大韓民国陸軍
대한민국 육군 大韓民国陸軍 | |
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創設 | 1946年1月15日 |
所属政体 | 大韓民国 |
兵種/任務 | 陸軍 |
人員 | (2021年基準) 39万5千人 |
所在地 | 鷄龍台傘下の大韓民国陸軍本部 |
愛称 |
대한육군(大韓陸軍) ROKA(REPUBLIC OF KOREA ARMY) |
標語 |
강한친구 , 대한민국 육군 (強い友人、大韓民国陸軍) |
担当地域 | 朝鮮半島 |
戦歴 |
国防部 |
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陸軍本部 |
主要部隊 |
主要機関 |
歴史・伝統 |
韓国陸軍の歴史 |
その他 |
大韓民国陸軍 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 대한민국 육군 |
漢字: | 大韓民國 陸軍 |
発音: | テハンミングク ユックン |
日本語読み: | だいかんみんこく りくぐん |
ローマ字: | Daehanminguk Yuk-gun(2000年式) |
英語表記: | Repbulic of Korea Army (ROK Army, ROKA) |
朝: 대한민국 육군)、ROK Army、ROKA) は、大韓民国国軍を構成する大韓民国の陸軍である。
(だいかんみんこくりくぐん、2015年現在、42個師団(常備師団 22個、予備師団 20個、常備軍 約50万人、予備軍 約320万人)の兵力を有する。
歴史
1945年8月15日、大日本帝国の敗戦による朝鮮統治終了にともない、混乱乗じて各地において大小規模さまざまな武装組織や政党が次第にではあるものの現れてきた。
アメリカ軍軍政期の間に軽装備の南朝鮮国防警備隊(旧日本軍の置き土産でもある三八式歩兵銃や九九式短小銃、中には竹槍で一時を凌いだ部隊もあり、制服や靴は員数分も満足に無く日々の食事にも困ることもあった。しかし当時の韓国国家警察はカービン銃をはじめ、戦車以外の必要な装備はアメリカ軍から与えられていた)がアメリカ軍当局の監督の元に創設された。軍事英語学校(後の警備士官学校/陸軍士官学校)において日本陸軍や旧満州国軍で士官・下士官経験のある者たちと光復軍系列の人士を主軸に軍事教育を施し、将来の国軍の礎としてあらゆる努力が注がれた。
南朝鮮警備隊から大韓民国陸軍への移行期には、李承晩政権の反共主義政策から、済州島四・三事件、麗水・順天事件、聞慶虐殺事件などで南朝鮮労働党員をはじめとする朝鮮人共産主義者への弾圧を実行している。
1979年10月26日の朴正煕暗殺事件によって朴正煕政権が倒れ、「ソウルの春」を迎えてからは次第に(あるいは表面的には)強権的な一面は鳴りを潜めつつあったが、翌1980年5月に光州事件が発生。国軍に対する国民の目が一層厳しくなる結果となった。
1980年代後半からは、漸進的に近代化を図っており、それまでアメリカからの供与に頼っていた装備を続々と国内開発の兵器に代替しているほか、経済借款返還の一環として、西側諸国では珍しくロシア製の装備を主力部隊に配備している。
年表
- 1945年8月15日:大日本帝国降伏。
- 1948年9月5日:南朝鮮国防警備隊から韓国陸軍へ改編[1]。
- 1950年6月25日:朝鮮戦争勃発。
- 1953年7月27日:休戦。
- 1965年10月:ベトナム戦争に参戦。首都師団(猛虎師団)、青龍旅団、白馬師団を派遣。派遣部隊は逐次、増強された。
- 1968年1月21日:青瓦台襲撃未遂事件発生。
- 1973年3月23日:ベトナムから完全撤兵。
