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「ボスニア・ヘルツェゴビナの国章」の版間の差分

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ちなみに[[1992年]]から[[1998年]]まで使われた旧国章は中世の[[ボスニア]]の王家[[コトロマニッチ家]](中でも[[オスマン帝国]]に立ち向かったステファン・トゥルトゥコを意識している)に由来する、金枠[[アジュール (紋章学)|青地]]の[[エスカッシャン (紋章学)|盾]]に[[アージェント (紋章学)|銀(白)]]の[[ベンド (紋章学)|ベンド(斜め帯)]]に6つの[[オーア (紋章学)|金(黄)]]の百合([[フルール・ド・リス]])を描いたもの。しかし国家のシンボルと云うにはあまりにボスニア寄りという理由で、セルビア系住民、クロアチア系住民の反発に遭い、現在のものが制定された。現在の紋章も公務員のユニフォームなどに見られるものの、国内ではほとんど使われていない。
ちなみに[[1992年]]から[[1998年]]まで使われた旧国章は中世の[[ボスニア]]の王家[[コトロマニッチ家]](中でも[[オスマン帝国]]に立ち向かったステファン・トゥルトゥコを意識している)に由来する、金枠[[アジュール (紋章学)|青地]]の[[エスカッシャン (紋章学)|盾]]に[[アージェント (紋章学)|銀(白)]]の[[ベンド (紋章学)|ベンド(斜め帯)]]に6つの[[オーア (紋章学)|金(黄)]]の百合([[フルール・ド・リス]])を描いたもの。しかし国家のシンボルと云うにはあまりにボスニア寄りという理由で、セルビア系住民、クロアチア系住民の反発に遭い、現在のものが制定された。現在の紋章も公務員のユニフォームなどに見られるものの、国内ではほとんど使われていない。
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== ユーゴ時代の国章 ==
== ユーゴ時代の国章 ==
かつて[[ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国]]だった時は、産業を表す2本の煙突を、赤い布で結ばれた小麦の茎と広葉樹と針葉樹の枝で囲い込んだ上に[[赤い星]]が描かれる、社会主義国に典型的かつ特定の民族的シンボルを描いていないデザインであった。これは社会主義的なデザインとなっても民族的な紋章が描かれていた同じ構成国であるクロアチアやセルビアとは異なり、多民族が混在する地域的共和国とみなされていたが故のデザインであった。
かつて[[ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国]]だった時は、産業を表す2本の煙突を、赤い布で結ばれた小麦の茎と広葉樹と針葉樹の枝で囲い込んだ上に[[赤い星]]が描かれる、社会主義国に典型的かつ特定の民族的シンボルを描いていないデザインであった。これは社会主義的なデザインとなっても民族的な紋章が描かれていた同じ構成国であるクロアチアやセルビアとは異なり、多民族が混在する地域的共和国とみなされていたが故のデザインであった。
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Wappen Bosnien-Herzegowina.png|近代ボスニア・ヘルツェゴビナの紋章
Wappen Bosnien-Herzegowina.png|近代ボスニア・ヘルツェゴビナの紋章
ファイル:Coat of Arms of the Socialist Republic of Bosnia and Herzegovina.svg|1945年から1992年までの国章(共産ユーゴ時代)
ファイル:Coat of Arms of the Socialist Republic of Bosnia and Herzegovina.svg|1945年から1992年までの国章(共産ユーゴ時代)
画像:Coat of Arms of Bosnia and Herzegovina (1992-1998).svg|1992年-1998年の国章
画像:Coat of of Bosnia and Herzegovina ().svg|1992年-1998年の国章
画像:CoA of the Federation of Bosnia and Herzegovina (1996-2007).svg|[[ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦]]の紋章(1996年から2007年まで)
画像:CoA of the Federation of Bosnia and Herzegovina (1996-2007).svg|[[ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦]]の紋章(1996年から2007年まで)
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2019年7月24日 (水) 07:15時点における最新版

ボスニア・ヘルツェゴビナの国章
詳細
使用者 ボスニア・ヘルツェゴビナ
採用 1998年5月20日

ボスニア・ヘルツェゴビナ国章(ボスニア・ヘルツェゴビナのこくしょう)とは1998年5月20日に制定されたボスニア・ヘルツェゴビナの徽章のこと。

現在軍の紋章に使われる旧国章から、ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗のデザインをそのまま盾にはめ込むだけのシンプルな紋章に代わっている。

ちなみに1992年から1998年まで使われた旧国章は中世のボスニアの王家コトロマニッチ家(中でもオスマン帝国に立ち向かったステファン・トゥルトゥコを意識している)に由来する、金枠青地銀(白)ベンド(斜め帯)に6つの金(黄)の百合(フルール・ド・リス)を描いたもの。しかし国家のシンボルと云うにはあまりにボスニア寄りという理由で、セルビア系住民、クロアチア系住民の反発に遭い、現在のものが制定された。現在の紋章も公務員のユニフォームなどに見られるものの、国内ではほとんど使われていない。

1992年-1998年の国章

ユーゴ時代の国章

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かつてボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国だった時は、産業を表す2本の煙突を、赤い布で結ばれた小麦の茎と広葉樹と針葉樹の枝で囲い込んだ上に赤い星が描かれる、社会主義国に典型的かつ特定の民族的シンボルを描いていないデザインであった。これは社会主義的なデザインとなっても民族的な紋章が描かれていた同じ構成国であるクロアチアやセルビアとは異なり、多民族が混在する地域的共和国とみなされていたが故のデザインであった。

関連項目

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