Wikipedia:コメント依頼/Dumpty-Humpty 20090514
Dumpty-Humptyさんのノート:2009年新型インフルエンザ#統合を提案での発言とガイドラインの認識について、コメントを依頼します。--サイクロントルネイド 2009年5月14日 (木) 00:20 (UTC)
これまでの経緯
編集Dumpty-Humptyさんにより、2009年5月9日 (土) 06:10(UTC) に2009年新型インフルエンザから2009年新型インフルエンザ/日本(WP:NCに反するため、のちに日本における2009年新型インフルエンザへ移動)という記事が作成されました。作成後に元となった記事と新規に作成した記事で内容をどのように振り分けるのか提案なさいましたが、その議論の中で複数の利用者から、この記事作成に先立ち当該ノートでは議論が提案なされておらず、分割の合意形成がなされていないという指摘があり、2009年5月11日 (月) 04:38 (UTC) に再統合の提案がなされました。再統合の議論の中で、Dumpty-Humptyさんは「元となった記事から記述を削除していないので分割ではない。」など、他の利用者とはWikipedia:ページの分割と統合の解釈が違うだけで自分はガイドラインに反する事はしてないという主張に終始しています。
再統合については議論が進んでいますが、最新のコメントでもDumpty-Humptyさんのお考えは変わっておらず、このままうやむやにしてしまうと、元の記事に記述を残していればそれは分割にならず、議論の提起は事後でも構わないという事になってしまいWikipedia:ページの分割と統合が骨抜きにされてしまい、今後同様のケースが繰り返される事にも繋がりかねませんので、より多くの方のご意見を伺いたく、コメント依頼を提出させていただきました。--サイクロントルネイド 2009年5月14日 (木) 00:20 (UTC)
参考リンク
NEONによる説明
編集利用者:Dumpty-Humpty(会話 / 投稿記録 / 記録)氏については自分もコメント依頼を検討していましたところ、サイクロントルネイド氏に遅れをとる形になってしまいました。要は私の不手際ですが、本件は複数人が依頼提出を考えるほどに望まれたコメント依頼であると考えていただければと思います。問題点は上記サイクロントルネイド氏の説明にある通りです。以下に氏の説明を補足する形で、おおよそ時系列に沿って説明します。一部冗長ですがご容赦下さい。
主たる議論の場となった2009年新型インフルエンザは 2009年4月26日 (日) 21:38 に作成された記事で、事態の進行に伴い加筆が続けられていたところ、被依頼者が本文の一部を転記する形で 2009年5月9日 (土) 06:10 に日本における2009年新型インフルエンザを作成しました[1]。この記事のフォークにあたり事前の議論および合意は無く、立項後の 2009年5月9日 (土) 14:02 に被依頼者よりノートに事後報告されました[2]。
この立項について、事実上の記事の分割に当たると考える利用者からノート:2009年新型インフルエンザ#「日本における2009年新型インフルエンザ」との間の内容の振り分けについておよびノート:2009年新型インフルエンザ#Dumpty-Humptyさんによる事前提案なき性急な変更について。に異議が述べられましたが、被依頼者は一貫して「未だ元記事からの文章の除去を行っていない為、分割には該当せず事前の合意は必要ない」旨の主張を行いました[3][4]。この姿勢については後にも複数の否定的意見が付くものの、単なる解釈の相違につき相互に認めよという趣旨の発言も行っています[5][6]。
また被依頼者はこの主張に基づき、記事の(再)統合を提案するテンプレートを除去しました[7][8]。この除去は正当な提案に対し不適切であるとして、いずれも Miya 氏によって差し戻されました[9][10]。併せて日本における2009年新型インフルエンザは、議論を無視したテンプレートの除去を理由として同氏により保護されました[11]。本依頼提出時点において未だ保護下にあります。
このような主張や行動については、サイクロントルネイド氏や KAMUI 氏らより、分割の手順を骨抜きにするものであると指摘されています[12][13]。また蜂谷氏や Tatsundo h 氏他の編集者からは、速やかな事態の解決を図る旨の意見と提案[14]もなされていますが、被依頼者が根本的な主張を変えないがゆえに同様の「分割」が繰り返される懸念も指摘されており[15]、議論は進展していません。以上が私やサイクロントルネイド氏が本依頼提出に踏み切った背景です。- NEON 2009年5月14日 (木) 04:48 (UTC)
