ユニバーシアードサッカー競技
ユニバーシアード男子サッカー競技 | |
---|---|
開始年 | 1979年 |
終了年 | 2019年 |
主催 | FISU |
地域 | 世界 |
参加チーム数 | 16 |
前回優勝 | 日本(7回目) |
最多優勝 | 日本(7回) |
ユニバーシアード女子サッカー競技 | |
---|---|
開始年 | 1993年 |
主催 | FISU |
地域 | 世界 |
参加チーム数 | 12 |
前回優勝 | 北朝鮮(3回目) |
最多優勝 |
ブラジル 北朝鮮(3回) |
FISUワールドユニバーシティゲームズにおけるサッカー競技は、男子競技と女子競技が行われており、そのうち男子競技は1979年のメキシコシティ大会で公開競技として実施、1985年の神戸大会から正式競技として実施されていた。また、女子競技は1993年のバッファロー大会から実施されていた。2019年ナポリ大会がユニバーシアードのサッカー競技としての最後の大会となり、大学代表ではなく、大学単一チームが出場する大学サッカー世界選手権大会が新設される予定である[1]。
概要
[編集]ユニバーシアード設立以前に行われていた「国際学生競技会」や「国際学生スポーツ週間」と「青年学生スポーツ大会」ではサッカー競技が行われていたが、ユニバーシアード設立からはユニバーシアードでサッカー競技は行われず、「世界大学選手権」という独立した形で学生ナショナルチームによるサッカーの世界選手権大会が2年に1回行われていた。 しかし、最終的には1982年を最後に世界学生選手権を廃止しユニバーシアードへ完全移行。学生ナショナルチームによるサッカーの世界選手権としてユニバーシアードへと継承される形となった。
1981年11月に、1985年ユニバーシアード神戸大会が決まると、当時日本サッカー協会理事及び日本オリンピック委員会常任理事であった岡野俊一郎が「日本サッカーにとって大学サッカーは重要」との考えから来日していた当時世界のスポーツ界に強い影響力を持っていた岡野の友人のホルスト・ダスラー(アディダス創始者アドルフ・ダスラーの息子)にユニバーシアード神戸大会からサッカーを正式競技にする為、助力を頼んだ。すると、ホルスト・ダスラーはニューヨークにいたこれまた岡野の友人でもある国際大学スポーツ連盟(FISU)会長のプリモ・ネビオロに電���をかけ、岡野に取り次いだ。岡野の依頼を承諾したネビオロFISU会長は、FISU実行委員会から最初反対を受けたが、ネビオロFISU会長が強引に規約を改正して、ユニバーシアード神戸大会からサッカーを正式競技にした[2]。以後現在も、サッカーはユニバーシアードの正式競技となっている。
また、世界大学選手権との関係で開催国の要望による追加競技とされたため、サッカー競技を実施しない大会もあったが近年は毎大会実施されている。
2019年ナポリ大会がユニバーシアードサッカーとしての最後の大会となり、国別の大学代表ではなく、大学単一チームが出場する大学サッカー世界選手権大会が新設される予定である[1]。
参加国
[編集]男子は1987年ザグレブ大会以降、16ヶ国で行われている。1979年メキシコ大会は24ヶ国、1985年神戸大会は12ヶ国で行われた。
また、女子については1983年ハミルトン大会は8ヶ国、2001年北京大会から2005年イズミル大会まで12ヶ国、2007年バンコク大会は16ヶ国で行われている。
開催方式
[編集]男子競技、女子競技ともに同様の方式で行われている。
16ヶ国を4つのグループに分け総当りのリーグ戦を行い、各グループ上位2ヶ国の計8ヶ国が決勝トーナメントに進出。1位から16位まで順位決定をするために決勝トーナメントに進出できなかった8ヶ国もトーナメント戦を行い順位決定を行う、従って出場国は同じ試合数を行わなければならない。
結果
[編集]男子
[編集]回 | 開催年 | 開催地 | 決勝戦 | 3位決定戦 | 出場 国数 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 結果 | 準優勝 | 3位 | 結果 | 4位 | |||||||
1 | 1979年1 | メキシコシティ | メキシコ | 5 - 3 | ウルグアイ | ルーマニア | 4 - 1 | オランダ | 24 | |||