- 1976年8月18日:ポプラ事件発生。
- 1996年9月18日:江陵浸透事件発生。
- 1997年11月7日:掃討作戦完了。
- 2003年:イラクに多国籍軍として600名を派遣。
- 2004年2月23日:イラク派遣部隊、アメリカからの要請により2,800名規模に増強(その後3,600名)。ザイトゥーン部隊(イラク平和再建師団)に改編される。
海外派兵/PKO/PKF
韓国陸軍は、ベトナム戦争、湾岸戦争、対テロ戦争、イラク戦争に派兵され、戦闘や平和維持などの任務を遂行した。
組織
2016年時点の兵力は約500,000人。
軍令機関
教育学校機関
- 陸軍教育司令部
- 陸軍大学校
- 陸軍訓練所
- 陸軍科学化戦闘訓練団
- 陸軍参謀総長直轄
主要作戦機関
主要軍政機関
現在の編成
陸軍参謀総長が指揮する陸軍本部のもとに2個野戦軍と1個作戦司令部を主軸に次の組織が所属する。
- 第1野戦軍司令部 軍事境界線防衛(東部戦線)
- 第2作戦司令部 後方地域防衛
- 第9軍団と第11軍団を統廃合して、1個常備師団、6個郷土師団、2個特攻旅団が所属している
- 第3野戦軍司令部 軍事境界線防衛(西部戦線)
- 陸軍本部直轄部隊
歴代参謀総長
陸軍参謀総長(육군참모총장)は15代の金鐘五以降現在まで陸軍大将の指定職となっている。
代 | 写真 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 略歴 |
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1 | 李應俊 이응준 イ・ウンジュン |
1948.12.15 - 1949.5.8 |
日本陸軍士官学校 (第26期、1914年) 軍事英語学校 (軍番110番、1946年) |
1892年漢城(ソウル)生まれ。日本陸軍大佐。 | |
2 | 蔡秉徳 채병덕 チェ・ビョンドク |
1949.5.9 - 1949.9.30 |
日本陸軍士官学校 (第49期、1935年) 軍事英語学校 (軍番2番、1946年) |
1914年平壌生まれ。日本陸軍少佐。 | |
3 | 申泰英 신태영 シン・テヨン |
1949.10.1 - 1950.4.9 |
韓国陸軍幼年学校 日本陸軍中央幼年学校 日本陸軍士官学校 (第26期、1914年) |
1919年京城(ソウル)生まれ。日本陸軍中佐。のちに、国防長官を務める。 | |
4 | 蔡秉徳 채병덕 チェ・ビョンドク |
1950.4.10 - 1950.6.29 |
- | 2度目の就任。朝鮮戦争開戦時の参謀総長。緒戦の大敗により解任される。河東峠の戦いにおいて戦死。 | |
5 | 丁一権 정일권 チョン・イルクォン |
1950.6.30 - 1951.6.22 |
満州国陸軍軍官学校から日本陸軍士官学校留学 (陸士第55期相当、1941年) 軍事英語学校 (軍番5番、1946年) |
1917年生まれ。満州軍大尉。朝鮮戦争では韓国軍を持ちこたえさせて反撃に転じさせる。 | |
6 | 李鍾贊 이종찬 イ・ジョンチャン |
1951.6.23 - 1952.7.22 |
日本陸軍士官学校 (第49期、1937年) |
1916年京城(ソウル)生まれ。日本陸軍少佐。朝鮮戦争当時は第3師団長として活躍。日本の軍人勅諭の教えに沿って韓国軍軍人の政治的中立性を強く説く。 | |
7 | 白善燁 백선엽 ペク・ソンヨプ |
1952.7.23 - 1954.2.13 |
満州国陸軍軍官学校 (1941年) 軍事英語学校 (軍番54番、1946年) |
1920年生まれ。韓国軍で初代4つ星の大将になり、軍の近代化に尽力する。1959年には連合参謀会議議長となる。1995年に日本から勲一等瑞宝章を贈られる。 | |
