipedia-屋島神社」・・・どなたか作成ねがいたく。よろしくお願い申しあげます。--やしまのお城(会話) 2014年9月15日(月)
・・追記・・ YKGが改訂する前は、①観光項目のトップの文章中に、「南嶺南側の中腹には屋島神社もある。」・・・と記述されていた。②観光項目の下段に独立して、「登山口奥には、四国村(四国民家博物館)がある。」と記述されていた。「登山口奥」に?、理解しにくい表現である。・・・前記を拝読し、屋島神社は四国村に隣接しているため、屋島神社を抜き取り一体の文章にしました。「登山口奥」を「ドライブウェイの料金所の山側」に改めた。そして、屋島神社だけでは記述した意味合いが伝わらないため、祭神と旧名称の(讃岐東照宮)を追記し、必要最小限の文章に止め、改めました。 国土地理院の1/25000の地図には、屋島神社に社寺マーク、四国村には「文字」に加えて博物館・美術館マークが記載されている。両者は各々「格の高い」事項です。他の文章に付属させる事柄ではないと思われる。「わら家」を含めたこの場所は、遠来の方々には、評価の高い一体の空間です。精査ください。--やしまのお城(会話) 2015年3月5日 (木) 04:43 (UTC)
屋島ケーブルに関して
2004年10月に休止となりました。翌年のNHK「義経」放映の春には、昭文社の高松市都市地図で「休止中」との改訂版が発行されました。同年、2005年7月の国土地理院発行の1/25000地図には、屋島ケーブルの表示は削除され、ありません。2013年11月頃のWikipedia-屋島には、本件が詳述されていました。屋島の特ダネ扱いの二ユースと思いますが、5年ほどで役割を終えていると判断。2014年1月頃の見直しの時、①Wikipediaは全国が対称であること。②屋島を検索される方々の多くは本件が目的と思われないこと。③文字にしにくいことですが、地元民の不始末(全国にPRすることか?)であること。・・・等の小数派の意見を反映することになりました。思いでの深い屋島ケーブルですが、公式の地図を基準に大改訂を行い、説明しません(十年一昔)でした。このたびの復活に既に手を加えましたが、ご理解を賜りたく。・・・精査ください。 <追伸>山下のケーブル駅社屋は、この夏に撤去され、跡地の使用方法も決まっているとのことです。尚、車両は残されていますが、使途はしりません。--やしまのお城(会話) 2014年9月15日 (月)
活性化に関して
2013年11月頃、「観光」項目の次に「活性化の動き」項目があり、拝読して・・・!でした。廃屋問題の詳細は知っていますが、本件は知りませんでした。・・・日本の廃屋三大名所と仄聞していることとも、関係がありそうだと思いました。そして、この時すでに南嶺山上の五ケ所の建物は撤去されていました。・・・断腸の思いでしたが、極一部を除いて記載内容に誤りは無いと思います。しかし、本Wikipediaに詳述する事柄?と疑問に思いました。①高松市・香川県の地域内のことであり詳述は不要。②したがって、活性化の項目も不要。③記載レベルの精査(本事典に新聞記事をリンクさせる事に?)を要す。④たびたびの改訂が必要であり、その他の項目の末尾とする。・・・等の思いがありました。そのため、大改訂を行いました。本件6月に改定されていますが、精査ください。尚、日本人にとっては馴染みの深い地名であり、の書き出しには感動していました。高松市及び香川県がどこにあるか知らない人も多いです。また、廃屋の件は全国区の視点では・・・以前も現在も「特ダネのニュース」扱いに? [屋島の検索で知りたい事柄ですかね。--屋島のお城(会話)2014年9月16日(火)
髙松市民の心を忘れないで欲しい
市街地に高層建物ができる前は、人々は日々屋島を望んでいたと思われる。意識していない様で日々意識しているお山。日々の生活と共にあるお山と言い換える(静岡県・山梨県の方々と富士のお山、弘前市の方々と岩木山の関係と同様)こともできます。「高松市役所の入口の市民ホールの正面の壁画と、市議会の議場の正面のどん帳」に、屋島が描かれています。また、市内の多くの小・中・高の校歌の歌詞にも採用されています。直近のことでは、屋島活性化基本構想に記述された「世界に誇れる高松市のシンボルとなる屋島として再生すること・・・」が市民の総意であり、これ等の事柄の中に「市民の心が秘められている」と思われます。Wikipedia「屋島」で、髙松市民と香川県民の心(素晴らしいと全国の人々に認めていただける事柄)を反映させることは、誠に大切なことと思います。 ・・・・・「香川県の山の説明」。・・・国立公園(自然公園)と天然記念物の屋島が、説明の基本になると思われます。他の百科事典と同様に、事典の独立項目として、屋嶋城・源平の屋島合戦・屋島寺は必要と思われますが、既に内部リンクされていますので、必要最低限度の説明で良いと思われます。2013年11月頃と2014年6月頃を比較しましたが、・・・!!!です。屋嶋の仙人様、お世辞ぬきで「事典」らしい、いい内容(旧版は新聞か週刊誌的色彩がある)にされたと感心しています。--やしまのお城(会話) 2014年9月21日(日)
