足手荒神
足手荒神(あしてこうじん)は、手足の神である。民間信仰を起源とし、手足の病気や怪我に悩む者がその快癒を祈願するもので[1][2]、信仰の特徴として手型や足型を奉納することが見られる[3]。中にはギプスや松葉杖などを奉納するものもある[4]。他人が奉納した手型、足型で患部をなでる例もある[5]。
信仰される地域は、秋田県、福岡県、熊本県、大分県などで、四国に及んでいるとの報告もある。熊本県嘉島町の甲斐神社(中郡甲斐神社)、熊本県大津町の西鶴甲斐神社[6]や、熊本県八代市の医王寺[7]は、「足手荒神」と通称されている。熊本の玉名市、大分の大分市、別府市などでは「手足荒神」と言う。
信仰の対象
[編集]熊本県八代市の医王寺や、熊本県阿蘇市の西巌殿寺には、足手荒神として青面金剛が祀られているという[8][9]。青面金剛は、庚申信仰の本尊であり、病魔退散の力を有するとされているものである[10]。
一方で、西巌殿寺の足手荒神はお鏡石という丸い霊石が信仰の対象で、大分県竹田市飛田川や熊本県小国町の足手荒神などはこの分霊で、信仰圏は大野郡、直入郡、さらに宇和海を渡り四国にまで及ぶとの報告もある[11]。
熊本市中央区にある本覚寺境内の足手荒神では、22世住職が掘り出したという五輪塔の丸石を祀り[12]、玉名市岱明町の手足荒神では、五輪塔の石を寄せ集めた六輪塔をご神体とする[13]。
熊本県山鹿市の宗泉寺では、「足手三宝大荒神」を祀り[14]、八代市の医王寺についても、三宝荒神の文字と梵字が刻まれ、荒神の祭りが庚申祭りであるとの民俗学者による記録があり[15]、三宝荒神信仰との結びつきも見られる。
手足を負傷して死んだという武将・甲斐親英(宗立)を祀る熊本県嘉島町の甲斐神社は足手荒神の総本社と称し、熊本県和水町や菊池市下古閑集落の足手荒神、熊本県大津町の西鶴甲斐神社、荒尾市の府本甲斐神社、熊本県美里町の砥用甲斐神社(現在廃社)などは、この分霊を勧請したものという。
もっとも、同じ熊本の中でも、旧飽託郡の足手荒神について、手足の疾病のため敵に追いつかれて落命した託麻某という武士の後身であるとする、甲斐宗立とは別の伝来も報告されている[16][17]。
また、別府市南立石の「手足荒神」は、やはり手足の疾病平癒を祈願し、手型足型を奉納するという信仰であるが、これにも手足を痛めていて不覚をとった武士についての由緒があり、概略は次のようなものである[18]。慶長5年(1600年)、九州の関ヶ原と言われる石垣原の戦い(黒田如水 対 大友義統)の前日の夜半、斥候中に崖から落ち、手足を骨折した黒田方の侍[注釈 1]が大友の兵に捕らえられた。侍は、『手を挫かずば、お前共の手に掛かる者ではない。切って手柄にせよ。死して百年の後まで、魂はこの世にとどまり、手足を挫いた者を救うであろう』と言い残し斬首された。哀れんだ大友の将・吉弘統幸が侍を手厚く埋葬したとの伝説、この合戦で傷を負った兵がこの地で傷を癒したとの伝説があり、手足を挫いた者がここを参詣すると不思議に治ることから、祠を建て「手足荒神」として信仰されるようになったのだという。元は個人の屋敷神であったらしいが[11][20]、その信仰圏は大分方面や速見郡などに広がっているとされる[11]。
大分県九重町の二日市足手荒神社は、少彦名神などを祭神とし、薬師如来が刻まれた室町時代のものと推定される石造宝塔をご神体とする[21]。少彦名神も薬師如来も、医薬の神仏とされるものである[22]。
信仰される地域
[編集]信仰される地域は、秋田県男鹿市[23][24][25]、福岡県久留米市田主丸町[26]、福岡県三井郡大刀洗町[27]、熊本県、大分県大分市[28]、大分県竹田市[29][11]大分県豊後大野市[1][11]、大分県玖珠郡九重町[30]、大分県日田市[31]などである[32]。大分県から海を越えて四国にも及んでいるとの報告もある[11]。また、大分県別府市には、「手足荒神」という同様の信仰があり[11][33][34]、大分方面、速見郡に広がりを見せているという[11]。「手足荒神」は大分市や熊本県玉名市岱明町にも確認されている[35]。