8 | 丁一権 정일권 チョン・イルクォン |
1954.2.14 - 1956.6.26 |
- | 2度目の就任。 | |
9 | 李亨根 이형근 イ・ヒョングン |
1956.6.27 - 1957.5.17 |
日本陸軍士官学校 (第56期、1942年) 軍事英語学校 (軍番1番、1946年) |
1920年生まれ。日本陸軍少佐。白善燁と同じ時期に韓国軍大将になり、三軍(陸・海・空)の初代合同参謀総長。南北休戦会談の韓国軍代表。軍の非政治化と陸軍内での軍人精神保存に尽力する。初代参謀総長の李應俊は義理の父に当たる。 | |
10 | 白善燁 백선엽 ペク・ソンヨプ |
1957.5.18 - 1959.2.22 |
- | 2度目の就任。 | |
11 | 宋堯讃 송요찬 ソン・ヨチャン |
1959.8.7 - 1960.5.22 |
志願兵出身(第2期) 軍事英語学校 (軍番96番、1946年) |
日本軍准尉。参謀総長在任中には戒厳司令官として治安維持に当たる。軍人年金制度確立に尽力する。 | |
12 | 崔栄喜 최영희 チェ・ヨンヒ |
1960.5.23 - 1960.8.28 |
専修大学法学部卒(1944年) 日本陸軍工兵学校 軍事英語学校 (軍番51番、1946年) |
1921年京城(ソウル)生まれ。日本陸軍工兵少尉。朝鮮戦争では歩兵第1師団長、歩兵第8師団長として功績を挙げる。 | |
13 | 崔慶禄 최경록 チェ・ギョンロク |
1960.8.29 - 1961.2.16 |
軍事英語学校 (軍番11番、1946年) |
1920年生まれ。 日本軍准尉。朝鮮戦争中は歩兵第11連隊長として功績を挙げる。参謀総長在任中は韓国軍最初の大規模機動訓練を実施した。のちに、駐英大使・運輸長官・駐日大使を歴任。 | |
14 | 張都暎 장도영 チャン・ドヨン |
1961.2.17 - 1961.6.5 |
軍事英語学校 (軍番80番、1946年) |
1923年生まれ。東洋大学卒。日本軍少尉。朝鮮戦争中は歩兵第6師団長、第5師団長として功績を挙げる。参謀総長在任間は「学徒軍事訓練教官団」を創設する。朴正煕少将等と5・16軍事クーデターを起こし政権を掌握するが、失脚する | |
15 | 金鐘五 김종오 キム・ジョンオ |
1961.6.6 - 1963.5.31 |
軍事英語学校 (軍番31番、1946年) |
1921年生まれ。日本軍少尉(日本中央大学在学中に学徒出陣)。朝鮮戦争中は歩兵第9師団長として激戦を指揮する。 | |
16 | 閔キ植 민기식 ミン・ギシク |
1963.6.1 - 1965.3.31 |
満州建国大学卒 軍事英語学校 (軍番18番、1946年) |
1921年生まれ。日本軍少尉。朝鮮戦争中は歩兵第7師団長、歩兵第5師団長として作戦を指揮する。1965年3月以降のベトナム派兵を指揮する。 | |
17 | 金容培 김용배 キム・ヨンベ |
1965.4.1 - 1966.9.1 |
京城法学専門学校卒 軍事英語学校 (軍番77番、1946年) |
1923年ソウルで生まれ。日本軍少尉。参謀総長在任中はベトナム派兵を指揮する。また、短期幹部候補生制度を新設する。 | |
18 | 金桂元 김계원 キム・ケウォン |
1966.9.2 - 1969.8.31 |
延禧専門学校卒 軍事英語学校 (軍番35番、1946年) |
1923年生まれ。日本軍少尉。1978年に大統領秘書室長になり、1979年の10・26事件で死刑判決を受けたが、後に無期懲役に減刑される。 | |
19 | 徐鐘喆 서종철 ソ・ジョンチョル |
1969.9.1 - 1972.6.1 |