やしま第一健康ランドに関して
2014年1月、屋島活性化ボランティアグループが連携(以下、YKGと略称する)して活動開始。改訂前の記述は『屋島西町に、健康ランドの老舗やしま第一健康ランドがある。』でした。・・・��業のPR? かと思う。・・・全国の視点では ?と思った。・・・地元の視点でも、 ?と思う。・・・自社で配信されている。・・・諸先輩が書いたものは書きかえても、できるだけ削除しない方針。そのため、『近年は登山客にも利用されている』と追記しました。6月に以前のように改訂されていますが、此のままではまずいとYKGは思います。精査して対応ください。--やしまのお城(会話)2014年9月22日 <9月24日、追記> ・・・うどんのわら屋? ・・・骨付き鳥の一鶴? 此のままではまずいと思われます。種々検討しましたが削除が良いと判断するに至りました。ノートで議論なき場合は9月末に削除さしていただきます。 <9月30日、追記>「うどんのわら屋・骨付き鳥の一鶴」を追記しました。精査ください。
・・追記・・ 本件は百科事典ですので、削除するのが良いと思いました。しかし、改訂合戦になると予想されましたので、思いとは異なる改訂文章を投稿しました。その後は、投稿が無く現在に至っていますが、?の気持ちはぬぐえません。ご参考まで。--やしまのお城(会話) 2015年3月20日 (金) 00:15 (UTC)
ドライブウェイに関して
2014年1月、YKGの改訂前の記述の『屋島ミステリー坂」や「おばけ坂」「幽霊坂」』は、事業者の表示板に従って『ミステリーゾーン』に変更しました。削除された文言は新聞や雑誌で紹介されていますが、このたびの削除に賛同いたします。尚、ドライブウェイの表記は諸先輩のとおりです。『トンネル部分のヘアピンカーブの自動車の運転は注意を要する』は、たびたび事故を見ていますので追記しました。このたび<要出典>との指示で精査し、削除が最適と判断しましたので、削除します。尚、追記されました、脚注の[6]は『複数の問題点があります』の、独自研究に該当すると思われます。YKGが取組みました「屋嶋城」では、大学教授他、多くの学術論考がありますが、一切(発見者は除外)採用していません。削除を要望いたします。精査ください。--やしまのお城(会話)2014年9月22日
・・追記・・ノートで議論なき場合は9月末に削除させていただきます。・・9月24日。 ・・追記・・削除しました。尚、事業者の表示板は「ミステリーゾン上ってる? 下ってる? 」の表示です。1961年春に供用開始の事業者ですので、脚注は不要と判断しました。水筒の水を流せば容易に検証できます。ご理解を賜りたく。・・9月30日・・。
・・追記・・屋島ドライブウェイは片側一車線の自動車専用道路です。この場所で停車・下車し、坂の様子を楽しむ若者に出会う。複数の車列の時は最悪で、停車か反対車線の追い越しの選択を迫られる。この様な状況に時々出合うため、高い頻度で発生している事柄と推察できる。ご参考まで。--やしまのお城(会話) 2015年3月7日 (土) 01:56 (UTC)
・・追記・・本件も、差し替え合戦の様相の一つだ。①・・・上がっている『勾配』は、一般的な「ゆうれい坂・のぼり坂・不思議な坂」の『坂』が良いと思われる。②・・・『縦断勾配視覚を参照』は、専門用語であり、屋島ーWikipediaでは不要文だ。内部リンクの「ゆうれい坂」を読まれる方々だけで十分だ。③・・・脚注で表示されている、『個人名称・大学名称』は、屋島ーWikipediaでは不適切文だ。リンク先の「ゆうれい坂」の記述内で十分だ。この事は、検証のための出典との理由でもだめだ。「屋島ーWikipedia」が「個人の宣伝に利用されている」と誤解される状況と言っても過言ではない。<追記、Unamu氏とは、空回りの議論になることが多い。この①~③を盛りこんで、落としどころと致したく。あたりまの事ですが、投稿者(要所では、第三者の意見・判断を聴取した精査を要す。また、事柄によっては、現地確認を要す。)として、投稿文に対して100%の責任を負っているつもりです。貴殿が改訂することを含め、精査ください。 --やしまのお城(会話) 2015年3月8日 (日) 03:30 (UTC) ・・追記・・--やしまのお城(会話) 2015年3月9日 (月) 00:53 (UTC)