各地の足手荒神
[編集]※ 地名は現在のもの
秋田県
[編集]- 足手荒神(秋田県男鹿市船川港本山門前)[23]
- 足手荒神(秋田県男鹿市福川)[24][36] - 秋田県道304号払戸琴川線沿いにある石祠で、地元民からは「青竜さま」と呼ばれている。昭和50年代の前半までは、県道向い側の、現在はなくなった林に置かれていたとされる[37]。石祠には「福川村 肝煎 仁兵衛 長百姓 金四郎 佐治兵ヱ 仁三郎 外」との銘文がある[38]。『日本民俗図録』の写真を見た漫画家の水木しげるがここを訪れ、数度にわたり「手足の神」として紹介した[39]ことで有名である[40]。
福岡県
[編集]- 草野の足手荒神(福岡県久留米市草野町)[41]
熊本県
[編集]- 本覚寺境内の足手荒神〔上市守霊神〕(熊本県熊本市中央区横手1-14-20)[12]
- 足手大荒神(熊本県熊本市西区河内町野出)[42]
- 医王寺境内の足手荒神(熊本県八代市袋町5-34) - 足手荒神として信仰されている青面金剛堂は、松井氏の八代城主時代における建造と伝えられ、八代市による有形民俗文化財の指定を受けている[43]。内部リンク先も参照。
- 足手荒神(熊本県八代市日奈久東町)[44][45]
- 足手荒神石塔、甲斐神社(熊本県荒尾市府本下区(敵見坂))[46]
- 足手荒神(熊本県荒尾市樺(中平))[47]
- 瀬川の足手荒神(熊本県水俣市幸町)[48] - 建立の時期や由来は不明。ご神体は波形模様のついた自然石[49]。
- 袋の足手荒神(熊本県水俣市袋) - ご神体は当初は自然石、現在は石造りの仏像[50]。
- 手足荒神(熊本県玉名市岱明町)[13]
- 宗泉寺境内の足手三宝大荒神[14](熊本県山鹿市藤井999)
- 大宮神社境内の甲斐神社〔足手荒神〕(熊本県山鹿市山鹿196)[51]
- 足手荒神(熊本県山鹿市菊鹿町松尾(大林))[52]
- 下古閑の足手荒神(熊本県菊池市小木) - 石造立像の荒神を祀る[53]。
- 黒竹の足手荒神(熊本県菊池市原)[53]
- 金峯の足手荒神(熊本県菊池市重味)[53]
- 焼野の足手荒神(熊本県菊池市班蛇口治部古閑)[53][54]
- 足手荒神(熊本県上天草市大矢野町登立(成合津)) [55]
- 足手荒神(熊本県上天草市松島町教良木)[56]
- 西巌殿寺境内の足手荒神[57](熊本県阿蘇市黒川1114)
- 西湯浦八幡宮境内の足手荒神[58](熊本県阿蘇市西湯浦)
- 足手荒神(熊本県玉名郡玉東町木葉)[59]
- 足手荒神(熊本県玉名郡玉東町上木葉(土生野))[59]
- 立山の足手荒神[60]〔手足の神様〕(熊本県玉名郡和水町板楠)[61][62]
- 足手荒神(熊本県玉名郡和水町日平(北迫)) - 「足手荒神さんのサカキ」と呼ばれる榊の大木がある[63]。
- 西鶴甲斐神社(熊本県菊池郡大津町大字室1030)[64][65] - 祭神として甲斐宗運を祀る[66]。3月15日に行われる「初市」は、この神社の市が始まりであった[67]。
- 足手荒神(熊本県阿蘇郡小国町大字宮原)[68] - 御用石工の下城徳松が、藩主の召に応じて熊本に向かう途中、足痛により歩くことができなくなったが、日頃信心する足手荒神に一心に祈ったところ軽快したという。また、その後、徳松が藩主の命による工事中、断崖から大石と共に落下し、腕をくじいた上、人事不省となり命が危ぶまれたが、足手荒神に祈念してほどなく全快したという。このことがあって、徳松が自ら堂宇を建立し、足手荒神の分霊を勧請したのが当地の足手荒神だという[69]。7月15日に足手荒神祭[70]。
- 足手荒神(熊本県阿蘇郡産山村田尻上田尻(上和田))[71]
- 足手荒神社(熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字河陰5306-7)[72][73] - 甲斐宗運に殺された、宗運の三男・仙千代宣成を祀る[74]。慶応2年(1866年)編纂の『南郷事蹟考』に「此墓ヲ十ヶ年計リ以前ヨリ足手荒神ト名ケテ尊敬スル者多シ」とある[75]。また足手荒神碑の前の石造りの花立に「天保拾弐年」(1841年)とあり、そのころからの信仰だと推定されている[76]。