Dumpty-Humptyさんのコメント
編集一連の当方作業(別記事作成と内容振り分け提案)をきっかけに、思わぬ事態が生じてしまった、というのが正直なところです。
ガイドライン解釈の相異を認め合うことを私は繰り返し呼びかけており、それを読めば、本件依頼者や賛同者NEON氏が言うような「自分の解釈だけにこだわる姿勢」とは異なることがわかると思います。いや、わからない、ということであれば、改めて、私がそのような姿勢に立つものでないことを表明しておきます。当然ですが、この解釈の相異という懸案が解決を見ないうちに、同様な作業を繰り返す意思は私にはありません。依頼対象者である私がこう明言している以上、本件依頼はその目的を失っています。
本件依頼は「ノート:2009年新型インフルエンザ」のセクション「統合を提案」の内容から派生していますが、本件依頼提出時の版までに、この解釈の相異とは切り離した事態打開案が同セクションですでに提示されています。
なお、私は拙速にも統合提案タグをとってしまい、管理人にお手数をおかけしました。当該統合案は、当方提案に対するものですから、その議論の中で提示されるべきところ、当該ノート内の全く別の位置に独立したセクションを立てて提示されたという経緯によるものですが、やはり拙速であったと思っています。
本件依頼は、ガイドライン解釈の相異という、本来なら(たとえば)当該ガイドラインのノートなり、「Wikipedia:井戸端」なりで解決すべき懸案を、自分と異なる解釈を示すユーザーを名指ししたコメント依頼に持ち込んでいます。仮に立場が逆で、私が多数意見に賛同する側であったとして、このような、ガイドライン解釈の相異を理由とする、ウィキペディアのコミュニティの利益にならないコメント依頼はしないと思います。この懸案の真の解決を望むなら、特定ユーザーに対するコメント依頼は、その手段ではありません。--Dumpty-Humpty 2009年5月15日 (金) 02:02 (UTC)
コメント
編集コメント依頼から来ました。記事を見せて頂きましたが、単なるコピー&ペーストのようなものかと思います。分割でないと主張されるならば部分的なコピー&ペーストであり、Wikipedia:即時削除の方針#全般の『ウィキペディア内ページのコピー&ペーストによって作成されたページで、ペースト後に意味のある加筆が行われていないもの。ただしコピー&ペーストが有意な目的のためになされた場合は除く』に抵触する可能性も出てくるかと思われます。コピー&ペーストされた目的が有意なものでなければ即時削除に当てはまる分割以前の問題かと思います。--Toto-artist 2009年5月15日 (金) 01:31 (UTC)
(コメント)利用者についてのコメント依頼ということなので。本件に追加して、(a)当該項目を改名する際、新名称についての案が複数出されている状況にも関わらず、合意を得ることなくいきなり改名を行った、(b) referencesの分類をいきなり行った、(c)日本における状況を分割する際もいきなり行い、しかも当初は「/日本」というサブページ的な項目名で立てた、などを、参考事例として挙げておきます。個々の事例については、必ずしもガイドラインには抵触しなかったり、「大胆な編集」という範疇で許容されるケースもあるものではありますが、本件も含めて、被依頼者については、(1)ノートでの議論や他人の判断を半ば無視し、自分の判断だけで、いきなり大規模な(本来なら事前の意見調整が望まれる)改変を行い、(2)しかもそれに対する意見に対しては、反論を行うことに終始し、しかも、特にIP利用者に対してはしばしば論点をずらした反論を行っているように思いました。これらの点では「何も問題がない」とは言えない利用者であり、コメント依頼を出した方々の判断を支持します。
まぁ個人的に言いますと、別にガイドラインを杓子定規に解釈しなくても、誰かが「大胆に編集」しても問題にすべきではないケースは結構多い、と思っています。ですが、それはその「大胆な編集」の結果、その記事が改善される(文句無く「改善」と言える)ケースに限るというか……ぶっちゃけて言うと「結果さえ出してくれれば、小言は言わないよ」というのが、とりあえずは私のスタンスです。例えば、「本物の専門家」が非常に優れた内容に書き換えてくれた、などのケースであれば、多少は慣例を曲げてでもその有用な版を残せるよう、私自身もフォローしたり擁護したりするでしょう。