屋島ドライブウェイの錯視の記述について
「記されました、脚注の[6]は『複数の問題点があります』の、独自研究に該当すると思われます。」といった記述をされていますが、まずウィキペディアで言う独自研究とは、Wikipedia:独自研究は載せないにあるように、「編集者の個人的観点や政治的意見、また発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなこと」を含んだ、信頼性のある、発表済の情報を伴わない記述のことを指します。出典そのものに対する評価ではありません。まずその点をご理解下さい。その上で申し上げますと、この出典は、錯視現象を専門に扱う研究者が、学術的な見地から「錯視」の実例として屋島ドライブウェイの坂道を解説したウェブサイトであり、「信頼できる」「第三者による」出典として問題ないと思われるものです。--Unamu(会話) 2014年11月6日 (木) 13:16 (UTC)
・・追記・・ 本件の関連記事が「ドライブウェイに関して」の項に記述しています。尚、『(ゆうれい坂)』は、内部リンクを求めるUnamu氏のために、残さざるを得ないと判断しました。--やしまのお城(会話) 2015年3月19日 (木) 22:03 (UTC)
屋島の禿狸に関して
事典? 新聞? 週刊誌? ガイドブック? ・・一般書・専門書・研究誌・学会誌。 6月の改訂には問題があると思いました。・・・? 事典として全国の人々に容認していただけるように「屋島の禿狸(内部リンク機能を残す)」部分の文言配列を組み替えてみました。--やしまのお城(会話)2014年9月23日
- 本件の関連記事が「太三郎狸の解説に関して」の項に記述しています。尚、『(屋島の禿狸)』は、内部リンクを求めるUnamu氏のために、残さざる得ないと判断しました。--やしまのお城(会話) 2015年3月19日 (木) 22:03 (UTC)
- 7月の下旬に、逃亡者さんが『太三郎狸』への改名の処理および関連事項の修正を実施くださいました。誠に有難い事でした。感謝です。--やしまのお城(会話) 2015年8月19日 (水) 03:52 (UTC)
太三郎狸の解説に関して
蓑山大明神の正面に設置された「蓑山大明神之由来 屋島太三郎狸」の説明板には「屋島の禿狸」に類する文言はありません。昔話の書籍・小説などで記述さてた「愛称」です。世間一般の常識に照らし、主客転倒の説明は許されません。今一度、精査いただき、修正することを含め、ご検討ください。尚、本件は、ウィキペディアで「不適切な愛称の屋島の禿狸」を採用したことに、根本の原因があると思われます。主表題を「太三郎狸」副表題を「屋島の禿狸・屋島の太三郎狸」に改訂される様、提言いたします。--やしまのお城(会話) 2015年2月19日 (木) 12:42 (UTC)
- 貴殿の主張に関して、記事名を変更できる根拠となる第三者が確認可能な信頼ある出典を提示できるとお考えなら、ノート:屋島の禿狸にて記事の改名を提案して下さい。ここはその議論をする場所ではありません。なお、屋島の禿狸の記事には出典として下記の文献が列挙されております。それらにも目を通した上で、改名の提案をされることをおすすめいたします。またウィキペディアは「世間一般の常識」ではなく、「第三者が確認可能な信頼ある出典」によって執筆する場所であることをご留意下さい。
- 赤塚盛彦『酒買い狸の誕生 狸・たぬきの雑学』エピック、1995年。全国書誌番号:97029310。
- 後藤捷一「阿波に於ける狸傳説十八則」『民族と歴史』8巻1号(通巻43号)、日本学術普及会、1922年7月、NCID AN00237313。
- 宮崎修二朗・足立巻一『兵庫の伝説』角川書店〈日本の伝説〉、1980年。ISBN 978-4-04-722043-0。
- 村上健司『日本全国妖怪スポット』 2巻、汐文社、2011年。ISBN 978-4-8113-8804-5。
- 宮沢光顕『狸の話』有峰書店、1978年、229頁。 NCID BN06167332。
- --Unamu(会話) 2015年2月19日 (木) 13:58 (UTC)