1981年 | ブカレスト | サッカー競技は開催されず | - | |||||||||
1983年 | エドモントン | サッカー競技は開催されず | - | |||||||||
2 | 1985年 | 神戸 | 北朝鮮 | 1 - 0 | ウルグアイ | 中華人民共和国 | 4 - 2 | 日本 | 12 | |||
3 | 1987年 | ザグレブ | ソビエト連邦 | 5 - 0 | 韓国 | 北朝鮮 | 3 - 0 | 中華人民共和国 | 16 | |||
1989年 | デュースブルク | サッカー競技は開催されず | - | |||||||||
4 | 1991年 | シェフィールド | 韓国 | 0 - 0 aet (PK 5 - 4) |
オランダ | イギリス | 2 - 1 | ウルグアイ | 16 | |||
5 | 1993年 | バッファロー | チェコ | 2 - 1 | 韓国 | ドイツ | 2 - 1 | イギリス | 16 | |||
6 | 1995年 | 福岡 | 日本 | 2 - 0 | 韓国 | ロシア | 3 - 1 | ウクライナ | 16 | |||
7 | 1997年 | シチリア | イタリア | 1 - 0 | 韓国 | アメリカ合衆国 | 2 - 1 | ウクライナ | 16 | |||
8 | 1999年 | パルマ | スペイン | 2 - 1 aet | イタリア | ブラジル | 2 - 2 aet (PK 5 - 4) |
チェコ | 16 | |||
9 | 2001年 | 北京 | 日本 | 1 - 0 | ウクライナ | 韓国 | 0 - 0 aet (PK 5 - 4) |
中華人民共和国 | 16 | |||
10 | 2003年 | 大邱 | 日本 | 3 - 2 | イタリア | チェコ | 3 - 1 | モロッコ | 16 | |||
11 | 2005年 | イズミル | 日本 | 3 - 3 aet (PK 3 - 2) |
イタリア | モロッコ | 1 - 1 aet (PK 4 - 3) |
ブラジル | 16 | |||
12 | 2007年 | バンコク | ウクライナ | 1 - 0 | イタリア | タイ | 1 - 1 aet (PK 5 - 3) |
カナダ | 16 | |||
13 | 2009年 | ベオグラード | ウクライナ | 3 - 2 | イタリア | 日本 | 1 - 0 | イギリス | 16 | |||
14 | 2011年 | 深圳 | 日本 | 2 - 0 | イギリス | ブラジル | 2 - 0 | ロシア | 16 | |||
15 | 2013年 | カザン | フランス | 3 - 2 aet | イギリス | 日本 | 3 - 0 | ロシア | 15 | |||
16 | 2015年 | 光州 | イタリア | 3 - 0 | 韓国 | 日本 | 0 - 0 aet (PK 7 - 6) |
ブラジル | 16 | |||
17 | 2017年 | 台北 | 日本 | 1 - 0 | フランス | メキシコ | 0 - 0 aet (PK 5 - 3) |
ウルグアイ | 16 | |||
18 | 2019年 | ナポリ | 日本 | 4 - 1 | ブラジル | イタリア | 2 - 2 aet (PK 4 - 3) |
ロシア | 12 |
^1 1979年大会は公開競技として実施。
女子
[編集]回 | 開催年 | 開催地 | 決勝戦 | 3位決定戦 | 出場 国数 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 結果 | 準優勝 | 3位 | 結果 | 4位 | |||||||
1 | 1993年 | ハミルトン2 | 中華人民共和国 | 2 - 1 | アメリカ合衆国 | ロシア | 2 - 0 | チャイニーズタイペイ | 8 | |||
1995年 | 福岡 | 女子サッカー競技は開催されず | - | |||||||||
1997年 | シチリア | 女子サッカー競技は開催されず | - | |||||||||