韓国陸軍士官学校 (第1期、1946年) |
1924年生まれ。参謀総長在任中は、士官学校の統合や陸軍改編を行う。 | |
20 | 盧載鉉 노재현 ノ・ジェヒョン |
1972.6. 2- 1975.2.28 | 韓国陸軍士官学校 (第3期、1947年) |
1926年生まれ。朝鮮戦争中は砲兵大隊長。後に国防長官を務める。 | |
21 | 李世鎬 이세호 イ・セホ |
1975.3.1 - 1979.1.31 |
韓国陸軍士官学校 (第2期、1946年) |
1925年京畿道開城生まれ。ベトナム戦争中は在越韓国軍司令官。 | |
22 | 鄭昇和 정승화 チョン・スンファ |
1979.2.1 - 1979.12.12 |
韓国陸軍士官学校 (第5期、1948年) |
1926年生まれ。第7師団長、第3軍団長、陸軍士官学校長等を歴任する。1979年の10・26事件直後に敷かれた戒厳令下で戒厳司令官を兼務するが、国軍保安司令官全斗煥少将により逮捕される(粛軍クーデター)。 | |
23 | 李熺性 이희성 イ・ヒソン |
1979.12.13 - 1981.12.15 |
韓国陸軍士官学校 (第8期、1949年) |
1924年生まれ。参謀総長在任中は、漢方医を軍医に採用した。 | |
24 | 黄永時 황영시 ファン・ヨンシ |
1981.12.16 - 1983.12.15 |
韓国陸軍士官学校 (第10期、1950年) |
1926年慶尚北道生まれ。後に監査院長を務めた。後に、粛軍クーデターと光州事件における流血鎮圧で、懲役8年の有罪を受けるも特赦。 | |
25 | 鄭鎬溶 정호용 チョン・ホヨン |
1983.12.16 - 1985.12.15 |
韓国陸軍士官学校 (第11期、1955年) |
1932年大邱生まれ。 | |
26 | 朴煕道 박희도 パク・ヒド |
1985.12.16 - 1988.6.11 |
韓国陸軍士官学校 (第12期、1956年) |
1934年生まれ。参謀総長在任中は、第8・第9・第11軍団を創設して東海岸及び後方地域の防御を補強する。後に盧泰愚大統領に更迭される。 | |
27 | 李鍾九 이종구 イ・ジョング |
1988.6.12 - 1990.6.10 |
韓国陸軍士官学校 (第14期、1958年) |
1935年生まれ。1988年のソウルオリンピックを最大限支援する。 | |
28 | 李鎮三 이진삼 イ・ジンサム |
1990.6.11 - 1991.12.5 |
韓国陸軍士官学校 (第15期、1959年) |
1936年生まれ。東國大學校で修士号取得。参謀総長在任中は、陸軍にLAN構築を進めた。 | |
29 | 金振永 김진영 キム・ジニョン |
1991.12.6 - 1993.3.8 |
韓国陸軍士官学校 (第17期、1960年) |
1939年生まれ。 | |
30 | 金東鎮 김동진 キム・ドンジン |
1993.3.9 - 1994.12.26 |
韓国陸軍士官学校 (第17期、1961年) |
1938年京城(ソウル)生まれ。 | |
31 | 尹竜男 윤용남 ユン・ヨンナム |
1994.12.27 - 1996.10.18 |
韓国陸軍士官学校 (第19期、1963年) |
1940年生まれ。 | |
32 | 都日圭 도일규 ト・イルギュ |
1996.10.19 - 1998.3.27 |
韓国陸軍士官学校 (第20期、1964年) |
1940年生まれ。 | |
33 | 金東信 김동신 キム・ドンシン |
1998.3.28 - 1999.10.27 |
韓国陸軍士官学校 (第21期、1965年) |
1941年生まれ。東ティモールPKOに韓国軍を派遣する。後に国防長官を務める。 | |