ただし、それはそういう卓越した編集を出来るだけの「抜きん出た能力を持った人」がやるから許容できるのであって、例えば極端な話、例えば(被依頼者のことではありません)いわゆる「一般的な小中学生レベル」の編集内容で「大胆に編集」されてもそれはお話にならないし、あるいは高いレベルの編集であっても、「複数の活発な執筆者が存在し、どちらがいいか、執筆者間で解釈が分かれる」ようなケースについてまで、「大胆な編集」の名目の下に片方の編集方針を強行することは、「共同作業」においてはトラブルの元であり、各自が慎むべき行為である、と。
今回の被依頼者の件について言うと、非常に熱心に作業をしておられますし、編集内容自体については、すくなくとも一般的な参加者並か、それよりは上のレベルにあるかと思います。しかし、(c)での最初に立てた項目名の選択や分割手続き上の問題から、一般的な執筆作業以外の作業についての理解が十分でないようですので、これらの作業を「大胆に」行われることに対しては、今後さらなる問題を生じることを危惧してます。
また、(b)についても、ノートで疑義や反論があるように一般的な文章での書き方からは逸脱したものであるため、いわゆる「理科系の文章の書き方」(scientific writing)への理解度について、さらに(a)での改名の際「A型H1N1型」という名称を提案しておられましたが、この名称はおそらくインフルエンザに詳しい専門家であれば避けるだろう表記ですので、インフルエンザやインフルエンザウイルスそのものへの理解について、それぞれ若干ながら疑問を感じる部分があり、安心して「大胆な編集」を任せられるほどに抜きん出た実力の持ち主、とは言いがたい部分があるかと(もちろん繰り返しになりますが、参加者としては上のレベルでしょうし、何より、僕みたいなナマケモノより、よっぽど全体の役に立ってる方だとは思ってますが)。
何と言うか、「上から目線」の物言いで、自分でもこういうことを言うのはどうかと思うのですが、今回の被依頼者に限らず、人にはそれぞれ「分相応」というものがあります。私自身、別に「インフルエンザの専門家」というわけではなく、せいぜい「微生物学を専門とする者の嗜み」程度の知識しかありません…別に謙遜とかではなく、世間にはもっと詳しい専門家がたくさんいることを知ってるくらいには、この分野の知識があるからそう思うわけです。まずはそういう「自分の実力のほど」を自覚することが肝要かと。そこらへんの「どこまで大胆にしていいか/安心して『大胆な行動』にまかせられるか」の見極めや、被依頼者の「実力」に対する評価も含めて、被依頼者自身の判断/自己評価と周囲(私も含みます)の判断/評価が食い違っていることが、今回利用者に対するコメント依頼につながったのではないか、ということを指摘しておきます。私個人の、被依頼者に対する評価は上述の通りであり、被依頼者が今後引き続いて「大胆な編集」を行う姿勢を変えないままだと、記事の品質を落としたり、不必要な作業を発生させたり、利用者間のトラブルを引き起こす危険性がある、と考えてる次第です。ナマケモノの身で、さらにその上「働き者」を萎縮させるような真似はしたくないのですが、今後想定されるトラブルに伴う遅滞などを考えると、そうも言ってはおられないかなと考え、僭越ながらコメントさせていただいた次第です。被依頼者におかれましては是非ご理解いただきたく、よろしくお願いします。--Y tambe 2009年5月15日 (金) 09:54 (UTC)
コメント 被依頼者は「ガイドライン解釈の相異を認め合う」ことを盛んに呼びかけていますが、今回のように自身の解釈に基づいて記事空間へ行動を起こした後に議論を呼びかけることは、相互理解とはおよそかけ離れた姿勢です。そのような場合には行動を早期に撤回し、あるいは撤回を許容し、自らの立ち振る舞いを中立の状態に戻さなければ説得力を持ちません。それができなかったこと、そして自身の発言・行動が説得力を欠くという自覚がない事が、属人的な問題であると思います。Y tambe 氏の意見にある、自己評価と他人の評価の乖離の表現形の一つです。
上の被依頼者コメントにあるように、Dumpty-Humpty 氏はおそらく「自分の解釈だけにこだわる姿勢」は排除した、十分誠実に対応するよう努力した、と考えていると思われます。にもかかわらず事態が拗れたのは、努力が足りなかったか、もしくは努力にも関わらず力不足であったことの結果です。当該記事への理解度に対する具体的な指摘は既に Y tambe 氏が行っていますので割愛しますが、ここで言う力には対話能力や想像力も含みます。私の判断では、被依頼者はそれらがやや欠如しています。その点に自覚を持ち、自分の解釈を徹底的に疑う姿勢と、行動に反映させる前に逐一自問する努力を怠らないで欲しいと思います。