・・追記・・ YKGの取組みは、3項の「よりよい屋島を目指して」の通りです。国立公園指定80周年記念日前の改訂活動と、この度の、指定81年記念日前の改訂活動に関して、第三者及びご指導を賜った方々より「参考になります・良くなった」と、ねぎらいの言葉をいただいています。ウィキペディアの取り組みは、当初から力量不足と承知しての取組みです。しかし、読者の方々に誤りのない上質の情報の提供に努め、ハイレベルでなくても、合格点はいただける様に頑張っています。この様な状況ですので、屋島の禿狸のノートへの改訂提案の余力はありません。太三郎狸の改訂は、お互いに何度目になりますかねー。お陰様で段々と良くなりました。再精査し、再改定を検討中です。投稿者サイドの精査に止めず、読者の立場でも精査ください。--やしまのお城(会話) 2015年2月24日 (火) 05:59 (UTC)
・・追記・・ 屋島を少し詳しく知る人は、本件に関する出典は不要と判断されると思わる。「参考文献」として記載した「屋島風土記」(巻頭文は、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏の祝辞文・編集顧問は、元香大教授の木原溥幸氏・地域住民の1万円の寄付金に対して1冊配布の限定出版物)にも記載されている。重複するが「脚注」を追記する事にする。下名の文章では「太三郎-Wikipedia」に改訂されなくても不都合が起きないように書いていました。また、「屋島の禿狸」がリンクできるようにも書かいていました。誤った事も書いていなかったと思われます。「屋島風土記」では「屋島寺の禿狸(屋島ではありません)」、文頭は『屋島に多三郎(大三郎)という狸がいた。日本三名狸の一つであった。』と記述されている。尚、太三郎の太は「大」の表記(筆者の記述どうりか?プリントミスか?)である。「腹鼓記」では、「屋島ノ禿狸」と記述されている。「屋島禿狸」は「やしまノはげたぬき」と呼称されているためと思われる。長崎鼻(ながさきノはな)・獅子霊巌(ししノれいがん)等の事例がある。また、「ノ」を「の」に変えて使用されている場合もある。そのため、配布されているパンフレット等と共通性を持たせるために「の」と表記した。日本では、だれでも自由に書いて出版できる。意図して誤りを書き、出版する人もいる。誤り、誤りのない出典はどれだろう?。どの事柄を採用するか?・・・100%投稿者の責任だ。しかし、神様以外は、誤りを起こしてあたりまえ。その後の責任を持っ対処が大切だ。話がそれた。ご免。いろいろ詳述すれば・・・「何の神?」と問われるだろう。問われる前に記述すべしだ。「屋島-Wikipedia」の読者が、屋島を訪れ「説明板と違うなー」では、いかがなものか。精査ください。--やしまのお城(会話) 2015年3月3日 (火) 14:02 (UTC)・・追記・・--やしまのお城(会話) 2015年3月4日 (水) 01:58 (UTC)
活性化の見直しに関して
文言の見直しと、リンクされている廃屋の新聞記事を削除(『削除の部分に出典?・・・下段の「屋島活性化基本構想」に詳述されていますのでYKGは不要と判断します)しました。--やしまのお城(会話) 2014年9月24日
二つ池に関して
今年1月の改訂作業のスタート時から「地元民向けの限定情報」だと気になりながら、今日に至りました。この度,削除いたしますので、ご理解を賜りたく。--やしまのお城(会話)2014年9月24日
文化財および文化財等データベースに関して
脚注に追記されました「内容の確認には検索条件の入力が必要」は、親切だと思います。しかし、文化庁が問題ないと判断されていることですので、削除いたしました。ご理解を賜りたく。--やしまのお城(会話)2014年9月27日
・・追記・・ 上記の脚注に対する思いは現在も変りはありません(本件に関した、Unamuさんの判断が「やしまのお城さんへ」で記述されています)。その後、『(名称に「屋島」を入力)』と、最小の文言に改めて現在に至っています。主ページで、国(指定)の史跡「屋島」及び、天然記念物「屋島」と記述されていれば、名称が「屋島」であることが、だれでも理解できます。また、リンクされた文化財等データベースを利用される方々は、どなたでも使用できると思われます。追記された注意書は、データベース発信者から見れば、侮辱されていると誤解される可能性があります。また、データベースを利用される読者の方々には、読者をバカ扱いにしていると誤解されてもしかたないと思われます。そのため、現在も賛同できません。しかし、Wikipediaのルールでは、許されないとの事であれば、リンクすることを、控えるべきだと判断いたします。このことは、屋島ーWikipediaの品格にかかわる事ですので詳述しました。ご参考まで。追伸:屋島ーWikipediaには、不必要な内部リンクが多いと思うのは下名だけでしょうか?--やしまのお城(会話) 2015年3月20日 (金) 22:39 (UTC)
