Wikipedia:コメント依頼/ブロック依頼でコメントを寄せる利用者と判定する管理者

Jawpにおける、現在のブロック依頼の運用の妥当性についてのコメント、またその考察に基づいて、ブロック依頼でのコメントを寄せる利用者の振る舞い、またそのコメントを判定する管理者の振る舞いの傾向についてコメントをお願いします。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 06:22 (UTC)[返信]


本コメント依頼を提出するに至った背景

編集

先日、Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224が提出され、結果、被依頼者は無期限ブロックになったようです。

合意形成の主たる(しかし唯一ではない)方法は、編集議論であり、投票ではありません。合意形成にむけて調査投票を利用することはありますが、そうした投票や調査は議論の助けになるどころか、むしろ妨げになる場合があります。それらは慎重に用いられるべきであるし、他の合意形成された意思決定を上回る拘束力はありません

以上の各種方針文書を踏まえてそのブロック依頼を見ると、公正で健全なブロック依頼の運用への疑義、また、本来の百科事典記事をつくるという本分から著しい乖離が観察されるのではないか?と考え、<なるだけ多くの>Jawp利用者からの見解と<議論>(単なる書き捨てのコメントより話し合いを重視する)を期待し、本コメント依頼を提出しました。

念のためですが、私=依頼者はそのブロック依頼の被依頼者であるGcG氏となんら利害を共有する立場にはありません。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 06:22 (UTC)[返信]


(Memoman1さんのご意見を、概要からこちらの節へ移動しました-- 2010年4月4日 (日) 14:51 (UTC)[返信]
Wikipedia:投稿ブロックの方針において「賛否が割れた場合は議論を尽くして合意に努めた後、原則として多数意見を尊重するものとします。議論の結論を出す期間は特に緊急性が無い場合には5日間とします。」と議論しろ、合意に努めろと注意書きのようなものがあります。これは当たり前の大原則であり、それはWikipediaというプロジェクトがコンセンサスベースのコミュニティだからです。

しかし、いつからか知りませんが、各種依頼では「議論をしてはいけない」とか言う人が多数出てきているようで、そういう見解を持つ利用者達はWikipediaというプロジェクトの根本方針の不理解で咎められるどころか、そういう間違った見解が是とされ、事実それが依頼系の間違った運用の仕方に大きく反映されているような風潮が見受けられます。これについてのコメントしていただき、話し合いをお願いします。--Memoman1 2010年3月28日 (日) 15:27 (UTC)[返信]

(コメントをいただいてからの話し合いを踏まえて、論点の明確化、追加具体化)

議論を尽くして合意に努めるどころか、依頼のコメントの多くが、単なる感情論の吐き捨てに終始してしまっており、その妥当性を吟味することなく、議論されることなく、単なる「趨勢」をもってそれを結論とされしまう傾向。

「いつもの固定された極少数のメンバー」が気に入らないだけで、そのコメントが「感情論」メインでなんら定量的にプロジェクトに打撃を与える要素が示されないのであれば、その人達がその「気に入らない人」を無視すれば、それで全部丸く収まるのではないだろうか?

「もう付き合いたくない」「態度が悪い」「気に入らなくてうんざりだ」というような感情論の吐き捨てを常習的にされているメンバーは、なんらプロジェクト総体の利用者全部の「感情」を代表しているわけでもなんでもない。大方の利用者なんて、GcG氏が誰であるか、何をしている人なのか、なんて知らないわけです。感情の摩擦もおきようも無い。なぜプロジェクトのごく一部の固定メンバーの「感情」をコミュニティ、プロジェクト総体の利益を判定する依頼の場で重視しなければならない道理があるのだろうか?

依頼の判定とは、プロジェクトの総体を鑑みて、その運営利益をもって判定すべきものであって、極限られたいつもの固定メンバーつまり被依頼者と長らく執着も悶着もある利用者たちの感情は全体の利益を反映しているわけでもなんでもなく、彼らが気にいらないのであれば、その少数の方々が被依頼者を無視すればよいのではないか?大多数の利益とは無関係なのだから、依頼における彼らの感情論は一切汲み取る必要はないのではないか?--Memoman1 2010年4月3日 (土) 23:11 (UTC)[返信]


コメントと議論

編集

これは今に始まった傾向ではなく、早急にコミュニティ全体が意識し、方向転換すべきである、と考えるのですが、非常に問題があります。

まず、本来、ブロック依頼においては、たとえ限定されているとは言え、その依頼の参加者全員がその案件について「十分な議論」がなされるべきです。いつからか知りませんが、各種依頼では「議論をしてはいけない」とか言う人が出てきた。じゃあ何なのですか?多数決投票ですか?ノートでやれ、という人も居る。見通しが悪くなるから?何の見通しだろう。コメントの賛否数をカウントするための見通しだろうか?

大前提としてWikipediaのコミュニティの意思決定プロセスとは、十分な議論であって多数決投票ではありません。これまでJawpでは、この前提がかなりないがしろにされている。

Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224においても、この傾向が顕著に観察され、結局最後は、各利用者の「コメントの内容」でなく「コメント賛否の数」で多数決判断されています。

まず、被依頼者であるGcG氏の振る舞いについては、私自身の判断は表明しません。なぜならこのコメント依頼の本論と関係ないので。

このコメント依頼で問題とする本論とは、そのGcG氏のブロック依頼によせる各利用者のコメント内容と、それが書き捨てらたまま、なんらそのコメントの内容自体がブロックの方針、依頼内容に照らし合わせて吟味される事なく議論もされることなくただコメント数、頭数としてカウントされているという事実、運用形態です。

以下、ブロックに賛成し、カウントされたと目する「コメントの内容」についての私論。Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224より各コメント���粋、引用。


このコメントの判断の妥当性がなんら吟味されていない。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに該当するのかどうか、それを被依頼者が理解していないのか?本質的な無理解ならば無期限ブロックに該当するという妥当性があるのかどうか?なんら吟味されていない。個人的にはこのコメントになんら説得力も妥当性も感じない。

  • Lapislazuli-star 『無期限ブロックは仕方ないものと思慮します。何度も同じようなことを指摘されるのは、話を聞いても理解できていないか、はたまた始めから話を聞くつもりも理解する気も無いか、もしくは被依頼者には処理できないような難しい事であるといったようなことが考えられます。はっきり言ってどれであっても去っていただくことが本人と他の編集者、コミュニティにとって最良の選択であると判断せざる得ない』

このコメントの判断の妥当性がなんら吟味されていない。要するに、コミュニティにとって邪魔者だから、ということか。本人の為である、というのは少々偽善的な物言いとして無視するとしても、他の編集者、とは誰なのか?ヒアリングでもしたのか、コミュニティの為というのも漠然としており、論旨が見えない。被依頼者の「問題行動」は「コミュニティの利益」と「記事執筆によって得られるプロジェクトの利益」よりもデメリットとして上回るという見解。個人的にはこのコメントになんら説得力も妥当性も感じない。