被依頼者へのコメント依頼はこれが初めてではなく、過去にWikipedia:コメント依頼/Dumpty-Humptyが提出されています。この依頼は適切ではない部分があったものの、被依頼者に対しては他者に過度の理解を強いる態度を改めるよう、また不適切な荒らし報告などを控えるよう、数々の提言がされています。しかし今回もまた議論の相手を荒らしとして報告するなど[16]、依頼が糧となった形跡は伺えません。このコメントも含めて、他者の指摘を鵜呑みにする必要はありません。しかし普通であれば自分に対してコメント依頼が提出されたり、他者との衝突が重なることがあれば、多少なりとも行動を改めます。それが共同作業において必要なことです。今回もまた改善がみられないのであれば、次回は拘束力のある動議が必要です。この一文を入れるか否かは迷いましたが、次回の無益なコメント依頼を生まない為に明記します。
最後に、このコメント依頼は Wikipedia のコミュニティに対する利益を意図したものではなく、記事にこれ以上の不利益を及ぼさない為に提出されたものです。- NEON 2009年5月15日 (金) 11:48 (UTC)
コメント 私は依頼者の立場ですので自らコメントをつけていいのかどうか迷いましたがいくつか述べておくことがありますのでコメントさせていただきます。まず依頼提出の理由について、NEONさんと申し合わせたわけではないので認識に違いがあるかもしれませんが、NEONさんの仰るとおり記事に対してこれ以上不利益を及ぼすことがないようにと考え、より多くの方のご意見を伺うために提出しました。
被依頼者に対しては既にコメントされたお二方と被ってしまうことが多く、また、同じ事を繰り返し述べるのは好きではないのですが少しだけ言わせていただきます。「ガイドライン解釈の相異を認め合う」ことを繰り返し呼びかけていると仰っていますが、解釈の違いについては統合の提案がなされる前、振り分けについての議論が始まった当初から複数の方のコメントで既に明白でしたし、もし被依頼者に当初から「解釈の相違を認め合う」というお気持ちがあったのなら、その時点で何らかの行動があって然るべきだと思います。それがなかったためにここまで話が拗れてしまったとしか言いようがありません。自分は他の人の解釈についても認めた上で発言していたと考えておられるのなら、ノートでの議論をお読みになれば分かるように、残念ながらそのお考えは届いておりません。ご自分の発言をもう一度お読みになり、それで真意が相手に伝わったのかどうか考えていただき、今後に活かしていただければと思います。--サイクロントルネイド 2009年5月15日 (金) 14:39 (UTC)
コメント 合意形成のためのコメントではなく、利用者の行為についてのコメントということですので。当該ノートページにて、2度ほど被依頼者に関する論争の仲裁を試みた者です。仲裁した経緯と、被依頼者への助言を申し上げます。 1度目は、要約欄での被依頼者への非難とも取れないこともない書き込みに対して、被依頼者がノートページで若干感情的な言葉を使って反論した時です。両者に自省を促したところ、この時は双方謝罪され、事なきを得ました。 2回目は、ノートページに被依頼者を名指しで非難する節が立てられた際です。IPさんが言うことにも一理あるな、とは思いましたが、利用者を吊し上げ、リンチにして締め出すようなやり方は良くないと思い、WP:ATWVを紹介しました。本来、利用者の行動については、被依頼者の会話ページか、コメント依頼の場で話し合うことですし。この時は、被依頼者が自らの姿勢の非を一切認めなかったため、論争は解決をみず、今に至っています。 被依頼者におかれましては、少し、興奮されているようにも思います。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないを中心に、今まで他の利用者の方から提示されたウィキペディアの指針や助言集を読み、自らの姿勢にも部分的には非があったのだなと実感できるよう、努めることを期待します。--Akaniji 2009年5月16日 (土) 01:17 (UTC)(一部修正--Akaniji 2009年5月16日 (土) 01:59 (UTC))
コメント本件依頼対象者(被依頼者)のDumpty-Humptyです。
ウィキペディアの記事について、たとえば内容ががらりと変わるような大きな編集をすれば、異論が出る可能性は当然ありますね。