- 甲斐神社〔中郡甲斐神社〕(熊本県上益城郡嘉島町上六嘉2242)- 甲斐宗運の長男である甲斐宗立を足手荒神として祀る。→詳細は「甲斐神社 (嘉島町)」を参照
- 福王寺境内の足手荒神(熊本県上益城郡山都町城平701)[77]
- 大瀬田の足手荒神(熊本県八代郡氷川町高塚土穴瀬)[78]
大分県
[編集]- 本町の手足荒神(大分県大分市大字野津原)[79][28]
- 手足荒神(大分県別府市南立石一区5組-1)[80][11][33][81]
- 足手荒神(大分県日田市前津江町赤石本村)[82]
- 丸山公園内の足手荒神(大分県竹田市直入町大字長湯)[83]
- 藤目の足手荒神(大分県竹田市直入町大字下田北藤目)[84]
- 足手荒神(大分県竹田市久住町添ケ津留(米賀))[85][29][86]
- 足手荒神社〔足手皇神〕(大分県竹田市飛田川字天神)[87][11][88]
- 足手荒神(大分県竹田市飛田川字坂折)[89]
- 足手荒神(大分県竹田市拝田原)[11]
- 足手荒神(大分県竹田市次倉宮戸)[89]
- 足手荒神(大分県竹田市次倉妙見)[89]
- 足手荒神(大分県竹田市小野)[89]
- 足手荒神(大分県竹田市刈小野)[89]
- 二日市足手荒神社(大分県玖珠郡九重町大字松木)[30] - 当初は、玖珠川の支流・松木川にかかる松木橋のたもとにあったが、御守役の転居で荒れていたことから、明治34、5年ころに遷座、さらに昭和48年、参拝者の増加を受けて現在地に移したとされる[90]。崇敬者1万人と号し、4月10日と9月10日の大祭には大分県内のほか、福岡県方面、豊前地方からも集まった大勢の参拝者で賑わうという[91][92]。
同種の習俗
[編集]足手荒神のみならず、手足の疾病・傷害の平癒を祈願した上、手型や足型を奉納する習俗は、日本各地で広く行われてきた[93]。その例としては、 岩手県北上市立花の千手観音堂[94]、 栃木県足利市五十部町の大手神社[95]、 新潟県村上市葡萄の河内神社[96]、 福井県三方上中郡若狭町の三方石観世音[97]、 静岡県浜松市天竜区水窪町の足神神社[98]、 岡山県新見市大佐上刑部の足王様[99]、 福岡県福岡市東区蒲田の曾我神社[100]、 福岡県福岡市博多区吉塚の飛来神社[101]、 福岡県太宰府市太郎左近の太郎左近社[102]、 福岡県糸島市志摩稲留の瑠璃光寺[103]、 福岡県宗像市吉留の現人神社[104]、 福岡県篠栗町城戸の城戸千手観音堂(足手観音堂)[105]などがある。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『日本の神仏の辞典』21頁
- ^ 伊藤『宴と日本文化』130-131頁、(伊藤幹治 1994, p. 180-181)は、「民衆生活のなかから生まれた小さな神がみ」として、疣石さま、耳神、腰神とともに足手荒神を挙げる。
- ^ 『日本の神仏の辞典』21頁をはじめ、後掲する各所の足手荒神についての文献。
- ^ 例えば、今村『日本の民間医療』79頁は別府市南立石の手足荒神の奉納品として松葉杖を挙げ、『九州の��間信仰』245頁に掲載の「竹田市拝田原の足手荒神」の写真には奉納された複数の松葉杖が写り、『竹田市史 下巻』346-347頁は豊岡地区天神にある足手荒神の奉納品としてギプス・松葉杖を挙げる。
- ^ 『九州の民間信仰』186頁〔牛島盛光執筆〕、牛島『図説日本民俗誌』91頁
- ^ 『熊本県神社誌』163頁、『大津町史』1131頁
- ^ 『全国寺院名鑑』203頁、『熊本県の地名』728頁、『角川日本地名大辞典 熊本』121頁、『日本名刹大事典』24頁、『神社・寺院名よみかた辞典』432頁
- ^ 医王寺の青面金剛が足手荒神として祀られていることについては、医王寺の庚申碑と青面金剛堂(市指定) - 八代市公式ホームページ、白雲山 医王寺 - 九州八十八ヶ所百八霊場会。『角川日本地名大辞典 熊本』121頁には、青面金剛堂は足手荒神として参拝者が多いとある。なお、医王寺再興後の住職は玄竜という修験者であった。内部リンク先参照。
