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柳田敏雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やなぎだ としお
柳田 敏雄
日本学士院により公表された肖像写真
日本学士院により
公表された肖像写真
生誕 (1946-10-10) 1946年10月10日(78歳)
日本の旗 兵庫県
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 物理学
研究機関 村田製作所
大阪大学
理化学研究所
出身校 大阪大学基礎工学部卒業
大阪大学大学院
基礎工学研究科
修士課程修了
大阪大学大学院
基礎工学研究科
博士課程中途退学
指導教員 大沢文夫
主な業績 溶液中での蛋白質の動きを
1分子レベルで
観察することに成功
ミオシン分子1個の動きを
ナノメータ精度で
追跡することに成功
ミオシン分子が
アクチンフィラメント上を
ブラウン運動で揺れながら
前に進むことを発見
主な受賞歴 恩賜賞(1998年)
日本学士院賞(1998年)
朝日賞(1999年)
プロジェクト:人物伝
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柳田 敏雄(やなぎだ としお、1946年10月10日 - )は、日本物理学者生物物理学)。学位は工学博士大阪大学・1976年)。大阪大学栄誉教授、同名誉教授文化功労者勲等瑞宝重光章

株式会社村田製作所での勤務を経て、大阪大学工学部教務職員、大阪大学基礎工学部教授、大阪大学医学部教授、大阪大学大学院生命機能研究科研究科長、大阪大学大学院生命機能研究科教授、大阪大学免疫学フロンティア研究センター副拠点長、独立行政法人理化学研究所神戸研究所生命システム研究センターセンター長、独立行政法人情報通信研究機構脳情報通信融合研究センターセンター長独立行政法人理化学研究所神戸研究所多細胞システム形成研究センターセンター長代行などを歴任した。

来歴

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生い立ち

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1946年10月10日生まれ[1]兵庫県出身[2]大阪大学に進学し、大沢文夫の直弟子となる。

研究者として

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生物物理学を専攻し、蛍光顕微鏡やレーザートラップ顕微鏡などを用いた一分子計測の先駆者である。大阪大学にて工学部基礎工学部医学部、大学院生命機能研究科などで教鞭を執った。大阪大学退職後は、理化学研究所の神戸研究所にて生命システム研究センターのセンター長に就任した。また、情報通信研究機構にて脳情報通信融合研究センターのセンター長にも就任した。また、学術団体としては、日本生物物理学会に所属し、会長にも就任した。

人物

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柳田の言葉

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  1. 「ふらふらしている人がいい仕事をする」[3]

略歴

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賞歴

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  • 1989年 大阪科学賞(大阪)[6]
  • 1994年 内藤記念科学振興賞 (内藤記念科学振興財団)[6]
  • 1998年 学士院賞恩賜賞[6]
  • 1999年 朝日賞 (1998年度)[6]
  • 2010年 The US Genomic Award for Outstanding Investigator in the Field of Single Molecule Fluorescence Microscopy[6]

栄典

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脚注

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  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.435
  2. ^ 科学技術振興機構. “柳田 敏雄氏の略歴”. 2014年1月23日閲覧。
  3. ^ WEDGE トップランナー”. WEDGE infinity. 2014年1月23日閲覧。
  4. ^ 兵庫県立柏原高校 同窓会 http://hakuryo.org/a/2042
  5. ^ 博士論文書誌データベース
  6. ^ a b c d e 大阪大学. “受賞歴”. 2014年1月23日閲覧。
  7. ^ 理化学研究所. “柳田 敏雄 センター長(生命システム研究センター)が文化功労者に選出”. 2014年1月23日閲覧。
  8. ^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日
  9. ^ 令和元年秋の叙勲 瑞宝重光章受章者” (PDF). 内閣府. 2023年1月21日閲覧。

外部リンク

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先代
郷通子
日本生物物理学会会長
2002年 - 2004年
次代
石渡信一