本件依頼の根拠である当方の一連の作業は、行った時点では、そうした物議をかもすような大きな編集であるとは思っておりませんでした。
前回コメントでも明言しましたが、ガイドライン解釈の相異の懸案が解決を見ないうちに、同様の作業を繰り返す意思は私にはありません。
本件依頼賛同者NEON氏が、
- 「行動を早期に撤回し、あるいは撤回を許容し、
- 自らの立ち振る舞いを中立の状態に戻さなければ、"ガイドライン解釈の相異を認め合う"は説得力を持たない」
という趣旨のことを述べ、本件依頼者は、
- 「もし当初から"解釈の相異を認め合う"というお気持ちがあったのなら、その時点で何らかの行動があって然るべきだと思います」
という趣旨のことを述べています。
しかしながら、このご両人はノートにおいて、「解釈の相異を認め合う」姿勢をまったく示さないまま、
本件依頼の提出ないし賛同に至っています。
一連の作業(別記事作成と内容振り分け提案)から三日と経過しないうちに、統合案が提示されています。
これはこの別記事作成の「早期の撤回」が不可能だったことを意味します。
「撤回を許容」については、本件依頼が提出された時点で私はすでに、
別記事を事実上いったん撤回することとなるリダイレクト化案に、賛同を表明しております。
このたび明らかになった解���の相異を巡り、ノートにおいて私は、
(本件依頼者からの質問にも答えて)自分の解釈を説明しておりますが、
解釈の正当性に関する私の立場は一貫して中立です。
この統合案は、相異なる解釈の一方だけに依拠した理由によるものであり、
したがってこの統合案に賛同することと「自らの立ち振る舞いを中立の状態に戻す」ことは矛盾します。
中立であるからこそ、この統合案には賛同しないのです。
本件依頼の根拠とは別の編集行為についても指摘を頂戴しています。
ウィキペディアの暫定記事名は、合意未形成の段階の記事名です。
- ノートにおける議論経過で 豚-->>新型 の改名が大多数であること、
- 豚-->>新型 には、WHO や政府の呼称変更という根拠があること、
- 議論期間がまだ短いこと、
- そもそもの改名提案者を含めた二人が、当面(GW中)議論に参加できないと告知していること、
などから、私は暫定記事名という条件つきで改名しました。
この暫定改名の是非を含め、本記事の記事名のありかたは、この改名議論で扱うべき懸案です。
ref の分類は、(ウィキペディアの成文規定では)事前合意を要しない事項ですが、
ノートにおける報告後ほぼ6日にして反対ないし反対寄り意見のみということで、
さきほど解除しました。
--Dumpty-Humpty 2009年5月16日 (土) 05:39 (UTC)--誤字など微修正。--2009年5月16日 (土) 05:47 (UTC)
コメントノート:2009年新型インフルエンザ2009年5月19日 (火) 16:28の版[17]で被依頼者に対してコメントを付けましたが、当該記事のノートよりもこちらに記載する方が妥当と考えましたので、当該部分の執筆者として、こちらに記述を移します。
それからコメント依頼の方でも書きましたが、Dumpty-Humptyさんはもうちょっと考えて、今回のようなケースでも今後の独断行動は謹んで下さい。あれじゃ向こうにケンカふっかけてるようなもんです。次は尻拭いはしません
なお上記の「今回のようなケース」とは、en:Talk:2009_swine_flu_outbreak_by_country#Japan_map_File:H1N1_Japan_Map.svgでのやりとりを指す旨、補足しておきます。--Y tambe 2009年5月19日 (火) 12:03 (UTC)
コメント そのやりとりの続きをY tambeさんが読んだかどうかはわかりませんが、そちらでは、私は、異なる意見が早く寄せられることを願うあまり言葉遣いが必ずしも洗練されていなかったことを認め、"Thanks all for your opinions"と謝辞でコメントを締めくくっており、ファイル作成者から前向きな返信も届いています。合意形成を主目的として案を提示する場合と、今回のように異議を含めてさまざまな意見を早く集めるべく自分の意見を述べる場合とでは、言葉遣いが違ってきます。今回のケースは日本語版のノート:2009年新型インフルエンザ#H1N1_Japan_Map.svgで同じ様な疑義が続出したことを受けて提起したものですが、一ウィキペディアンとして意見を述べているに過ぎず、日本語版の同ページへのリンクも貼っていません。Y tambeさんが述べた意見は私の考えと完全には一致しませんでしたが、善意で提示された建設的な意見を尊重すべく、コメントでは一定の理解を示していますよ。--(既存節への移動不可。)--Dumpty-Humpty 2009年5月19日 (火) 15:29 (UTC)