- ^ 窪『庚申信仰の研究』452頁は、西巌殿寺で足手荒神として祀られている石像は青面金剛で、「豪照」「豪海」という修験者らしき名が彫ってあるとする。
- ^ 大辞泉【青面金剛】
- ^ a b c d e f g h i j k 『九州の民間信仰』244頁〔松岡実執筆〕
- ^ a b 境内 - 六角堂観音本覚寺
- ^ a b 『岱明町史』1377頁
- ^ a b 高野山 宗泉寺について
- ^ 丸山『熊本県民俗事典』271頁
- ^ 赤峯「同情悲願の御利益」
- ^ 旧飽託郡内の足手荒神としては、熊本県熊本市西区河内町野出にある「足手大荒神」が地図上に確認できるが、託麻某の伝来をもつ足手荒神との関連は不明。
- ^ 矢島嗣久 2007, p. 74.
- ^ 坂石要 2003, p. 46.
- ^ 今村『日本の民間医療』79頁や『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕によれば、元は大木の根方に祀られていたという。
- ^ 大分合同新聞 平成3年7月9日 朝刊13頁、『生きている民俗探訪 大分』108頁、『九重町誌 下巻』816頁
- ^ 大辞泉【少彦名神】、大辞泉【薬師如来】
- ^ a b 柳田『村のすがた』100-102頁の小稿「足手荒神」は、「秋田縣男鹿本山」「男鹿の本山の門前」(現・男鹿市船川港本山門前)の足手荒神を紹介。
- ^ a b 『綜合日本民俗語彙 第1巻』26頁は「足手荒神 秋田縣南秋田郡」の写真を載せる。『日本民俗図録』図版163頁も同じ写真を載せ、解説144-145頁には「秋田縣南秋田郡拂戸村」とあり、『雪国の民俗』213頁の同じ写真には「南秋田・拂戸」とある(払戸村は現在の男鹿市)。『雪国の民俗』を参考文献として挙げる『秋田民俗語彙事典』27頁の「足手荒神」の項には、男鹿半島の若美町・払戸長根集落にある旨の記述があり、『秋田民俗事典』男鹿市10頁の「足手荒神」の項にも、払戸の長根集落にある旨の記載がある。
- ^ ほかに秋田県の足手荒神に触れたものとして、『日本妖怪大百科』34頁。同種の習俗がある福井県の三方石観音、岡山県の足王様とともに挙げる。
- ^ 『ムラの生活 下』379頁に、浮羽郡田主丸町大字野田字石王における個人祈願として、「草野の足手コウジン」での手足の病気平癒祈願が挙げられている。
- ^ 『ムラの生活 下』431頁に、三井郡大刀洗町大字守部における個人祈願として、足手荒神への手足の病気平癒祈願が挙げられている。
- ^ a b 『大分市伝統文化調査報告書 野津原地区』48頁
- ^ a b 『直入郡志』216頁、『綜合日本民俗語彙 第1巻』26頁、柳田『分類祭祀習俗語彙』454頁、『日本の神仏の辞典』21頁、染矢『日本の民俗 大分』140頁、民俗語彙データベース - 国立歴史民俗博物館サイト内(「アシテコウジン」で検索)
- ^ a b 北緯33度15分51.5秒 東経131度10分45秒 / 北緯33.264306度 東経131.17917度
- ^ 前津江村(現・日田市前津江町)の足手荒神につき『民俗行事と伝説 前津江の文化財』53頁。また中津江村(現・日田市中津江村)にあった足手荒神を、道路拡幅工事に伴い、玖珠郡九重町の老健施設敷地内に移設したとの記事がある(西日本新聞 平成8年4月25日 朝刊 20頁)。
- ^ 柳田『村のすがた』102頁は、佐賀県神埼郡三瀬村(現・佐賀市)の脚気地蔵尊(脚気が治るとの霊験があるといい、木槌を奉納する。) や、東京都杉並区久我山の久我山稲荷神社にある庚申(病気平癒の霊験があるといい、砧を奉納する。)に木槌や砧を奉納するのは、手型、足型の奉納が変化した姿ではないかと推測する。
- ^ a b 今村『日本の民間医療』79頁
- ^ 染矢『日本の民俗 大分』140頁、『九州・沖縄の民間療法』148頁〔小玉洋美執筆〕も「手足荒神」とする。一方、(坂石要 2003, p. 46)には、「足手荒社」とある。