・・追記・・ 3月5日のUrania氏の「特徴の項の2・3・4節」の改変の感想(このたび削除しました)を、3月15日にノートに記述していました。改訂前は、2節に「国立公園」、3節に「史跡屋島」、4節に「天然記念物屋島」に区分され、簡単・明瞭に記述されていたと思います。しかし、見直される様子がありませんので、貴殿の編集方針に従って改訂しました。チェックください。尚、1)『半島内に』」の文言は、学術的な視点では?に思われますので改訂しました。2)『火山地形(溶岩台地)』は、学術的な視点では?に思われますので改訂しました。3)「『日本書紀』によれば」の文言は、高校で日本史を学べば常識のことですので削除しました。4)追記された脚注は、国指定文化財データベースおよび高松市の文化財情報がリンクされているため、不要と判断しました。5)文言に関しては、全国区の視点と、屋島ーWikipedia(百科事典)の視点でチェックしました。--やしまのお城(会話) 2015年3月26日 (木) 01:38 (UTC) 追伸:国土地理院は「屋島は現在も島」との判断です。--やしまのお城(会話) 2015年3月27日 (金) 12:24 (UTC)
動植物に関して
国立公園ですが「海に面した特異な里山」・・・・・・動植物の追記は省略しました。みさご・姫ボタルは見学会が開催されています。精査ください。--やしまのお城(会話)2014年9月30日
髙松のダイヤモンドヘッドに関して
Wikipedia-屋島の表題写真は「サンポートからの遠望」では? 脚注を追記して復活しました。ご理解を賜りたく。--やしまのお城(会話)2014年9月30日
・・追記・・ 本件の関連記事を「クリーン大会②に関して」に、記述しています。目を通して頂きたく。--やしまのお城(会話) 2015年3月4日 (水) 01:58 (UTC)
・・追記・・ 出典要望に対して追記し、その後に削除した事柄の内容を記述します。・・・『調査月報』NO.229号、香川経済研究所2006年3月発行の「東アジアで誇れる屋島が涙している」の中に、「サンポートからの遠望は、ハワイのダイヤモンドヘッドに比肩する」との記述がある。--やしまのお城(会話) 2015年3月19日 (木) 01:30 (UTC)
やしまのお城さんへ
本記事の執筆に当たっていろいろとお書きになっているようですが、少し執筆の手を休めて拙文におつきあい下さい。
ウィキペディアを編集いただくに当たってご理解いただきたいことは、ウィキペディアは「特筆性のある事物について」「検証可能な、信頼できる第三者の出典に基づき」「中立的な観点に立って」記載する百科事典であるという点です。これらにつきましては、Wikipedia:五本の柱・Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか・Wikipedia:出典を明記する・Wikipedia:信頼できる情報源・Wikipedia:中立的な観点・Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないに詳しく説明されていますので、ぜひ一度目を通して下さい。
上記の観点から、あなたがこのノートページに書かれている内容に関して、少しご意見を申し上げます。
- 全般について
- 「高松市民(屋島が国立公園・史跡・天然記念物であることを知らない方等を除外)には、公認された事柄」「多くの検索者は観光目的の方々と思われる」「屋島を検索される方々の多くは本件が目的と思われない」といった記述が見られますが、ウィキペディアは万人の利用を前提とした百科事典なので、どのような目的を持った、どこに住んでいる(極端な話日本国外に居住している)利用者に対しても可能な限り等しく容易に理解できることが求められます。屋島のページを見る人は、屋島の地形的な特徴について知りたいのかもしれませんし、歴史的な環境について知りたいのかもしれません。「ここを読む人は知っているはずだ」「こうした利用者しかいない」といった先入観を持った記述は控えるべきです。
