Wikipedia:削除依頼/閻楽
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議論の結果、存続 に決定しました。
初版[1]がWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/シェーラによる記事のため、正確性に疑問があり。当該者はWikipedia:コメント依頼/虚偽の出典が提示された記事を大量に投稿するユーザーについてに見られるように記事そのものへの信頼性も皆無。よってケースB(当該者の著作権の問題)、あるいはケースZ(当該者シェーラはたびたびに渡り荒らし行為を続けている)に該当し、削除を依頼します。--テスタテイル(会話) 2015年4月24日 (金) 01:47 (UTC)[返信]
コメント上記にあるようにシェーラの荒らしは長期間続いています。私も問題ありと思いますが、量があまりに多大です。そこで、シェーラが初版で改訂も見られない記事は削除の方向で行くべきだと考えます。--2403:99DD:6FE5:7300:75D7:20EC:9BDF:AE60 2015年4月24日 (金) 08:47 (UTC)[返信]
削除 転載元の文献が示されていない以上ケースBを理由とする削除はできないし、「LTAによって作成された記事」という理由がケースZに相当するかどうか私は判断できない。ただ、この記事はケースEの「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」に相当すると考えます。この人物の事績で確認できるものは『史記』の「李斯列伝」「秦始皇本紀」に記されている「趙高の命令を受けて取り調べを行った」「趙高の命令を受けて二世皇帝に詰め寄った」のみで、参考文献に挙げられている『史記の事典』でのこの人物の項目は約100字、その半分以上は趙高の事績の解説に充てられています。平凡社の『アジア歴史事典』、東の復刻版『中国人名辞書』にこの人物の項目は存在せず、cinii[2]、『東洋人物レファレンス事典』政治・外交・軍事篇(日外アソシエーツ, 2013年)でこの人物に関する研究、言及が確認できないため、著名性・特筆性・発展性は無いと判断します。また、参考文献に挙げられている『史記』は原文を参照しそれを訳したのか、あるいは多数存在する日本語に訳されたものを参照したのか不明であり、文中の台詞についてWikipedia:削除依頼/ある書籍の訳文が転載された多数の記事、Wikipedia:削除依頼/ウィクトル2世 (ローマ教皇)などと同様の転載が行われている疑いがあります。すでに存在する趙高の事績の一部を分割し、記事の人物の事績と直接的な関係を持たない時代背景の説明、独自研究([3]、「その兵と~反対したが、」の部分に相当する記述も『史記』『史記の事典』いずれにも存在せず、編集者個人の見解である疑いが強い)で分量を水増しした著名性・特筆性・発展性の無い、かつ著作権侵害の疑いがある記事を存続させる必要性は無いと考えます。--オオミズナギドリ(会話) 2015年4月29日 (水) 09:52 (UTC)[返信]
- 存続 テスタテイルさんが提出したWikipedia:削除依頼/ヒ水の戦い、Wikipedia:削除依頼/景閔王と同じく依頼不備を理由としてこの依頼はクローズしたほうがいいかなと思います。もし存続となった場合、上述の理由(ケースE)による削除依頼を新規に提出することを考えています。--オオミズナギドリ(会話) 2015年7月2日 (木) 15:13 (UTC)[返信]
- 終了 削除するべきと言う積極意見がないことから存続とします。初版がLTAだとしてもそれだけを理由としては削除できないと考えられます。長期間特筆性がないということであればWP:DEL#Eで再度依頼を行ってください。--アルトクール(話/歴) 2015年7月4日 (土) 17:58 (UTC)[返信]
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