魍魎
魍魎(もうりょう・みずは)または罔両、罔象は、山や川、木や石などの精や、墓などに住む物の怪または河童などさまざまな妖怪の総称。
日本では水神を意味する「みずは」と訓じ、この語は他に「水波」「美豆波」「弥都波」などさまざまな漢字で表記される。→ミヅハノメ
漢籍に見られる魍魎
[編集]漢籍には、総称的な用法とは別に、具体的な姿や振る舞いを描写された魍魎が現れる。
『淮南子』には、「罔両は状は三歳の小児の如し、色は赤黒し、目は赤く耳は長く、美しい髪をもつ」と記される。
『本草綱目』には、「罔両は好んで亡者の肝を食べる。それで『周礼』に、戈(ほこ)を執って壙(つかあな)に入り、方良(罔両)を駆逐する、とあるのである。本性、罔両は虎と柏とを怖れす。また、弗述(ふつじゆつ)というのがいて、地下にあり死人の脳を食べるが、その首に柏を挿すと死ぬという。つまりこれは罔両である」と記されている。
水の怪として
[編集]『淮南子』によると、罔象は水から生じる[1]。また、『史記』によると、孔子は水の怪は龍や罔象であるとした[2]。
これらから、魍魎も水の怪の総称とみなされるようになった。この意味は、山川の怪を意味する魑魅と対を成すようになった(あわせて魑魅魍魎)。
日本では『日本記』により、罔象の和名は水神(あるいは女神)を意味する「みずは」だとされた。
火車との同一視
[編集]亡者の肝を食べるという点から、日本では魍魎は死者の亡骸を奪う妖怪・火車と同一視されており[3]、火車に類する話が魍魎の名で述べられている事例も見られる。江戸時代の根岸鎮衛の随筆『耳袋』によれば、柴田という役人のもとに忠義者の家来がいたが、ある晩に「自分は人間ではなく魍魎」と言って暇乞いをした。柴田が理由を尋ねると、人間の亡骸を奪う役目が回ってきたので、ある村へ行かなければならないとのことだった。翌日、家来の姿は消えており、彼の言った村では葬儀の場が急に黒雲で覆われ、雲が消えると棺の中の亡骸が消えていたという[4]。
脚注
[編集]- ^ 『淮南子・氾論訓』水生罔象
- ^ 『史記・孔子世家』水之怪龍罔象
- ^ 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年、330頁。ISBN 978-4-620-31428-0。
- ^ 花房孝典編著『実録・大江戸奇怪草子 忘れられた神々』三五館、1997年、181-183頁。ISBN 978-4-88320-119-8。