  • cpro『無期限。もうこれ以上チキンレースに付き合う必要はないでしょう。』

このコメントの判断の妥当性がなんら吟味されていない。要するに、態度が悪いと指摘。だから無期限という論旨。個人的にはこのコメントになんら説得力も妥当性も感じない。

  • akane700『無期限。毎度毎度GcGさんのやりたいことは分かりません。おそらくとっても逆上しやすい人なんだなと思います。美辞を並べてとことん論争相手を小馬鹿にする姿勢はずっと昔から変わりありませんね。』

このコメントの判断の妥当性がなんら吟味されていない。個人的憶測と印象を書き、要するに、態度が悪いと指摘。だから無期限という論旨。個人的にはこのコメントになんら説得力も妥当性も感じない。

  • Centaurus『だから前回解除に反対したのに。なんどもなんどもなんどもなんども同じことを繰り返して改善の気配がありません。これ以上付き合わなくてもいいでしょう。解除を考えない無期限ブロック。』

このコメントの判断の妥当性がなんら吟味されていない。自分の前回の判断が正しく、今回も正しいという表明。これ以上付き合いたくない、だから無期限という論旨。個人的にはこのコメントになんら説得力も妥当性も感じない。

  • TYSGCFAN『無期限ブロック。もうMLに投稿されても対応しません。』

論外。自分のMLへの対応はどうでもよいが、無期限ブロックに賛成する論拠もなにも示されていない。依頼とは、ただの多数決だと思っているからこういうお粗末なコメントが野放しになっている。

  • NEON 『無期限。自分が被依頼者の執筆を評価している点は以前と変わりません。しかし貢献を期待することはできないと判断しました。』

なぜ、無期限ブロックまでするほどに、貢献が期待できないと断定した理由が不明。その判断の妥当性を評価する術がない。

  • 光舟 『 これ以上はもういいんじゃないでしょうか、無期限ということで。被依頼者のその場しのぎで殊勝な態度をとり、しばらくしたら後ろ足で砂をかけるような言動はうんざりです。』

うんざりしておられるらしい。感情の表明は結構で自由だが、当然のことながら、この方の「うんざり度」は無期限ブロックの理由とはならない。

ブロック賛成のなかで、唯一ともいえる、自身の感情論とは切り離し、冷静に判断理由が詳細に書かれているコメント。説得力もあり妥当と感じる。

  • Ashtray 『職務質問の��も、キョウチクトウの件も、傍から見ていて十分に不快です。』

不快感の表明。感情の表明は結構で自由だが、当然のことながら、この方の「十分に不快」は十分に無期限ブロックの理由とはならない。

  • Kodai99 『何回も同じ内容でブロックを受けて恥かしくないのかという指摘を過去にしましたが、一向に改善することないことに強い憤りを感じます。解除のないブロック。解除依頼も長期間(少なくとも20年以上)、受け付けないでいただきたい。Wkipediaに復帰していただく必要はありません。』

前回の自分の指摘を踏まえて「憤りを感じている」ということ。解除依頼自体を受け付けるな、WPに復帰する必要はなしという一方的な指図。


以上、ブロック賛成者のコメントを拾って私感を書かせてもらいました。

ざっと見て感じることは、まず『この「ブロック賛成表明者」のメンツがコミュニティ全体からみれば極少数の固定メンバーである。』という事実です。

次に彼らのコメントには「気に入らない」「不快だ」「態度が悪い」「うんざりだ」「邪魔だ」「反省していない」「もう付き合う必要はない」という、ブロックの方針とはなんら関係のない感情論が目立ちます。

さらに、それらのコメントは今私がやってるような、ほかのメンバーからの吟味も議論もなく、それは論外であろうと、説得力も妥当性もなかろうと、ただ1票としてカウントされ、多数決され、コミュニティの最終意思として決定されているようです。

ここで、僕のほうから提案があります。さて、こういう「いつもの固定された極少数のメンバー」が気に入らないだけで、そのコメントが「感情論」メインでなんら定量的にプロジェクトに打撃を与える要素が示されないのであれば、その人達がその「気に入らない人」を無視すれば、それで全部丸く収まるのではないだろうか?

「もう付き合いたくない」「態度が悪い」「気に入らなくてうんざりだ」ならば結構で、自由になさればよい。付きあわなければよいのではないですか?

あなた方は依頼系で常連ともいえる、よく拝謁するメンバーではあるが、なんらプロジェクト総体の利用者全部の「感情」を代表しているわけでもなんでもない。それはあなた方がGcG氏を「ずっと追っかけて注視している」が故にうまれる感情なのではないだろうか?大方の利用者なんて、GcG氏が誰であるか、何をしている人なのか、なんて知らないわけです。感情の摩擦もおきようも無い。なぜあなた方の「感情」をコミュニティ、プロジェクト総体の利益を判定する依頼の場で重視しなければならない道理があるのですか??

ここで、きちんと議論されるべきなのは、海獺氏が提出した依頼に基づいて、本当に彼が主張するようにGcG氏がプロジェクトに被害を与えているのか?「依頼自体が感情論でないのか?」という指摘も含め、その依頼の妥当性を検証することであって、編集行為を無期限に封じるだけの価値はあるのか、ということであって、あなた方の気分がどうとか聞いているわけじゃないでしょう?

顛末を見ていたら、単に依頼者の海獺氏と多くの感情論が合致する多数決結果になったとしか観察できない。やるべき事は、感情論であるという批判を踏まえ、ほんとうに限定されたメンバーの感情論なのか、規定にそってプロジェクトに被害をもたらすために編集権を封じるという路線のギリギリの判断なのか、それ自体を吟味すべきなのに、相変わらず極めて限られたいつものメンツは自分の感情論しか語っておらない。

仲が悪いの見れば判る。でもそんなもので、前から無期限ブロックにしたいと思ってたんだ!というようなコメントが1票加算で多数決という形態は、プロジェクトの最終的な利益に繋がるとはとても思えない。

念のためですが、(絶対反対)されたNekosuki600氏、反対よりのコメントにおさえた Yassie氏は、よりその辺のプロジェクトの大局を見据えて冷静なコメントをしておられるのは、彼らのコメントをご覧のとおりです。対個人の利用者への感想と、プロジェクトにおけるブロック依頼の運用をきっちりわけて議論しようとされている態度はあきらかです。

あと、当然、こういう杜撰なブロック依頼の運用を無条件に後押ししておられる管理者の方にも苦言を呈します。

<(対処)ブロック。無期限。--Bellcricket> 多数決だから?