34 | 吉亨宝 길형보 ギル・ヒョンボ |
1999.10.28 - 2001.10.21 |
韓国陸軍士官学校 (第22期、1966年) |
1942年生まれ。 | |
35 | 金判圭 김판규 キム・パンギュ |
2001.10.13 - 2003.4.6 |
韓国陸軍士官学校 (第24期、1968年) |
1943年生まれ。参謀総長在任中はPKOへの韓国軍派遣を推進する。 | |
36 | 南在俊 남재준 ナム・ジェジュン |
2003.4.7 - 2005.4.7 |
韓国陸軍士官学校 (第25期、1969年) |
1944年生まれ。趣味は山登り、漢文の素養もある。大佐時代は連隊長等を、准将時代は歩兵学校教授部長等を、少将時代は第6師団長等を、中将時代は首都防衛司令官等を、大将時代は米韓連合司令部副司令官等を務める。 | |
37 | 金章洙 김장수 キム・ジャンス |
2005.4.7 - 2006.11.7 |
韓国陸軍士官学校 (第27期、1971年) |
のちに、国防長官・国会議員・大統領国家安保室長・駐中大使を歴任。 | |
38 | 朴興烈 박흥렬 パク・フンリョル |
2006.11.17 - 2008.3.21 |
韓国陸軍士官学校 (第28期、1972年) |
1949年釜山生まれ。大田大学行政学名誉博士 | |
39 | 任忠彬 임충빈 イム・チュンビン |
2008.3.21 - 2009.9.21 |
韓国陸軍士官学校 (第29期、1973年) |
1985年に東國大學校で修士号取得。 | |
40 | 韓民求 한민구 ハン・ミング |
2009.9.21 - 2010.6.18 |
韓国陸軍士官学校 (第31期、1975年) |
1951年忠北清原生まれ。1992年に延世大学行政大学院修了。後に合同参謀議長・国防長官を務める。 | |
41 | 黄義敦 황의돈 ファン・ウイドン |
2010.6.18 - 2010.12.14 |
韓国陸軍士官学校 (第31期、1975年) |
1953年江原原州生まれ。不動産投機疑惑で辞任。 | |
42 | 金相基 김상기 キム・サンギ |
2010.12.16 - 2012.10.11 |
韓国陸軍士官学校 (第32期、1976年) |
1952年慶北浦項生まれ。2009年に高麗大学で行政学の博士号を取得。 | |
43 | 曹晶煥 조정환 ジョ・ジョンファン |
2012.10.11 - 2013.9.28 |
韓国陸軍士官学校 (第33期、1977年) |
1955年江原道麟蹄郡生まれ。陸軍参謀次長や第2作戦司令官等を務める。 | |
40 | 権五晟 권오성 クォン・オソン |
2013.9.28 - 2014.8.11 |
韓国陸軍士官学校 (第34期、1978年) |
1956年京畿楊州生まれ。米韓連合副司令官等を務める。漣川後任兵暴行致死事件で辞任。 | |
40 | 金曜煥 김요환 キム・ヨファン |
2014.8.11 - 2015.9.17 |
韓国陸軍士官学校 (第34期、1978年) |
1956年全北扶安生まれ。陸軍参謀次長や第2作戦司令官等を務める。 | |
46 | 張駿圭 장준규 チャン・ジュンギュ |
2015.9.17 - 2017.8.11 |
韓国陸軍士官学校 (第36期、1980年) |
1957年忠南瑞山生まれ。第1野戦軍司令官や陸軍特殊戦司令官等を務める。 | |
47 | 金勇佑 김용우 キム・ヨンウ |
2017.8.11 - 2019.4.16 |
韓国陸軍士官学校 (第39期、1983年) |
1961年全南長城生まれ。合同参謀本部戦略企画本部長や第1軍団長等を務める。 | |
48 | 徐旭 서욱 ソ・ウク |
