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=== 安芸井上氏粛清事件 === |
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安芸井上氏が粛清された事情については元就が「井上衆罪状書」を記しており、元々は[[安芸国]]の[[国人]]であった安芸井上氏は、元有の伯父である[[井上光兼|光兼]]の代に[[毛利弘元]]に仕えて以後、毛利氏において重要な位置を占める一族となったが後も安芸井上氏の権勢は増していき、[[毛利興元]]の死後30余年に渡って傍若無人な振る舞いをしていたと元就は述べている<ref name=mouri398>『毛利家文書』第398号 年未詳8月4日付 [[尾崎局]]宛て毛利元就井上衆罪状書。</ref>。 |
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2024年12月21日 (土) 06:50時点における最新版
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 天文19年7月12日(1550年8月24日) |
改名 | 井上元景→井上元有 |
別名 | 通称:与三右衛門尉 |
主君 | 毛利元就 |
氏族 | 安芸井上氏 |
父母 | 父:井上有景 |
兄弟 | 元有、元重 |
妻 | 光永秀時の娘[1] |
子 | 与四郎(就勝)、就正 |
井上 元有(いのうえ もとあり)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。安芸井上氏は清和源氏の流れを汲む信濃源氏井上氏の支流。父は井上有景。初名は元景(もとかげ)。
生涯
[編集]毛利家中での活躍
[編集]天文9年(1540年)から始まる吉田郡山城の戦いに元有も参加し、9月12日の鎗分・大田口の戦いで渡辺通や門田宮内大輔らと共に尼子軍に勝利した[4]。合戦後に記された鎗分での合戦における合戦注文において筆頭に「井上與三右衛門尉」の名が記されている[5]。
天文11年(1542年)から始まる大内義隆の出雲遠征(第一次月山富田城の戦い)に毛利元就も大内方として出陣しており[6]、元有もこの戦いに従軍する[7]。
天文12年(1543年)4月30日に大内方についていた出雲国人が再び尼子方に味方したことで大内義隆は重臣たちと協議し、5月7日に大内軍は撤退を開始[8]。毛利軍も尼子軍の追撃を受け、毛利軍と共に戦っていた大内氏重臣の杉隆宣が戦死した[9]が、元有、井上大蔵左衛門尉、三戸元富、児玉就光、井上就重、赤川元保、赤川元秀、内藤六郎右衛門尉らが応戦して尼子軍を撃退した[7][10][11]。その功により、5月12日に元就・隆元父子から感状を与えられた[10]。
天文18年(1549年)12月7日、吉川氏一門の平城経好(後の市川経好)が粟屋元宗に対して吉川元春を奉戴することを毛利氏に対して誓う血判起請文を提出し[12]、12月18日には元有、児玉元良、粟屋元宗に対して起請文の披露を依頼する書状を送っている[13]。
安芸井上氏粛清事件
[編集]天文19年(1550年)7月12日、毛利元就による安芸井上氏粛清の手始めとして、元有が安芸国高田郡竹原[注釈 2]に誘い出され、小早川隆景によって殺害された[14]。翌7月13日には元有の長男・与四郎(就勝)、弟の元重、元重の子の就義も居宅において殺害されている[14]。また、井上元兼の長男・井上就兼が吉田郡山城に召し出されたところを桂就延に討たれ、井上元兼とその次男・井上就澄は元就の命を受けた福原貞俊と桂元澄に居館を包囲襲撃され自害している[14]。
安芸井上氏が粛清された事情については元就が「井上衆罪状書」を記しており、元々は安芸国の国人であった安芸井上氏は、元有の伯父である光兼の代に毛利弘元に仕えて以後、毛利氏において重要な位置を占める一族となったが後も安芸井上氏の権勢は増していき、毛利興元の死後30余年に渡って傍若無人な振る舞いをしていたと元就は述べている[15]。
その具体例の一つとして井上元有とその長男・与四郎(就勝)の振る舞いを挙げており、ある時、元有の長男・与四郎が光永四郎右衛門尉の子・彦七郎と論争になった末に、怒りのあまり彦七郎の顔面を拳で殴り大いに辱めた。これを知った元就は与四郎の行動を憎むと共に、光永彦七郎が恥辱を受けながらもそれを雪ぐことが出来なかったことを遺憾とし、両者の父子に自刃を命じようとした。しかし、安芸井上氏は互いに結託して元就の命に従わないばかりか、光永四郎右衛門尉を斬殺してしまったという[15]。
安芸井上氏の粛清により元有・与四郎父子を含む多くの井上氏与党が誅殺されているが、粛清の対象とならなかった者や粛清から逃れることに成功した者も多く存在しており、元有の次男である就正(孫兵衛)は出雲国へ逃れて尼子晴久・義久父子に仕え、尼子氏滅亡後の永禄10年(1567年)に毛利氏へ帰参している。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 萩藩諸家系譜 1983, pp. 1056.
- ^ 『閥閲録』巻112「井上孫兵衛」家譜。
- ^ 新裁軍記 1993, p. 244.
- ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 100.
- ^ 『毛利家文書』第287号、郡山城諸口合戦注文。
- ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 116.
- ^ a b 毛利元就卿伝 1984, p. 124.
- ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 123.
- ^ 徳山市史 上巻 1984, p. 249.
- ^ a b 『毛利家文書』第283-8号、天文12年(1543年)5月12日付け、井上與三右衛門尉(元景)殿宛て、(毛利)元就・(毛利)隆元連署感状案。
- ^ 『毛利家文書』第283-4号、天文12年(1543年)5月12日付け、井上大藏左衛門尉との宛て、(毛利)元就・(毛利)隆元連署感状案。
- ^ 『吉川家文書』第435号、天文18年(1549年)12月7日付け、粟屋藤右衛門尉(元宗)殿宛て、(市川)式部少輔経好血判起請文。
- ^ 『吉川家文書』第436号、天文18年(1549年)比定12月18日付け、井上与三右衛門尉(元有)殿・兒玉三郎右衛門尉(元良)殿・粟屋藤右衛門尉(元宗)殿宛て、平城式部少輔経好(市川経好)書状。
- ^ a b c 毛利元就卿伝 1984, p. 149.
- ^ a b 『毛利家文書』第398号 年未詳8月4日付 尾崎局宛て毛利元就井上衆罪状書。
参考文献
[編集]- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第8-1 毛利家文書之一』東京帝国大学、1922年12月。国立国会図書館デジタルコレクション
- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第9-1 吉川家文書之一』東京帝国大学、1925年12月。国立国会図書館デジタルコレクション
- 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。 NCID BN01905560。全国書誌番号:84027305。国立国会図書館デジタルコレクション
- 徳山市史編纂委員会 編『徳山市史 上巻』徳山市、1984年1月。全国書誌番号:84046918。国立国会図書館デジタルコレクション
- 三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修『毛利元就卿伝』マツノ書店、1984年11月。
- 田村哲夫校訂『毛利元就軍記考証 新裁軍記』マツノ書店、1993年4月。 NCID BN09195334。全国書誌番号:93063892。
- 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻112「井上孫兵衛」