以上です。 --Memoman1 2010年3月27日 (土) 06:22 (UTC)[返信]


最初にいただいたコメントを踏まえて、僕の考え。

さきだつコメント依頼、議論があったのは、それは見れば誰でもわかる。

それはそれとして、今回の依頼は依頼だろう。それについて、各利用者、それぞれコメントがあるわけで、特に最初の反対よりのコメントについてはより依頼に際して「内容がある」と思う。それは誰か吟味して議論したのか?後に続く、申し訳ないが、ただの感情論が目立つコメントの「内容の無さ」は論旨としては、極論すれば「いつもの仲の悪いひとらの感情論のまとまり」として処理できるのではないだろうか?それしか論旨がないんだから。多数決に向けての頭数のボリュームがある、というならばそれは効力があるが、それらのコメントの有効性含めなんら吟味されていません。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

まず、ブロック依頼は多数決じゃない。あれは最終的に管理者の裁量によって決められるのであって、ブロックが多数派でも合理的な反対理由があれば蹴られる。で、当たり前な話として「少数意見の方が正しいということ」はあるが、「少数意見の方が絶対に正しい」ということは無い。
また、今回の件に関して言えば、過去に何度も同様の審議あったことを踏まえるべき案件であって、最新の件だけ持ってきて短いだの何だの言うのは、正直、やり方が汚いなと思います。例えば筆頭として挙げられてるks aka 98氏なんか、過去の議論で理由を述べてる。そういう果ての議論と見れば、特に問題視するようなものはない(か、少ない)。
現状のブロック依頼制度に全くの不備が無いとは言わない。運営に注力する中でも、特にブロック依頼や削除依頼に力を入れてるメンツが褒められた存在とも言わない。が、じゃあ、それに代わる何か良い制度があるかと言えば無い。このコメント依頼に関して言うなら、ブロック依頼制度や固定化したメンバーがいることへの疑問を投げること自体は悪いことだとは思わないが、今回の元となった案件を持ち出すのは適切ではないと考える。もし、本気で疑問を投げかけるつもりなら、仕切り直した方が良い。--EULE 2010年3月27日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
最終的には、目分量で判断せざるを得ないのは、当然として、議論の形跡がまったくないということを指摘しておるのですが。あと少数意見の方が絶対正しいなとど申しておらない。そんな事は論点ではない。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 07:51 (UTC)[返信]
そんな事は論点ではない。私もそんなこと論点にしてない。私の論旨は太字でわざわざ示したように「今回の提議は不適切だ」以上。あと原則として依頼者(及び被依頼者)は第三者のコメント欄に出てくるべきではない。--EULE 2010年3月27日 (土) 07:58 (UTC)[返信]
「提議が不適切」「第三者のコメント欄に出てくるべきではない」とかいうのは、ただ望まない言論を抑制したいようにしか受け取れない。第一、私は議論の当事者であるが、私も第三者として共に考えようとしている。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 08:06 (UTC)[返信]
あなたは、この依頼の「依頼者」であって「第三者」ではないってのはわかりますかね?あなたはブロック依頼が適切に運用されていないというが、同じように、あなたはコメント依頼を適切に運用してない。コメント依頼というのは、あくまでコメントを依頼するのであって、議論する場所じゃない。議論がしたいなら、あら金氏も言うような方法論でやってください。
それに「依頼者が第三者のコメント欄にコメントすべきではない」ってのは、私のためではなく、依頼者のためなんですよ。第三者から見た場合に、依頼者が感情論で動いているように見えるので、依頼者がかえって不利になるだけですから。これだけ言っても戻してしまうかもしれませんが、私はもう直しません。ただ、第三者がこの流れを見た時、氏についてどういう印象を持つか考えてみてください。--EULE 2010年3月27日 (土) 08:18 (UTC)[返信]
あなたの印象論は自由ですが。以下事実を列挙。よく読んでください。
Wikipedia:コメント依頼によると、あなたが言うようなものではない。このページで議論を提示し、いままで議論に関わっていなかった利用者に議論への参加を広く呼びかけることができます。議論に参加する人が増えれば、問題が解決する可能性は高まります。
さらに、そのページの「利用者の行為についてのコメント」においては、「Wikipedia:コメント依頼」にサブページを作成し、そこでコメントを求めます。理由は、利用者の会話ページは、それぞれの利用者の裁量が大きく認められており議論に不向きだからです。また、他のノートで利用者の行為に関する議論を行うことは、他の利用者に迷惑となります。つまりね。コメント依頼とは「議論するページ」なんですよ。不適切な利用法をマイルールで強要しようとしているのはあなただ。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 09:02 (UTC)[返信]
そこまでルールを調べたのなら、ぜひ利用者コメント依頼のサンプルも読んでください。「必要に応じて」議論をするんであって、コメント依頼はあくまでコメントを依頼する場なんですよ。そして「依頼者」「被依頼者」「第三者」が区別されることも(まあ、サンプルに過ぎないとか言われちゃうかもしれないけど)。
と、言ってみますが、「議論する場所じゃない」とはっきり言い切った自分の発言に問題があったことは認め陳謝します。氏が望むなら、該当部分に打ち消し線を入れて撤回します。--EULE 2010年3月27日 (土) 09:55 (UTC)[返信]
違う。そのサンプルページにはコメント節には「コメントや議論がえんえんと続きます。」とあるでしょう。「コメント依頼はあくまでコメントを依頼する場なんですよ」とあなたが思い込んでいた事実は共有しますので、この際、間違った考えは改められてはいかがだろうか?。以下説明。
ROMで、ご覧になってる他の方々にも申し上げたい。まず、大前提として、WPの意思決定プロセスとは十分な議論をもって行なわれる、これは揺るがない。万が一、そうでないとおっしゃる方々が多数存在するのであれば、まず日本語版はここからゼロベースで議論し直さないと大変なことになる、というか、WPがコンセンサスベースのコミュニティであるという大前提が崩れてしまう。