- 一方、「Wikipedia「屋島」で、髙松市民と香川県民の心(素晴らしいと全国の人々に認めていただける事柄)を反映させることは、誠に大切なことと思います」といった記述が見られます。あなたが個人的に屋島に愛着を持つことはご自由ですが、ある事物を個人的な意向で賞揚・宣伝することは、ウィキペディアの「目的外利用」に当たります(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありません)。そのような活動をご希望ならばウィキペディアではなく、個別にブログやホームページなどを作ってそちらでお願いいたします。また、記事対象に対する愛着から、きちんとした出典のあるネガティブな記述を(「地元民の不始末」「地元の恥」等の個人的な理由で)除去することも、やってはいけません。対象となる事物への思い入れが執筆の動機となること自体は否定しませんが、そうした意識がウィキペディアに求められる「中立的な観点」と相反する場合が起こりうることをご認識下さい。
- 校歌
- 現在は出典が追加されていますが、「大半の学校の校歌に使用されている」ことが事実である検証可能な裏付けとなる信頼できる出典がなければ、「独自研究」として削除の対象になります。出典があげられていますが、より望ましいのは「この本に掲載されている××校(数値)の校歌のうち、「屋島」が歌詞に入っている学校は○○小学校、△△小学校…の合計×校存在する」といった具体的な内容を示していただくことです。
- オペラ「扇の的」
- 「屋島」の記事は、屋島という地域・名勝の地理的・歴史的内容について説明するページです。「扇の的」というオペラは、「屋島の戦い」に題材を取った創作というにすぎません。仮にこのオペラが屋島で野外上演された、というのであれば、「屋島」の記事に加筆してもよいかもしれませんが、現在の内容では関連性があるとしても「屋島の戦い」まででしょう。このオペラが客観的に非常に優れた作品で特筆性がある、という信頼ある第三者の出典があれば、独立した記事を作成すればよいのです。あなたのこの作品に対する個人的な感想だけで、無理に「屋島」の記事に加筆する必要はありません。
- 屋島ケーブル
- 「今地図に載っていない」「廃止のニュースは過去の話」という個人的な理由で削除すべきと書かれていますが、50年以上観光の手段として運行されたことは、屋島の歴史において十分に特筆されるべき事象です。
- 活性化、新聞記事
- この内容についても「地域内のことであり詳述は不要」などと書かれていますが、「屋島」そのものを対象として、行政が具体的名称を上げて取り組んでいる活動が、屋島と関連性が薄いとはとうてい言えません(「高松市活性化プラン」のごく一部として屋島が入っている、というだけならそうした判断もあり得ますが)。まさに「屋島」の記事に書くべき事柄です。また、市の基本構想のリンクがあるからといって、新聞記事のリンクを削ってよいというものではありません。記事は、新聞というメディアで廃屋問題が取り上げられたという具体的な出典であり、そうした報道の後に市の活性化構想が検討立案された、という時間的経過を示す上でも非常に重要です。
- 文化財等データベース
- 出典を示すリンクは通常、そこをクリックして直接内容にアクセスできることが求められますが、該当のデータベースは検索結果をリンクとして保存することができません。そのため、他の閲覧者の検証のために「このような条件で検索をおこなった結果である」ということを明示していたのです。この「検証可能性」はウィキペディアにおいて非常に重要です。「文化庁が保証しているから大丈夫」で済むものではありません。
申し上げたいことはほかにもございますが、さしあたり以上にとどめておきます。やしまのお城さんには、ウィキペディアの基本的な考え方やルールをご理解をいただきたいと重ねてお願いいたします。
あと、ウィキペディアは削除をされない限り、過去の版はすべてリンクを張ることができます。「×年×月頃」といった書き方ではなく、具体的なリンクを張って、見る人がすぐ確認できるようにして下さい。たとえば今時点の「屋島」の記事のリンクは[1]になります。また過去の複数の版を比較して示すには、たとえば[2]のようにすれば可能ですので、今後はぜひそのようにお願いいたします。また、出典の記載の際には該当の記述があるページ番号も示してください(検証可能性を高めるためです)。--Unamu(会話) 2014年11月5日 (水) 13:57 (UTC)
要ページ番号の要望に関して
平成26年9月のYKGの投稿に対して出典追記の要望が有りました。その折、必要ないと思われる事柄を含め、出典を追記しました。その直後に、追記した出典に対して[要ページ番号]が添付(検証可能性を高めるためとの理由)され、現在に至っています。YKGが参考にしている、ウィキペディアの「剣山・石槌山・大山(鳥取県)・金毘羅宮・栗林公園」には事例がありません。本件に関するウィキペディアの規定を教示賜りたく。尚、明確な規定がない場合は、マークの削除を要望します。--やしまのお城(会話) 2015年2月20日 (金) 13:51 (UTC)