1999年 | パルマ | 女子サッカー競技は開催されず | - | |||||||||
2 | 2001年 | 北京 | ブラジル | 2 - 1 aet | オランダ | 韓国 | 4 - 3 | フランス | 12 | |||
3 | 2003年 | 大邱 | 北朝鮮 | 3 - 0 | 日本 | 中華人民共和国 | 2 - 0 | チャイニーズタイペイ | 12 | |||
4 | 2005年 | イズミル | ブラジル | 2 - 1 | 中華人民共和国 | 日本 | 2 - 0 | フランス | 12 | |||
5 | 2007年 | バンコク | 北朝鮮 | 1 - 0 | ロシア | ブラジル | 2 - 1 | アイルランド | 16 | |||
6 | 2009年 | ベオグラード | 韓国 | 4 - 1 | 日本 | イギリス | 4 - 1 | フランス | 16 | |||
7 | 2011年 | 深圳 | 中華人民共和国 | 2 - 1 aet | 日本 | ブラジル | 4 - 1 | フランス | 12 | |||
8 | 2013年 | カザン | イギリス | 6 - 2 | メキシコ | ブラジル | 2 - 1 | 南アフリカ共和国 | 12 | |||
9 | 2015年 | 光州 | フランス | 2 - 0 | ロシア | 日本 | 5 - 0 | カナダ | 15 | |||
10 | 2017年 | 台北 | ブラジル | 1 - 0 | 日本 | ロシア | 5 - 0 | 南アフリカ共和国 | 13 | |||
11 | 2019年 | ナポリ | 北朝鮮 | 2 - 1 | 日本 | ロシア | 2 - 2 aet (PK 4 - 2) |
アイルランド | 12 |
統計
[編集]男子
[編集]順 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 日本 | 7 | 0 | 3 | 10 |
2 | イタリア | 2 | 5 | 1 | 8 |
3 | ウクライナ | 2 | 1 | 0 | 3 |
4 | 韓国 | 1 | 5 | 1 | 7 |
5 | フランス | 1 | 1 | 0 | 2 |
6 | 北朝鮮 | 1 | 0 | 1 | 2 |
6 | チェコ | 1 | 0 | 1 | 2 |
6 | ロシア | 1 | 0 | 1 | 2 |
6 | メキシコ | 1 | 0 | 1 | 2 |
10 | スペイン | 1 | 0 | 0 | 1 |
11 | イギリス | 0 | 2 | 1 | 3 |
12 | ウルグアイ | 0 | 2 | 0 | 2 |
13 | ブラジル | 0 | 1 | 2 | 3 |
14 | オランダ | 0 | 1 | 0 | 1 |
15 | ルーマニア | 0 | 0 | 1 | 1 |
15 | ドイツ | 0 | 0 | 1 | 1 |
15 | アメリカ合衆国 | 0 | 0 | 1 | 1 |
15 | モロッコ | 0 | 0 | 1 | 1 |
15 | タイ | 0 | 0 | 1 | 1 |
15 | 中華人民共和国 | 0 | 0 | 1 | 1 |
女子
[編集]順 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ブラジル | 3 | 0 | 3 | 6 |
2 | 北朝鮮 | 3 | 0 | 0 | 3 |
3 | 中華人民共和国 | 2 | 1 | 1 | 4 |
4 | 韓国 | 1 | 0 | 1 | 2 |
4 | イギリス | 1 | 0 | 1 | 2 |
6 | フランス | 1 | 0 | 0 | 1 |
7 | 日本 | 0 | 5 | 2 | 7 |
8 | ロシア | 0 | 2 | 3 | 5 |
9 | アメリカ合衆国 | 0 | 1 | 0 | 1 |
9 | オランダ | 0 | 1 | 0 | 1 |
9 | メキシコ | 0 | 1 | 0 | 1 |
脚注
[編集]- ^ a b 長友ら出場ユニバからサッカー消滅 大学W杯新設へ-日刊スポーツ、2018年4月30日
- ^ 山本昌邦著『日本サッカー遺産-ワールドカップ出場舞台裏の歴史と戦略』P144~P145