次に、このコメント依頼自体もその範疇に当然入る。このWikipedia:コメント依頼のページをよーく読んでいただくとお分かりになると思いますが、何が主で何が従の構図になっているのか?主従関係。「議論を活性化」するような、活性剤としての機能をもつ「コメント」を新しく募集するのが、この「コメント依頼」です。コメントを募集するのはあくまで議論するためであって、議論が「主」、コメントは「従属関係」にある。コメントはそれ自体が目的ではありません。あくまで目的は話しあうこと=議論であり、そのためのパーツとして当然コメントをくださいね、ということです。クロストークは禁止するというようなマイルールは大前提に明確に違反するし、もしそう考えておる方がおられるのならば、これはこれで大問題であるので、別途しっかり話あう必要が出てくるでしょう。この件は、ブロック依頼をはじめとする依頼系がクロストークがあたかもしてはいけないかのような運用をしている、という本依頼の問題提起とまったく同じ話です。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 10:09 (UTC)[返信]
  コメント被依頼者は事実誤認をしていると考えます。Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224においては、反対票が一票しかなく、かつ本人の行為を評価したものではないのでコミュニティの総意としてGcG氏の行為にはブロックするに値するということが明らかとなったということです。
ルールの不備はルール改定で検討すべきことからです。したがってここの議論で議論するのではなくWikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針に、ルールを具体的にどのように変えるかを提案し、かつ合意形成してルールにとりこむ話です。
しかし、そのような経緯であるのに対して、Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224においてルールにしたがって意見を述べている人を批判するというのは本末転倒の嫉みであると存じますし、ルールのWP:悪用であると存じます。--あら金 2010年3月27日 (土) 07:46 (UTC)[返信]
これはルールの不備の話ではありません。多数決でない議論重視であるべき意思決定の場で、実質上多数決がまかり通っているという指摘。ルールならばすでにある。それを守ってないだろう?ということ。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 07:51 (UTC)[返信]
Wikipedia:投稿ブロックの方針#通常の投稿ブロック依頼手続きを引用すると『投稿ブロックの可否についてコメントを述べて議論に参加することができます。』つまりコメントは議決ではないのでコミュニティの意見のヒアリングにすぎません。ヒアリングを踏まえて管理者が決定するので、ヒアリングは管理者が決定するうえでの参考意見です。ブロックの可否は「投票で決する」とは書いていないので事実誤認であると申し上げました。--あら金 2010年3月27日 (土) 08:18 (UTC)[返信]
WPの合意形成、意思決定プロセスとは十分な議論によって成立するという、あたりまえの理解ですが、いつから「一方通行でパラレルでクロストークもないヒアリング」を集計して、それらを「『参考』にして管理者が独自裁量で最終的な決定」する方式に変わったんですか?--Memoman1 2010年3月27日 (土) 09:13 (UTC)[返信]
ヒアリングの主題は被依頼者の行為が投稿ブロックに値するという点であり、その主題は異議はないでしたので、その点でヒアリングの主題は合意形成されていたと存じます。主題とは異なる観点(議論の進め方)が提示され、それに異議はありましたが、議論の進め方を変えることは、過去に被依頼者の行ったことの意味を変えることにはなりません。したがって、主題とは異なる観点の異議は被依頼者の行為の評価とは無関係です。無関係の意見でヒアリングの主題の票がが無効であると主張することは「こじつけ」というと考えます。--あら金 2010年3月28日 (日) 03:45 (UTC)[返信]
そうではなくて「ヒアリング」というのは、あくまである判断主体がいて、その判断材料として従属的にただ「ヒアリング」されるだけの意見者がいるという構図ですね?いつから、依頼系は、管理者主体で一般利用者がそれに従属する言論体系、意思決定プロセスになったのですか?と聞いています。「ヒアリング」ってのはですね、議論じゃないんですよ。WPはコンセンサスのコミュニティであり、管理者は一般利用者を「ヒアリング」��意思決定する上位主体ではないですよ?なんかあなたの理解は根本的に歪んでるなあ。--Memoman1 2010年3月28日 (日) 14:09 (UTC)[返信]
『投稿ブロックの可否についてコメントを述べて議論に参加することができます。』つまりコメントは議決ではないのでコミュニティの意見のヒアリングにすぎません。」ここ。「つまりコメントは議決ではない」と言っているが、「議決」という概念はどっから湧いて、どういう意味で使っておられるのか?さらに「議決でないから意見のヒアリングにすぎない」というように、いきなり各利用者の合意形成を目指すクロストークであるべき議論が、パラレルで一方通行の管理者の管理者のための参考意見ヒアリングの構造に転嫁されているロジックも意味不明。
Wikipedia:投稿ブロックの方針においても「賛否が割れた場合は議論を尽くして合意に努めた後、原則として多数意見を尊重するものとします。議論の結論を出す期間は特に緊急性が無い場合には5日間とします。」と議論しろ、合意に努めろと注意書きのようなものがある。これは当たり前の大原則で、それはWPというプロジェクトがコンセンサスベースのコミュニティだから。
確かに案件を最終的にクローズするのは管理者の役割だろう。しかしそれはコンセンサスの外に管理者がいるという意味でも、管理者が最終的な意思決定者として上位の存在である意味でもない。あら金 さんは、もっとこの辺ちゃんと理解してください。そして、このコメント依頼では、多くの利用者がまさに「ヒアリング」されるだけのコメント書き捨てのような形態で終わっており、各利用者のコメントの妥当性も吟味されることもなく、ただの多数決表決になっており、合意形成のための議論の形跡がないだろう?と指摘しています。--Memoman1 2010年3月28日 (日) 14:54 (UTC)[返信]