- Wikipedia:出典を明記するを熟読願います。他の記事で出典文献のページ数の記載がないのは、決して許容されているわけではありません(その記事も出典記載としては不備なのです)。「ほかの記事にないから書かなくてもいい」という考えは「スピード違反の論理」(ほかの車もスピード違反をしているから、自分がスピード違反をしても許される)といいまして、ウィキペディアでは避けるべき考え方です。出典を記載した方は、その内容が出典のどこに書かれているか、提示することが求められます。というより、このような質問をされる前に(以前にも書きましたが)Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:信頼できる情報源といったガイドラインを一度熟読ください。--Unamu(会話) 2015年2月20日 (金) 14:32 (UTC)
屋嶋城に関して
屋嶋城跡の城門跡の一般公開は平成28年の春の予定ですので、特徴の項目の中に「やしまのき」と、読みを追記しました。しかし、削除されています。削除理由が理解できません。このたび、歴史の項目に読みを追記しますので、精査ください。追記理由は以下の通りです。城跡を司る高松市は、2013年10月の古代山城サミット髙松大会の開催の前に、漢字表記は日本書紀と同一の「屋嶋城」、読みも日本書紀と同一の「やしまのき」と統一されました。一般の方々の表記と読みを拘束するわけではありません。--やしまのお城(会話) 2015年2月24日 (火) 02:17 (UTC)
- 貴殿のおこなった不適切な編集を書き戻す際に、以前の版をベースに加筆したため、巻き添えで消した形になってしまいました。特に他意はありませんので、読み仮名を追加されることには特段の問題はありません。--Unamu(会話) 2015年2月24日 (火) 12:40 (UTC)
目次の配列順位の変更に関して
Wikipediaの脚注は書籍と同様に配列されています。しかし、本「屋島ーWikipedia」は異端となりますが、読者の利便性を優先し、「外部リンクを脚注の上位に変更」いたします。脚注は総ての読者が必要とするわけでもありませんし、「脚注表示記号」をクリックすれば読めますので、不都合はないと判断いたします。--やしまのお城(会話) 2015年3月30日 (月) 12:16 (UTC)
・・追記・・ 123.230.142.37さんへ。「不適切な編集を差し戻し」との事ですが、ルール違反であれば本ノートに、詳細を明記ください。。--やしまのお城(会話) 2015年3月31日 (火) 04:22 (UTC)
- 呼びかけた相手ではありませんが、なぜ「不規則な編集」と言われているかをご説明します。ウィキペディアの記事はWikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)に準拠することが推奨されています。この中で、「外部リンク」は「付録節」という、記事で言えばもっとも最後に記載すべきものとなっておりますのでご承知置きください。また、本ノートにおいて、新しい話題を起こす場合は一番下に追加してください。発言の時系列が非常に不規則でわかりづらいです。--Unamu(会話) 2015年4月1日 (水) 15:37 (UTC)
・・追記・・ 新たに編集に参加される方には、整理されたノートで「時系列でない方が」理解が容易である。--やしまのお城(会話) 2015年4月5日 (日) 03:45 (UTC)
クリーン大会①に関して
貴殿は、Wikipediaの発展を願って活動していますか? 貴殿は、屋島ーWikipediaを少しでも、良い百科事典に仕上げたいと思って活動していますか? 貴殿とは9ページに及ぶノート交信がある。YKGの活動を上手にリードし、利用しないとだめだ。YKGが活動する前と現在の「屋島ーWikipedia」を印刷して、良く見て読んで、比較ください。YKGが動き始めたなー。・・・国立公園の記念日が近いな。・・・画像が交換された。・・・ギャラリーが新設されて画像が入った。クリーン大会① ・・・? 何か意味がありそう。・・・文章は明快で簡潔に書くことに努めること。・・・主ページは読者のために存在する。投稿の前に読者の視点でチェックすること。・・・読者に読む負担をかけない。不必要と思われる一文字の削除は百文字の削除に至る。~世界に誇れる屋島を目指して~・・・屋島ーWikipediaに品格を具えよう。各々の投稿者が心を磨けばできる。--やしまのお城(会話) 2015年2月27日 (金) 02:34 (UTC)