コメント私は被依頼者に対して直接コメントする気はなくなりました…どうやら時間の無駄のようですので。以下は、このコメント依頼をご覧になる、他の方々に対する説明として述べさせていただき、後は各位の判断にまかせます。
上記した英語版でのやりとりですが(他人が指摘するのもアレなのですが、被依頼者がどうも自身の問題に気付いていなさそうなので…)、当該のコメントで被依頼者は「図は間違っている。東京じゃない」とだけ強調を多く交えながら(これ自体も向こうではあまり良い行為とは取られない)指摘しています。しかし、そもそもこういうケースでは「東京じゃなくて、千葉が正しい」とコメントしなければ、伝わるものも伝わりません。被依頼者のコメントには"Chiba"の文字すらなく、そうした「会話の初歩」すら行えていません。"stop complaining for no reasons"とか言われるのも当然です。さらに相手からの反論として「間違っているなら自分(あるいは日本語版の誰か)が直せばいい」と言われてますが、これも当然の反論で、「自分ではSVGを修正できないので、修正を依頼する」という旨を、同時に相手に伝える必要がありました。そのように相手に「協力を依頼」するのが「共同作業」のあり方です。しかるに、被依頼者はそうではなくて、一方的に相手を責めることしかしていない。少なくとも本件に関する対応を見る限り、被依頼者はこういった共同作業の進め方に関して、全く無理解であるように思いました。上記で「ケンカふっかけてるようなもん」といったのは、このような被依頼者の「姿勢そのもの」に対するものです。被依頼者がおそらく考えてるような、単純な意見対立のことではありません。それ以前の、もっと根本的な問題です。
「英語でのやりとりに慣れてないのだったら、このような間違いをしても仕方ないかな」とは思わなくもないですが(まぁ私自身、向こうでのやりとりは苦手なので)、ならばなおさら被依頼者は、直近にこのコメント依頼で指摘していたのですから、このような案件に自分自身で乗り出す前に思いとどまるべきであったろう、と考えています。以前のコメントでも述べたように、そのような自身の「実力」の不足に、被依頼者自身が無自覚なのではないか、という点について危惧を強めているところです。このような人が「日本語版の意見を代表」しているかのように他国語版で行動されたことに対して、何と言うか、同じ日本語版の利用者として恥ずかしく思ったので向こうに介入した、というのが正直なところです。
そういった思いから、いささか感情的に、上記に転載した文章を記事のノートに書き込んでしまいました。この点については、記事のノートで本来行うべき他の議論の妨げになるかもしれないと、後から読み返して思い当たったため、こちらに転記したものです。感情的な文章については転記の際に削ろうかとも思いましたが、一度書き込んだ以上は自分で削るのも隠蔽か何かしてるみたいでどうかと考え、当時の文章のまま転記しました。ご容赦いただければ幸いです。
なお今回の件について、直裁には日本語版ではなく英語版での行動に関するものであるため、向こうでの行動についての是非をこれ以上この場で追求する気はありません。ただ以前のコメントで述べた、被依頼者の特徴の一端を支持する事例の一つにはなるでしょう。--Y tambe 2009年5月19日 (火) 16:16 (UTC)
コメント Y tambeさんは、英語版での今回のやりとりにおける、私以外のウィキペディアンによるものを含めた、さまざまな発言から、本質的でない部分を中心に抽出したものと思われます。実際には、私が「問題点は成田国際空港の所在地が誤って東京になっていることではない」と明記した上で、検疫判明分の扱いを論点としたことに応じて、同じ論点で他のウィキペディアンから意見が届いています。私は「東京か千葉か」を論点としていないことを明確にするため、「正しくは千葉県にある」という主張を展開することを避けたのです。
本件依頼は日本語版ウィキペディアンとしての私を対象として、依頼者としては善意で提出したものと考えられますので、私からは、いたずらに対立を深めるような発言を避けようとしています。思い込みによるつまみ食いに基づいた、批判自体を主目的とする発言は、謹んでいただきたく存じます。--Dumpty-Humpty 2009年5月19日 (火) 18:03 (UTC)