  コメント 依頼者が例として持ち出してきた案件には特に問題として取り上げるべき要素はないと思いました。依頼者の言うような問題が全く起こり得ないとは言いませんが、現状では「本来の百科事典記事をつくるという本分から著しい乖離が観察される」とまではいかないんじゃないかな、と。その辺りはまあ良いとしても、もっと活発な議論をという依頼者の要求にも、少々首を傾げる部分があります。確かに有益な議論は盛んに行われるべきですが、「議論のための議論」になってしまっては疲弊を招くばかりで、何も得るものはありません。依頼者の求める議論とは一体何であるのか、ここでのやりとりを見ていると何だか不安な気持ちにさせられてしまう、というのが正直なところです。--すっく=ら=ぼん 2010年3月27日 (土) 11:29 (UTC)[返信]

これは議論のための議論ではけしてありません。何が問題であるか?修正すべき点があるのではないか?きちんと明確に示した上で問題提起しているはずです。逆にお伺いしたいのですが、何も得るものはないとおっしゃるが、今後どうしていけばよいとお考えですか?現状維持でよい、というお答えならば、件のブロック依頼について、議論、コンセンサス形成を図った形跡がないという私の指摘について、どうお考えなのでしょうか?ブロック依頼は「特殊な場」であり、WPの話し合い、議論によって意思決定がなされるというルールの範疇外である、というお考えでよろしいか?問題が無いと言われるのであれば、なぜ問題が無いと思うのか、私が提示させていただいたものにそって具体的な言及をお願いしたい。そうでなければ、それもただの論旨がない賛成反対のコメント書き捨てでは、ないですか?建設的な議論のために理由の明示をよろしくお願いします。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 11:42 (UTC)[返信]
これはまたお早いお返事で……。EULEさんの指摘と重なってしまいますが、コメントを募っているのであれば、あまり焦ったコメント返しはされるべきではないと思います。あまり依頼者が張り切りすぎると、どうにも第三者は口を挟みにくくなるものですので、御一考下されば幸いです。
さておき、見解の相違という事になるのかも知れませんが、私はコメント依頼を議論のための場としては捉えていません。「私はこう思う」「僕はこう思う」といった意見の集積をコミュニティの総意とし、依頼者ないし被依頼者の参考としてもらう、というのが本分であると考えるからです。そのために場合によっては議論が行われる事もあるでしょうが、しかし必ずしも議論を必要とする訳ではなく、今回もコメントの集積が行われればそれで充分であろうと考えています。これはブロック依頼にも通じる部分があるんじゃないかな、と(この場合、コメントを参考にするのは管理者となります)。
ご質問に回答する形にまとめなおしますと、
  • 今後どうしていけばよいとお考えですか?
特にどうするべき、という事はないと考えています。
  • 件のブロック依頼について(中略)どうお考えなのでしょうか?
上述した通り、「意見の集積」が目的である(ので、何も問題はない)と考えています。
  • ブロック依頼は(中略)ルールの範疇外である、というお考えでよろしいか?
いいえ。恐らくルールの解釈が違うのでしょう。ただ、我々のどちらかが間違っている、といった性質のものでは、恐らくないと思います。
物凄くいい加減にまとめると、「そんなに議論に拘らなくてもいいんじゃないの?」ってところですね。というか私自身、ここで議論を続ける事にはさほどの有益性を見出す事ができませぬゆえ、これ以上のコメントは差し控えさせていただきます。悪しからずご了承下さいませ。--すっく=ら=ぼん 2010年3月27日 (土) 12:14 (UTC)[返信]
別に焦っているわけでも、張り切っているわけでもありません。ただたまたま返答が早かったということです。
さて、質問の意図とい���より「このコメント依頼の主旨」をもう一度お読みになっていただきたい。確かに上では「コメント依頼自体」の話になっていますが、それはあなたが、どう捉えようとも、主従の関係で議論が主であるのは、だれでもコメント依頼の文書を読めばわかることです。
おそらくですね「コメント」を「依頼」という構図で、コメントさえもらえれば目的が達成という誤解している方が非常に多いのだと危惧しますが、別にそれは「コメント依頼者」が「自分の参考」にしたいからコメントしてくれ、というわけではないのですよ。「議論が停滞しているから」「新しいコメントをしてほしい」という意味であるのは、Wikipedia:コメント依頼をよーく読めば誰でもその程度の意味はわかると思うのですが、今の話を伺ってると、どうもそうでもないようで残念ですね。
結局のところ、すっく=ら=ぼんさんのまとめによると、WPではコンセンサス形成というのは必要ない、ということになるのでしょうか?最終的に意思決定するようなブロック依頼のような場においては、「議論のない」「意見の集積」とは、それはつまり多数決ということであり、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんのプロジェクトの立ち位置ではないので、あなたの見解は誤りであるということになります。僕が問題視しているのはそういう姿勢の利用者がどうも多いようだ、ということです。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 12:52 (UTC)[返信]
近頃ブロック依頼の場にて期限を定めないブロックが数多く行われている現状、Memoman1氏の意見は考慮すべきであるとは思います。しかしGcG氏へのブロック依頼での利用者のコメントを引用しながらGcG氏の数回にわたるブロック依頼の原因になった振舞については自身の判断を表明しない、GcG氏へのブロック依頼中に利用者各位の発言に対し感情的であるなどの指摘を行っていない(ノートでの指摘もされていません)、ブロック後にBellcricket氏に対しブロックを行った理由を聞くことなく「多数決だから?」と無責任なコメントを入れる。このような点を見るにMemoman1氏には問題提起を行う前に何故そういう経緯に至ったかという点を考えて頂きたく、また他人のコメントを自分の都合の良いように解釈することは宜しくないのではと意見します。
Memoman1氏に一つだけ質問を置いておきますがGcG氏の数回にわたるブロックの原因となった編集について、利用者の行為として推奨されるものと考えておりますか?この一点お答え願います。--202.224.70.9 2010年3月28日 (日) 16:00 (UTC)[返信]
ブロック依頼の判定とは、プロジェクトの総体を鑑みて、その運営利益をもって判定すべきものであって、極限られたいつもの固定メンバーつまり被依頼者と長らく執着も悶着もある利用者たちの感情は全体の利益を反映しているわけでもなんでもなく、彼らが気にいらないのであれば、その少数の方々が被依頼者を無視すればよかろうという見解、大多数の利益とは無関係なのだから彼らの感情論は一切汲み取る必要はないという見解です。
特に、ご指摘の内容、被依頼者とその依頼参加の利用者の発言に感情的なやりとりが事実観察されるのであれば、理想的にはそういう感情的軋轢のある利用者はブロック依頼の判定主体としては除外すべきです。ブロック依頼に参加することは自重されたい。それくらいの節度はあってもいいんじゃないですか?自分はあまりにも被依頼者と感情が交差しているので、客観的判断主体の資格は失っているという自己判断。それが彼らにはできないのだろうか?引用させていただいておるとおり、彼らのコメントをみていても、プロジェクト全体の利益を客観的に判定する立場にあるとは到底考えることはできません。
「また他人のコメントを自分の都合の良いように解釈することは宜しくないのでは」というご意見ですが、このように繰り返し述べさせていただいておる理由をもって、その観点から彼らのコメントには妥当性は見いだせないということであり、都合よく解釈しているつもりは全くないです。また、被依頼者の言動自体は本論でありません。それは感情論と切り離して、プロジェクトの大局的な観点から問題があるかないか、その一悶着ある連中はむしろ除外した上で、そういう依頼の場で、しっかり、別メンバーによって吟味、議論されるべきものであると考えます。
私個人の観察では、被依頼者の言動は推奨されるものではありませんが、無期限ブロックするだけの意味はありません。ほうっておいても何の問題もない。なぜなら彼が編集してもプロジェクトには損失はないからです。ほうっておけない、と思うのは、彼となんら感情的摩擦がある方々であって、それは、依頼者の海獺氏はじめ彼の言動を逐一細かいところまで追跡しているからでしょう。今回槍玉に上げられた個別の案件だって、問題ないと論評している利用者もいるし、どうみても編集権を封じるだけの被害が生じているとは観察されません。そういう判断が僕から普通に出てくるのは、被依頼者のような人もいるのだなあ、と思っているだけで、なんら個人的衝突も感情的摩擦もないからです。それがある人らがああいう感情論のみを書き立てるのでしょう。書き立てるのは自由ではあるがそれ即ち無期限に編集権を封じる、ってなれば、これは運用がおかしい。そういう人らの判断は、無視すべきだが、「真に受ける」運用がおかしいのです。
Jawpではよく見かける不健全な光景ではあるが、こういうのはね、社会一般ではなんていうかというと「マッチポンプ」と呼ばれているのです。ほっときゃいいのに、ずっと被依頼者に固執している依頼者が、自分の「堪忍袋」のタイミングを見計らって、パッとマッチをする、同じ種類の堪忍袋を共有するほっとけない利用者達が集まってきて、ばあっと燃え広がる。そうでしょう?依頼者は依頼の冒頭で「マッチポンプに失敗するようであれば、すぐにこのマッチは隠します」というようなことをご自身明言されておられる。非常に賢明というか狡猾な立ち振る舞いです。ここに、プロジェクトの利益を相対的に俯瞰している利用者は、その依頼者も含め誰もおりません。もちろん、ご覧のように、馬鹿馬鹿しいと力ない反論をする利用者は2,3名おられます。しかし、そのまっとうなコメント自体が議論に繋がらない、発展しない、多勢に無勢となってしまっている、という今回の僕の問題提起です。
横から見ていれば、というよりリアルタイムで見ておらず後から知ったのですが、所詮、またいつもの常連と折りあわず仲が修復不可能な状態まで悪化したから追い出されたのだな、としか思っていません。その依頼のなかで無期限ブロック反対の見解を述べている複数の利用者と似たようなものです。そしてそのいつもの常連の方々は、自分の感情をもって追い出そうと判断しているだけで、なんらプロジェクト総体の視点など持っていない、持っているとは装っているが、けしてそうでないのは私が引用したコメントから明らかである、ということ。--Memoman1 2010年3月28日 (日) 16:48 (UTC)[返信]