クリーン大会②に関して
2015年2月4日、Tramasa氏訪問。観光項目の独立した3文章を他の文章に接続。その他に文書移動の改変。良い改変とは思われなかった。初訪問だ。2月4日に「クリーン大会②」として、改変前の状況に近い状態に修正した。大変な作業であった。また、この折に前々から気になっていた、『香川県の拠点港、「サンポート髙松」・・・「髙松のダイヤモンドヘッド」だと称賛されている。』に差し替え、復活させた。貴殿とは何回かの差し替え合戦となつている。下名が2014年9月30日に初投稿。その後の<要出典>の要望に対し、出典2誌を追記した。現在の貴殿の差し替え文は、前記の2誌によるものだ。近々、再改定を検討中だ。文章の奥に秘められた事は、なんだろううか。荒俣氏が「屋島は自然が作った神のテラス」と評す時、なぜサンポートを選択したのか。・・・世界初のガラス製の赤灯台(通称「せとしるべ」)とプロムナードは、平成12年6月に供用開始。15年が経過した。この場所は、サンポート髙松のウォーターフロントで最も良い所だ。美しい瀬戸内海の風景を楽しめる事に加え、屋島ーWikipediaに記載された総べての事を脳裏に描くことができる場所です。 --やしまのお城(会話) 2015年4月5日 (日) 03:45 UTC) ・・付録・・2月24日、ノート「屋嶋城に関して」の「不適切な編集を書き戻す」を目にした時、瞬時に血圧が上がった。このような事は何年ぶりだろうか。前回の詳細は記憶がない。貴殿に対するノート交信は、今回で最後とする事に決断した。1~2年後にYKGは解散し、「屋島の仙人とやしまのお城」は見学者に変わると思います。貴殿が協力(世界の中心に己は無い)してくれれば、一段と良い仕上げに成ると確信します。そして、その後のメンテナンスの役割を、貴殿に託くす事が出来れば幸いです。貴殿との出会いは、思いで深い事柄となりました。・・・お元気で。--やしまのお城(会話) 2015年3月1日 (日) 08:30 (UTC)
・・追記・・ 3月5日のUrania氏の「特徴の項の2・3・4節」の改変に関した感想は、3/26に文化財の項目に移動しました。 ~追伸~「屋島ーWikipedia」の編集投稿は初めてですか?下名は初心者ですが、真剣に「屋島ーWikipedia」の編集に取り組んでいます。本ノートに記載している通り、Unamu氏お一人の対応に追われ、主ページの編集に注力できない異常な状況です。本ノートに目を通して下さい。下名は、Unamu氏の編集は『投稿妨害』に該当すると判断するに至りました。『投稿妨害』の申請手続き前に、貴殿の助言を賜りたく。よろしくお願い致します。--やしまのお城(会話) 2015年3月15日 (日) 02:41 (UTC)
- コメント 利用者:やしまのお城さん、利用者:Asturio Cantabrioと申します。数か月前からこの記事の変化を追っていましたが、やしまのお城さんや利用者:屋嶋の仙人さんの活動によってこの記事は優れた内容になっていると感じます。私は屋島について詳しくないために編集を控えますが、観光節の「~方々は~と称賛する」という表現がやや気になりました。また、冒頭部は2013年以前から「屋島は山」と定義しているようですが、いくつかの外部サイトを読んだ限り、「屋島は台地」という定義に修正することを検討してもよいのではないかと思いました。屋島のことをよく知らない素人の考えであり、とるに足らないことと判断してもらっても構いませんが、よろしくお願いします。
- 利用者:Uraniaさんの編集に対する指摘ですが、私には実に的確な修正であると感じます。もし納得できないのであれば、この編集についてより多くの意見を集めるために、Wikipedia:コメント依頼#議論活性化のためのコメントを出してみることもお勧めします。今までこの記事にか���わったことのなかった何人かの方がコメントをしてくださると思います。また、記事が完成に近いのであればWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考に出してみてはいかがでしょうか。
- また、私は利用者:Unamuさんの編集が投稿妨害であるとは思いません。この件についても納得できないのであれば、コメント依頼を行ってみてもよいかもしれません。--Asturio Cantabrio(会話) 2015年3月17日 (火) 15:11 (UTC)