- ^ 『大分市伝統文化調査報告書 野津原地区』48頁。『岱明町史』1377頁。後者は、呼び名が、一般的な「足手荒神」ではない理由は不詳とする。
- ^ 現在の住所表示としては、男鹿市福川になる(男鹿市ジオパーク学習センター特設コーナーができました! - 男鹿半島・大潟ジオパーク)
- ^ 秋田魁新報平成27年12月1日「北斗星」、同月27日「ふるさと小紀行」、
- ^ 『若美町の石造遺物(第二集)』
- ^ 水木「手足の神」、水木『水木しげるの妖怪事典』、水木『妖怪画談』。「手足の神」には「秋田県南秋田郡若美町払戸」、『水木しげるの妖怪事典』には「秋田県若美町払戸にある」、『妖怪画談』には「民俗学図録を見ていたら」「秋田県若美町払戸というところ」とある。
- ^ 久保田『「日本の神さま」おもしろ小事典』76頁
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- ^ 北緯32度50分14.5秒 東経130度37分15.1秒 / 北緯32.837361度 東経130.620861度
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参考文献
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- 牛島盛光『図説日本民俗誌・熊本』(岩崎美術社,1987)
- 柳田國男『村のすがた』(朝日新聞社,1948)
- 民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙 第1巻』(平凡社,1955)
- 民俗学研究所編『日本民俗図録』(朝日新聞社,1955)
- 『日本妖怪大百科 discover妖怪』(講談社,2007)ISBN 9784063700343
- 西日本文化協会編『福岡県史 民俗資料編2 ムラの生活 下』(福岡県,1988)
- 直入郡教育会編『直入郡志』(直入郡教育会,1924)
- 柳田國男『分類祭祀習俗語彙』(角川書店,1963)
- 染矢多喜男『日本の民俗 44 大分』(第一法規出版,1973)
- 今村充夫『日本の民間医療』(弘文堂<日本民俗学研究叢書>,1983) ISBN 4335570287
- 佐々木哲哉ら著『九州・沖縄の民間療法』(明玄書房,1976)
- 坂石要「「石垣原合戦」余話」『別府史談』第17巻、別府史談会、2003年12月、46-47頁、CRID 1050282812629285376。
- 岱明町史編纂委員会・執筆委員会編『岱明町史』(岱明町,2005)
- 上米良純臣編著『熊本県神社誌』(青潮社,1981)
- 大津町史編纂委員会編纂室編『大津町史』(大津町,1988)
- 『全国寺院名鑑 中国・四国・九州・沖縄・海外篇』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会,1969)
- 『日本歴史地名大系 第44巻 熊本県の地名』(平凡社,1985) ISBN 4582490441
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 43 熊本』(角川書店,1987) ISBN 4040014308
- 圭室文雄編『日本名刹大事典』(雄山閣出版,1992) ISBN 4639011156
- 『神社・寺院名よみかた辞典』(日外アソシエーツ,1989) ISBN 4816909044
- 窪徳忠『庚申信仰の研究 日中宗教文化交渉史』(日本学術振興会,1961)
- 丸山学『熊本県民俗事典』(日本談義社,1965)
- 赤峯太郎「同情悲願の御利益」郷土研究1巻2号92頁(郷土研究社,1913)
- 矢島嗣久「改訂 石垣原合戦の史跡について」『別府史談』第20巻、別府史談会、2007年3月、66-77頁、CRID 1050001337653527296。
- 水木しげる「手足の神 南秋田郡若美町払戸(3)日本土俗神探訪」太陽11巻3号126-127頁(平凡社,1973)