2019.4.11 - 2020.9.18 |
韓国陸軍士官学校 (第41期、1985年) |
1961年全南光州生まれ。合同参謀本部作戦本部長や第1軍団長等を務める。 | |
49 | 南泳臣 남영신 ナム・ヨンシン |
2020.9.23 - 現職 |
陸軍学生軍事学校 (第23期、1985年) |
1962年慶南蔚山生まれ。国軍機務司令官や軍事安保支援司令官等を務める。 |
大韓民国陸軍の階級
- 士官
- 准士官
- 준위(准尉):(Warrant Officer)
- 下士官(朝鮮語では副士官)
- 원사(元士):(Sergeant Major)
- 상사(上士):(Master Sergeant)
- 중사(中士):(Sergeant First Class)
- 하사(下士):(Staff Sergeant)
- 兵 (朝鮮語では兵士)
- 병장(兵長):(Sergeant)
- 상등병(上等兵):(Corporal)
- 略称:상병(上兵)
- 일등병(一等兵):(Private First Class)
- 略称:일병(一兵)
- 이등병(二等兵):(Private)
- 略称:이병(二兵)
- 훈련병(訓練兵):(Private (Basic))
- 略称:훈병(訓兵)
- 訓練所での新兵教育課程にある兵の階級
大韓民国陸軍の装備品
詳細は「大韓民国陸軍の装備品一覧」を参照
事件
- 2005年:韓国陸軍訓練所食糞事件、漣川軍部隊銃乱射事件
- 2008年:いじめ自殺事件[2]
- 2011年:論山訓練所髄膜炎死亡事件[3]
- 2012年:坡州銃器死亡事件(京畿道坡州市 第1師団 鉄条網警戒所)[4]
- 2013年:洪川韓国兵士脳腫瘍死亡事件
- 2014年:漣川後任兵暴行致死事件、江原道高城郡兵長銃乱射事件、兵士死亡事件(江原道高城郡 第22師団)[5]
- 2015年:軍内性的暴行事件[3]
- 2021年:トランスジェンダー兵士死亡事件[6][7][8][9]、女性兵士死亡事件[10]
記念日
- 10月1日 - 韓国陸軍記念日
関連項目
脚注
- ^ 今日の歴史(9月5日) 聯合ニュース 2009/09/05
- ^ 한겨레. “「国防部、軍隊で息子を失った親を何度も侮辱した」”. japan.hani.co.kr. 2021年10月24日閲覧。
- ^ a b “"국방부 말 듣지 말라고 장례식 쫓아다닐 것"” (朝鮮語). www.pressian.com (2016年1月16日). 2021年5月10日閲覧。
- ^ 한겨레. “息子の自殺を疑う母の戦い…死亡記録を提出しない軍相手に勝訴”. japan.hani.co.kr. 2021年10月24日閲覧。
- ^ 유성혜 (2014年7月28日). “乱射事件の部隊で兵士が自殺 トイレで首つり=韓国”. 聯合ニュース. 2021年10月26日閲覧。
- ^ “性別適合手術受け除隊処分の韓国軍兵士、撤回求め涙の訴え”. www.afpbb.com. 2021年10月24日閲覧。
- ^ “性別適合手術受け除隊処分の元兵士、遺体で発見 韓国”. www.afpbb.com. 2021年10月24日閲覧。
- ^ 「除隊になった韓国のトランスジェンダー兵士、遺体で発見」『BBCニュース』。2021年10月24日閲覧。
- ^ “自殺した韓国トランスジェンダー兵士の名誉回復、裁判所が除隊無効の判断(字幕・7日)”. www.msn.com. 2021年10月24日閲覧。
- ^ China, Record. “韓国軍でまた!セクハラ・脅迫被害の女性が自殺図る=韓国ネット「恐ろしくて娘を軍隊に入れられない」” (jp). Record China. 2021年10月24日閲覧。