一考の余地があるコメント依頼だと思います。Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224でのコメントについてはまったく言葉足らずであったことを認めざるを得ません。これについては大いに反省し、今後の参加姿勢を改めたいと思います。--akane700 2010年3月27日 (土) 13:16 (UTC)[返信]

他者のコメントの改変はやめてください。どういうつもりなのか説明を求めます。--Memoman1 2010年3月27日 (土) 13:20 (UTC)[返信]
wikipediaもしくは私側のPCの誤作動と思われます。他意は一切ございません。問題箇所は復帰済みです。大変失礼致しました。--akane700 2010年3月27日 (土) 13:33 (UTC)[返信]
  • 議論の目的は合意形成であるので、合意が形成されていることが明らかであると理解されるのならば、必要以上の議論は行われない場合もあると思います。また、「念のためですが、(絶対反対)されたNekosuki600氏、反対よりのコメントにおさえた Yassie氏は、よりその辺のプロジェクトの大局を見据えて冷静なコメントをしておられるのは、彼らのコメントをご覧のとおりです」とのことですが、「三脚でぶんなぐってやる」という部分に象徴されるように、両氏のコメントにも感情は含まれているのではないでしょうか。「「気に入らない」「不快だ」「態度が悪い」「うんざりだ」「邪魔だ」「反省していない」「もう付き合う必要はない」」は投稿ブロックの方針における「コミュニティを疲弊させる利用者」に該当するということを述べているのだと思います。--Calvero 2010年4月1日 (木) 12:29 (UTC)[返信]
「感情が含まれている」のはその通り。特にね、「三脚でぶんなぐってやる」というような表現は、自分はその態度は推奨されるものではないと考えているという強い態度表明として、ツールとして有効。感情表現はおうおうにして態度の表明、強い不条理感の指摘をするために有効。しかしね、この「感情」=方針の論理に繋げるか、繋げないか、感情は感情として置いといた上で全体をみて判断するか、それとも全体を見ず自らの感情に埋没して判断するか、そこで冷静さが問われる。このコメント依頼では、そういう感情と論理の「切り分け」の話をしているわけですが、この程度の事は彼らコメントをみて、僕の書いていることをみて普通にわからないのだろうか? なお、全部そういうのをひっくるめてオールマイティに「コミュニティを疲弊させる利用者」に該当するということを述べているのだだと正当化したら、ブロックの方針において、今あるその他すべて細かい限定条項など不要になってしまうし、それは感情論の免罪符として認めるべきではないです。--Memoman1 2010年4月3日 (土) 04:21 (UTC)[返信]
  •   コメント 以下にコメントします。
    1. 本コメント依頼の概要で「現在のブロック依頼の運用の妥当性についてのコメント」を求めているにも関わらず、事例としてWikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224たったひとつを取り上げている点が異常に思えます。現在のブロック依頼の運用の妥当性についてコメントを求めるのであれば、直近のブロック依頼から、問題と思うものを複数挙げていただかないと、Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224に対するコメントにならざるを得ません。
    2. しかも、同じくコメント依頼の概要で『各種依頼では「議論をしてはいけない」とか言う人が多数出てきているようで』と書いていますが、ごくごく最近のWikipedia:投稿ブロック依頼/Clarin 2回目Wikipedia:投稿ブロック依頼/高田明彦 横山新一 解除・追認など、コメントの場で議論されているものがあります。
      それを無視して、反対者も手続き論的な理由からのみ反対しており、単に、参加者が議論の必要性を感じなかったのではないかと思われるWikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224を取り上げてこのようなコメント依頼を提出している事の理解に苦しみます。
    3. Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224の取り上げ方についても、長期のブロック賛成者の意見ひとつひとつに反論する必要があるのでしょうか? 反論の内容についても「被依頼者であるGcG氏の振る舞いについては、私自身の判断は表明しません」と、GcGさんの過去の経緯をまったく考慮せずに述べているため、その意見には疑問を覚えます。
    4. また、Memoman1さんは、IP219.105.45.238さんによるコメントを「オフトピックだから」という理由で本コメント依頼のノートに移動されましたが、移動した旨を本文中で告知しておらず、その姿勢には疑問を覚えます。自分に都合の悪い意見だから見えないように移動した、と思われても仕方ありません。
以上の理由から、このコメント依頼は概要の節の内容に反して、結局のところWikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224に対して文句を言いたいのだとしか思えません。-- 2010年4月3日 (土) 16:34 (UTC)[返信]
結局のところ、さんは、依頼者である僕のことしか書いておられない。コメント依頼とはたしかに「依頼不備」うんぬん語られることがありますが、今回の依頼は「利用者についてのコメント依頼」です。論点が完全にずれている。というより、意図的に論点を見ず、ずらしている姿勢を感じます。今回の「利用者についてのコメント依頼」の主題、僕が提議した利用者の振る舞いについてプロジェクトの大局的な観点からいったいどう思うのか?ブロック依頼の運用について現状問題がないのか?問題があるのか?という観点から一切コメントをいただいておらない。もう一度それを念頭においてご自分のコメントを読み返していただきたい。「コメント依頼の提議」については論じる気はさらさらないようで、長々と「依頼者の姿勢」について攻撃することのみ興味がありエネルギーを注ぎ込む。こういう姿勢はよろしくない。以上のような理由から単に本論をそらす、議論妨害に陥っていると考えますので、今回の態度を修正していただいて、再度、依頼にそって、本論に参加、コメントいただくことをお願いします。
1. 『各種依頼では「議論をしてはいけない」とか言う人が多数出てきているようで』というのは、事実です。さらにこのコメント依頼でさえも当初、議論するな、という見当違いのことを言う方が出現した。これはこの傾向の顕在化にすぎない。今の、さんだって、「本論については議論しない」という態度表明なわけでしょ?上で書いた通り。ここは当該「利用者についてのコメント依頼」です。
2. 事例としてWikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224を採用したのは、僕が注目している大局的観点からのプロジェクト運用の歪みに置いて、典型的なわかりやすい依頼のケースであるからです。複数あげようが単一であろうが、事実起こっている事について、その観点からわかりやすい例証をしたのです。よって事例が単一であることは、単なる例証の仕方のはなしであって、なんらこのコメント依頼の妥当性を失わせるものではありません。目を背けずにちゃんと論じてください。