コメント当該記事と当該利用者に関わらず、複数個の理由付けを持たぬまま行動する方の意見は基本的に支持できません。「ああ言われたから、こう言う(こう言い返す)」というのでは平行線のまま、前に進みません。何かを指摘された場合、一旦は指摘を受け止め、自分の考えを収め、相手からの指摘を理解するように努めるのがNPOVの精神です。端的な喩えを挙げますと、「俺はあれがしたいからここに書かれている理由をもとに」という編集行為や姿勢はウィキペディアンの行動規範から外れます。Dumpty-Humpty さんにあっては「分割と統合」の解釈以前に「分割と統合」の主旨を理解されることを望みます。Koba-chan 2009年5月19日 (火) 22:40 (UTC)
コメント Dumpty-Humpty さんには皆さんのコメントを冷静に読んでいただき、どのような行動が自分にとって最良の行動かをよく考えていただきたいと思います。AkanijiさんのWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないを含むコメントのすぐ後に「腕ずくで」自己の行為を正当化するための記述を行っておられますが、ここでコメントされている皆さんはあなた(Dumpty-Humpty さん)にそのような反対コメントを求めているのではないと思います。「●つの習慣」の事例か何かで出てくるように、何がしかの「刺激」があると即「反応」されていますが、顔が見えないWikipediaという空間で議論を行うには、「刺激」と「反応」の間の冷静さが非常に必要であることに気づいておられないようです。「刺激」と「反応」の間の時間を、反論・反駁のためだけに費やされていないでしょうか。一つの言葉から上げ足を取るようなことは嫌なのですが、Y tambeさんがご説明のノート:2009年新型インフルエンザ#H1N1_Japan_Map.svgの「…あえて論破にこだわる必要は無い事項だと思っています。」とのコメントに、基本的には「論破にこだわる」というDumpty-Humpty さんのスタンスが表れていると思います。共同でより良い百科事典を作り上げるために「論破」にこだわる必要があるのか、今一度お考えいただくことを期待します。--Tatsundo h 2009年5月20日 (水) 19:30 (UTC)
コメント Koba-chanさんの「複数個の理由付け」は興味深い指摘です。フリーの(編集自在を原則とする)百科事典プロジェクトだということもあり、たとえば事前協議などが成文規定に無い場合や、成文規定があってもその解釈が分かれる場合に、あるウィキペディアンが考える編集理由は他のウィキペディアンからすれば不充分、というケースは起こりうると思います。このページで挙げられている私のいくつかの本記事編集や別記事作成は、他のウィキペディアンと私とで「理由として充分」と考える基準が違っていたことで懸念材料となってしまった面もあるかと思われ、今後、同様な編集で同様な懸念が生じないよう、参考にしたいと思います。
英語版での議論に関して、Tatsundo hさんが私の「あえて論破にこだわる必要は無い」を取りあげていますが、微妙な表現で誤解が生じたようですので、釈明します。これはY tambeさんの「ケンカ」という評価を受けて、「ケンカで相手を負かそうなどいう気は無い」というつもりで書いたものです。
日ごろは発言のあちこちに謙虚な言葉を散りばめているY tambeさんが、どうしたことか、この英語版での議論に関しては、議論の経緯を踏まえずに批判ばかり重ねておられ、しばし当惑しました。英語は世界の人々に幅広く学習されている言語であり、どのような使いかたを善しとするかは、どのような英語(例:くだけた英会話、ビジネス英語、文法に配慮した英語)を中心に学習したかによっても変わってきます。本記事は新型インフルエンザが主題であり、私などよりY tambeさんが詳しい事柄もまだまだあると思われ、ウィキペディアン同士、心から共同・協同して編集できれば、と思っておりましたので、こういう事態となって残念です。
本件依頼は日本語版ウィキペディアンとしての私が対象だということで、私は他のウィキペディアンから善意で寄せられた発言から、今後の活動に生かすべき部分を吸収しようとしています。Y tambeさんとの件は別として、本件依頼について私は、自分の見解をなるべく独立させて述べています。それを「自分の見解を否定された」と受け取る他のウィキペディアンがあるなら、これはだれか一人の問題というより、歩み寄って解消すべき相互不信ではありませんか。善意でウィキペディア編集に参加する者同士、お互いにもう少し心を開きましょう。--Dumpty-Humpty 2009年5月21日 (木) 05:10 (UTC)