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ミロシュ・バヤリッツァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミロシュ・バヤリツァ
名前
愛称 バキ
ラテン文字 Miloš Bajalica
キリル文字 Милош Бајалица
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1981-12-15) 1981年12月15日(43歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ベオグラード
身長 185cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 セルビア・モンテネグロの旗 FKクネジェヴァツ 49 (3)
2002-2007 セルビア・モンテネグロの旗 OFKベオグラード 72 (5)
2003 セルビア・モンテネグロの旗 FKニェゴシュ英語版 (Loan) 30 (4)
2007 セルビアの旗 レッドスター・ベオグラード 13 (0)
2008-2009 日本の旗 名古屋グランパス 39 (0)
2010 中華人民共和国の旗 河南建業 10 (1)
2010-2011 中華人民共和国の旗 陝西宝栄 41 (2)
2012-2015 日本の旗 京都サンガF.C. 131 (8)
2016-2019 セルビアの旗 FK Apolon 2018 Kovaci
通算 385 (23)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミロシュ・バヤリツァセルビア語: Милош Бајалица、ラテン文字表記:Miloš Bajalica1981年12月15日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)・ベオグラード出身の元サッカー選手

経歴

[編集]

2002年にOFKベオグラードでデビュー[1]。2006-07シーズン途中まで在籍し、後年にはキャプテンも務めていた[2]。2007年に当時のレッドスター会長・ドラガン・ストイコビッチの誘いを受けて[2]レッドスター・ベオグラードへ移籍し、翌2008年にストイコビッチが名古屋グランパスの監督に就任する際には守りの要として名古屋へ移籍した[1]

来日当初は生活パターンの変化[3] や、夏場の猛暑[4] の影響により持ち味を発揮できない試合があったが、徐々に調子を取り戻し2008年シーズン終盤には守備の要として活躍していた。

2009年は3月7日のリーグ開幕戦大分戦での怪我により4月8日のACLニューカッスル戦までを欠場[5]。4月28日には母親の看病を理由として帰国している[6]。7月11日に再来日し、13日の練習からチームへ再合流[7]、同月18日のリーグ戦京都戦からベンチ入りしている。なお、帰国中には古巣のOFKベオグラードで練習していたことや、再合流の目処も立っていなかったことから移籍も噂された[6] が、バヤリツァ本人は“デタラメ”と否定している[7]。2009年シーズンをもって退団。中国超級河南建業足球倶楽部への移籍が発表された[8]

2012年1月、京都サンガF.C.へ完全移籍した[9]。2015年シーズンをもって京都を退団した[10]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
セルビア・モンテネグロ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2000-01 FK Knezevac Srpska Liga
2001-02 29 3
2002-03 OFKベオグラード Prva Liga 19 1
2003-04 ニェゴシュ英語版 Srpska Liga 12 0
OFKベオグラード Prva Liga 13 2
2004-05 19 2
2005-06 22 0
セルビア リ��グ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2006-07 OFKベオグラード 20 スーペル 13 1
レッドスター・ベオグラード 19 9 0
2007-08 10 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 名古屋 3 J1 26 0 7 0 2 0 35 0
2009 13 0 1 0 3 0 17 0
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2010 河南建業 35 超級 10 1 0 0 0 0 10 1
陝西宝栄 2 18 0 0 0 0 0 18 0
2011 23 2 0 0 3 0 26 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012 京都 20 J2 26 1 - 2 0 28 1
2013 33 4 - 2 0 35 4
2014 36 1 - 2 0 38 1
2015 36 2 - 1 0 37 2
通算 セルビア・モンテネグロ
セルビア
日本 J1 39 0 8 0 5 0 52 0
日本 J2 131 8 - 7 0 138 8
中国 超級 51 3 0 0 3 0 54 3
総通算

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFA CUPUEFA Cup
2006-07 OFK 20 2 1
2007-08 レッドスター 19 4 0
通算 UEFA Cup 4 0
AFCACL
2009 名古屋 3 3 0
2010 河南建業 35 6 0
通算 AFC 9 0

脚注

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  1. ^ a b 中日スポーツ (2008年1月22日). “ピクシー「優勝」するために帰ってきた きょう監督就任”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月13日閲覧。
  2. ^ a b 日刊スポーツ (2008年1月24日). “秘蔵っ子DFバヤリツァがフル回転宣言”. 2008年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月13日閲覧。
  3. ^ 中日スポーツ (2008年5月14日). “バヤリッツァ、昼間ハ苦手デス 生活習慣を改善中”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月13日閲覧。
  4. ^ 中日スポーツ (2008年7月16日). “バヤリッツァ、名古屋の暑さOK 30分遅らせ練習”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月13日閲覧。
  5. ^ 日刊スポーツ (2009年3月27日). “名古屋DFバヤリッツァがチームに合流”. 2009年7月13日閲覧。
  6. ^ a b スポニチアネックス (2009年6月9日). “ケネディ獲りに含み…名古屋「調査はしている」”. 2009年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月13日閲覧。
  7. ^ a b 中日スポーツ (2009年7月14日). “バヤリッツァ2カ月ぶり合流 コンディションOK”. 2009年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月20日閲覧。
  8. ^ 名古屋グランパス official web site (2010年2月22日). “バヤリッツァ選手、河南建業(中国)ヘ完全移籍のお知らせ”. 2010年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月22日閲覧。
  9. ^ バヤリッツァ選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2012年1月13日http://www.sanga-fc.jp/news/detail/15841/2013年5月19日閲覧 
  10. ^ 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2015年12月10日。オリジナルの2017年6月11日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20170611062249/http://www.sanga-fc.jp/news/detail/31712/2015年12月25日閲覧 

関連項目

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外部リンク

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