- 水木しげる『水木しげるの妖怪事典』(東京堂出版,1981)
- 水木しげる『妖怪画談 カラー版』(岩波書店<岩波新書>,1992) ISBN 4004302382
- 久保田裕道『「日本の神さま」おもしろ小事典』(PHP研究所,2008) ISBN 9784569704609
- 熊本民俗文化研究会編「八代の民俗」大島暁雄ほか編『九州・沖縄の民俗 熊本県編』(三一書房<日本民俗調査報告書集成>,1996) ISBN 4380965929
- 水俣市史編さん委員会編『新水俣市史 民俗・人物編』(水俣市,1997)
- 荒尾市史編集委員会編『荒尾市史 環境・民俗編』(荒尾市,2000)
- 菊鹿町史編集委員会編『菊鹿町史 本編』(菊鹿町,1996)
- 菊池市『菊池市史 下巻』(菊池市,1986)
- 浜名志松『天草伝説集』(葦書房,1986)
- 玉東町史編集委員会編『玉東町史 通史編』(玉東町,1995)
- 三加和町史編集委員会編『三加和町史 下巻』(三加和町教育委員会,1994)
- 勝瀬志保『九州の東の端から西の果てまで里山遠足』(海鳥社,2002) ISBN 4874153844
- 菊水町史編纂委員会編『菊水町史 通史編』(和水町,2007)
- 橋本浩編『熊本県阿蘇郡小国郷土誌』(阿蘇郡北部教育会,1923)
- 禿迷盧『小国郷史』(河津泰雄,1960)
- 森田誠一『熊本県の歴史』(山川出版社<県史シリーズ>,1972)
- 三隅治雄ほか編『日本祭礼地図 2 (夏季編) 』(国土地理協会,1979)
- 産山村誌編さん委員会編『産山村誌』(産山村,1988)
- 今村歳親「芥神(あくたがみ)と足手荒神」夜豆志呂96号30-31頁(八代史談会,1990)
- 「南郷事蹟考」森本一瑞編『肥後国誌 下 復刻版』(青潮社,1972)
- 久木野村誌編纂委員会編『久木野村誌 第1巻』(久木野村教育委員会,1985)
- 竜北村教育委員会編『竜北村史』(竜北村,1973)
- 大分市教育委員会編『大分市伝統文化調査報告書 野津原地区』(大分市教育委員会,2010)
- 別府市『別府市誌』(別府市,1985)
- 前津江村教育委員会編『民俗行事と伝説 前津江の文化財』(前津江村教育委員会,1987)
- 直入町誌刊行会編集委員会編『直入町誌』(直入町誌刊行会,1984)
- 久住町誌編集委員会編『久住町誌』(久住町,1984)
- 角田一郎編『農村舞台探訪』(和泉書院,1994) ISBN 4870886561
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 44 大分県』(角川書店,1980)
- 『竹田市史 下巻』(竹田市史刊行会,1987)
- 岡本香村『竹田奇聞 中』(竹屋書店,1975)〔底本は昭和20年〕
- 小玉洋美ら「研究ノート 大分県の民具(二)」大分県地方史82号36頁
- 染矢多喜男編著『生きている民俗探訪大分』(第一法規出版,1979)
- 九重町編『九重町誌 下巻』(九重町,1995)
- 広報ここのえ588号(2005年5月号)
- 立川昭二『病気を癒す小さな神々』(平凡社,1993) ISBN 4582739083
- 『願い・奉納物 祈りは生きる力の源』(ワールドフォトプレス,2007) ISBN 9784846526542
- 芳賀登ほか編『江戸時代の民間信仰』(雄山閣出版,1980)
- 萩原秀三郎, 須藤功『日本宗教民俗図典』(法蔵館,1985)
- 岩井宏實『暮しの中の神さん仏さん』(文化出版社,1980)
- 九重町中央公民館編『九重寿大学研究資料集 4集』(九重町中央公民館,1977)
- 柳田國男, 三木茂『雪国の民俗 昭和52年復刻版』(第一法規出版,1977)
- 稲雄次編著『秋田民俗語彙事典』(無明舎出版,1990)
- 井上隆明編『秋田民俗事典』(秋田経済大学雪国民俗研究所,1965)
- 若美町教育委員会編『若美町の石造遺物(第二集)』(若美町教育委員会,1995)
- 久留米市史編さん委員会編『久留米市史 第5巻』(久留米市,1986)