3. ひとつひとつに「反論」したのではないです。取るに足らない感情論にすぎないと「切り捨てた」というほうが正しい。ブロック依頼において、そういう彼らの感情論はまともに相手にすべきではない。前に書いたとおりです。反論にも値しない。「被依頼者であるGcG氏の振る舞いについては、私自身の判断は表明しません」についてですが、それは本論でないから、と最初に書いたとおりですが、一応、-202.224.70.9さんからご質問していただいて、回答もしています。ご覧ください。
4. ノート移動について、「都合が悪い」のはその通りで、今もそうやってだらだらこの本論にそういうオフトピックを引きずる方が出るでしょう?貴方も現在そうやって本論について議論妨害をしていることを自覚されたし。オフトピックはオフトピックであり移動するのは妥当。これには議論の余地などない。
繰り返します、特定の依頼についての文句にすぎない、などと僕について揶揄したところで、いったい何になるんですか?この依頼ではプロジェクトの大局的な観点から運用に問題があるでしょう?とちゃんと論旨を明確に指摘しているはずだ。貴方の今回のコメントは単に本論をそらす、議論妨害に陥っていると考えますので、今回の態度を修正していただいて、再度、プロジェクトの大局的観点から依頼にそって、本論に参加、コメントいただくことをお願いします。--Memoman1 2010年4月3日 (土) 21:44 (UTC)[返信]
以下にコメント致します。
  1. 「議論をしてはいけない」について何も書いていないのは、本コメント依頼の主題がWikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224への不満の発露にしか思えないため、本コメント依頼では議論する必要性を感じないためです。
    もしこれについて議論したいのであれば、適切な形で論点を整理してコメント依頼を再提出するか、井戸端にトピックを作成して下さい。
  2. Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224は、過去の経緯を確認すれば分かりますが、本投稿ブロック依頼の依頼者、賛成者は、度重なるGcGさんの行為にうんざりした感情が発露しただけだとしか見えません。暗に、過去に何度も問題点を書いたから、もう書かなくてもいいよね、と言っているように感じます。
    反対者にしても、被依頼者の行為については「GcGは、自分のスタンスが支持されたとか思うんじゃねーぞ。思ったら三脚でぶんなぐってやる」と強い言葉で非難しており、手続き的な理由(依頼内容が感情的である)から反対している、もしくは反対寄りであるだけです。
    よって、Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224では、賛成者、反対者とも被依頼者の行為に問題があると考える点では一致しており、議論が発生する余地がありません。
    そのため、この投稿ブロック依頼を以て「大局的観点からのプロジェクト運用の歪み」と言うのは、不適切と考えます。
    もちろん、感情的な書き方で依頼、賛成票を投じるのが不適切なのは確かです。
  3. 大局的な観点を論じたいのであれば、長期ブロックの賛成者の意見ひとつひとつを切り捨てる事に意味はありません。論点がぼけるだけです。
    あと、反対票については、「三脚でぶんなぐってやる」と感情論になっている点は無視して、Memoman1さんは「冷静なコメントである」と示しており、中立的とは思えず、議論に気持ち悪さを感じます。
  4. オフトピックとして移動する事は否定していません。移動した後にその旨をコメント依頼本文で告知していなかった点を「自分に都合の悪い意見だから見えないように移動したと思われても仕方ない」と問題視しています。
    たとえばWikipedia:個人攻撃の除去についてすら、例では除去した旨を記述する事が書かれています。よって、Memoman1さんが、ご自身に対して否定的な意見を移動するのであれば、もっと慎重になるのは当然の事です。
    なお、
    > 貴方も現在そうやって本論について議論妨害をしていることを自覚されたし
    私は、議論妨害であるとは、まったく思っていません。依頼者に対して否定的な意見が複数出ているであれば、オフトピックであると切り捨てるのではなく、依頼者は、ご自身の依頼内容に問題があったのではないかと一考するべきです。
Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224が依頼、賛成票ともに感情論に傾いている事に対してコメントを求めるのであれば「不適切であった」旨をコメントしますが、今回のコメント依頼は「現在のブロック依頼の運用の妥当性について」ですので、「挙げた事例は不適切である。なぜなら、ブロックの被依頼者に問題があるという点で賛成者、反対者の意見が一致しており議論が発生する余地が無く、運用の妥当性に問題がある事を示すものではない。また、依頼者は、反対意見を断り無くノートに移動するなど、議論の進め方にも問題がある」としか言いようがありません。-- 2010年4月4日 (日) 01:27 (UTC)[返信]
繰り返します。オフトピックについては、ノートに別途書いてください。このコメント依頼とは関係ない。続けるようであれば、これ以上妨害されないために貴方宛のコメント依頼を別途提出します。--Memoman1 2010年4月4日 (日) 01:56 (UTC)[返信]
1. 主題については明確にしています。「不満の発露にしか思えないため」不満であるというのであれば、不満。問題がある典型的な案件であると指摘しています。論点も整理されていますが、なぜ別途提出しなければならないのか?何を提出するのか?どうすれば満足なのかよくわからない。非常に不条理な要求のように思えるし、貴方の思うやり方に従うつもりはありません。
2. 「Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224は、過去の経緯を確認すれば分かりますが、本投稿ブロック依頼の依頼者、賛成者は、度重なるGcGさんの行為にうんざりした感情が発露しただけだとしか見えません」そのとおりです。これを僕はこの依頼で指摘している。ならば、それは無期限ブロックに相当するのか?ということ。それはプロジェクトの総体の利益を反映しているのか?ということ。うんざりしてるならば、彼らが無視すればいいんじゃないのか?ということ。「賛成者、反対者とも被依頼者の行為に問題があると考える点では一致しており、議論が発生する余地がありません。」なんで、賛成反対両者いるのに、「議論が発生する余地がない」となるのか、意味がわからない。
3. 「大局的な観点を論じたいのであれば、長期ブロックの賛成者の意見ひとつひとつを切り捨てる事に意味はありません。論点がぼけるだけです。」 論点を明確にするために「例証」しているのです。大局的な論点を明確にするための意味があってそうしている。「三脚でぶんなぐってやる」は感情論であり、その感情論とブロック賛否を切り分けている態度が冷静であるということ。これはすでに説明しました。これは、本来説明するまでもないことですが、気持ち悪いと感じるのは、そういう読み取りが足りないか、すでに説明したものを読んでおられないのですね。
4. すでに申し上げた通り、道理を理解できずに、議論妨害を正当化し、対話が平行線のままであるのであれば、あなた宛の利用者コメント依頼を提出して、コミュニティの信を問います。--Memoman1 2010年4月4日 (日) 02:11 (UTC)[返信]
Wikipedia:個人攻撃の除去というのは、コメントアウト、除去のことだろう?僕がやったのは、コメント依頼の本論と関係のない議論妨害になりかねない、実際なっていたオフトピックコメンツをノートに移動したということ。一緒にしないように。--Memoman1 2010年4月4日 (日) 02:28 (UTC)[返信]


Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224が依頼、賛成票ともに感情論に傾いている事に対してコメントを求めるのであれば「不適切であった」旨をコメント」「Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224は、過去の経緯を確認すれば分かりますが、本投稿ブロック依頼の依頼者、賛成者は、度重なるGcGさんの行為にうんざりした感情が発露しただけだとしか見えません」→「感情的な書き方で依頼、賛成票を投じるのが不適切なのは確かです。」ということですね?
不適切であると貴方が認めるブロック依頼において、ちゃんと不適切でないようにその感情論と切り分けて、事実「反対姿勢」を表明している反対者、そして感情論そのものに埋没している賛成者。このように適切な参加者、不適切な参加者、両方いるのに、なんで見解が一致して議論の余地がない、ブロック依頼の運用に問題がないことになるのですか??再度説明を求めます。--Memoman1 2010年4月4日 (日) 02:22 (UTC)[返信]
上で指摘させていただいたとおり、さんについて「議論妨害」したいからそういう事にエネルギーを費やすのか、それとも、そういう事にエネルギーを費やすのが好きだから、ああいう「議論妨害」のコメントになってしまうのか?どちらでもよいですが、それはそれとして、さんについては再度依頼本論についてのコメント、他の方には、引き続き「依頼本論についての」話し合いに有用なコメントをお願いします。--Memoman1 2010年4月3日 (土) 21:59 (UTC)[返信]

これまでの中間まとめ

編集

当コメント依頼提出より、ちょうど1週間が経過し、それなりにコメントもいただいておるので、ここで依頼者より中間まとめをさせていただきます。

コンセンサスベースのコミュニティである、依頼系では限定された固定メンバーの感情がプロジェクト総体の利益判定に反映され、その趨勢が往々にしてコミュ二ティ意思決定と確定される状態はまずい、そういう観点の議論さえ抑制しようとするよからぬ人らが存���する、特にブロック依頼の運用はこのように極めて杜撰でいい加減である、という問題点の指摘、その提議についての話し合いを期待して、当コメント依頼を提出しました。

しかしながらここまでのところ、このコメント依頼自体も、当事者はけして認めないでしょうがノートも含め議論妨害の姿勢が多数観察され、非常に残念です。なぜ「杜撰である」という指摘に真摯に向きあってコメントしない、話し合いをしようとしないのか?

これまでのところ、名指しで批判をされたものの当コメント依頼の提議についてそのまま受け取り、自らの姿勢をもって軌道修正に寄与する態度を表明されたのは、akane700さんただお一人である、という状況です。非常に残念な状況。

当コメントの依頼による「杜撰である」という指摘にたいし、『それくらいいだろう、それよりもこのコメント依頼が、依頼者が。。。』と続けることは、要するに本論については話しあうつもりは毛頭ないという、あからさまな態度表明です。現に当依頼は、結構超大な議論のようにみえて、これまで本論についてはなんら議論は深まっていない。まったくといって話しあわれていない。

杜撰である、という指摘をこのように受け流すのであれば、それはここに本論の議論を拒否する、ここでこのように本論で話しあうつもりもない、議論妨害に該当するコメントをしている利用者の方々自身が、この杜撰な状況を黙認し、杜撰な態度をもって依頼に望んで問題ない、それでよしとする、杜撰な運用を後押しする、杜撰な利用者であるということです。非常に問題がある。それこそが、このコメント依頼の状況から明らかになった事実である、と僕は考えています。当依頼の現状での成果物があるとするならば、その明確な事実でしょう。依頼系の杜撰な運用は、このように裾野が広い杜撰な利用者群によって支えられている。

以降は、ぜひ当依頼の話し合いを妨害されることがなく、真摯に本論について真正面から向き合った話し合いをされることを、依頼者として強く期待しております。--Memoman1 2010年4月4日 (日) 01:51 (UTC)[返信]

まとめられるのであれば、ご自身の意見も他のコメントと同列の重要度としてとらえ、中立的な観点から各位のコメントをおまとめ下さい。
上記の内容は、まとめではなくMemoman1さんの意見表明になっています。「当事者はけして認めないでしょうがノートも含め議論妨害の姿勢が多数観察され」など、ご自身の意見に同調するakane700さん以外のコメントが不適切なものと決めつけた上で、本コメント依頼の経緯を書いています。-- 2010年4月4日 (日) 02:34 (UTC)[返信]
まず大前提としてですね。本論についてほとんど話しあわれていないのは「事実」です。誰でもみればそれは客観的に「中立」に確認できる。akane700さん以外のコメントが「適切」も「不適切」もないでしょう。コメントしていないのだから。貴方も含め、本論に真っ当な形でコメントしている人はいますか??--Memoman1 2010年4月4日 (日) 02:58 (UTC)[返信]
それでは、本論についてほとんど話し合われていない理由を、各位のコメントを踏まえてまとめて下さい。それがまとめです。-- 2010年4月4日 (日) 03:16 (UTC)[返信]
コメント依頼の本旨、骨子、その目的とはそのコメント依頼の運用方法にリソースを費やすものではありません。本論でない、そんなものをまとめてなんになるんですか?目的と手段の履き違え、本末転倒も甚だしい。現に貴方が今すべきことは、上で僕が貴方に質問した事にたいする回答だ。--Memoman1 2010年4月4日 (日) 03:20 (UTC)[返信]
個人的な経験から言うと、コメント依頼で依頼者や被依頼者が頻繁に「見解の表明」を行なうと、たいていの場合はぐだぐだになって放置される傾向にあります。また、方針やガイドラインのノートなどでも見られますが、逐次的なコメントは周囲をうんざりさせることが多いようです。できれば依頼者には、数日間コメントが出なくなるまで放置することをお勧めします。-- 2010年4月4日 (日) 03:43 (UTC)[返信]
  コメント「投稿ブロックルールが杜撰」なのか「投稿ブロックのコメントが杜撰」なのか「管理者の投稿ブロック判断が杜撰」で結論が違うので、その点を明らかにしないであれば「この依頼の『まとめ』も杜撰」ということになると考えます。--あら金 2010年4月4日 (日) 03:50 (UTC)[返信]

コメントと議論 続き

編集

依頼者への投稿ブロックの報告

編集

ノートにて、ikedat76さんよりMemoman1さんへの投稿ブロックの報告がございましたので、転記させていただきます。


転記は以上です。-- 2010年4月4日 (日) 07:49 (UTC)[返信]

終了提案

編集

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Memoman1 追認でブロックが追認された場合、そもそも内容自体が意味をなさなくなると考え、このコメント依頼も被依頼者に対して問題なしとしてクローズすることを提案します。--S-PAI 2010年4月4日 (日) 18:22 (UTC)[返信]

  •   賛成 クローズでいいと思います。
    ただ、該当の投稿ブロック依頼に賛否を表明した方のうち、一考の余地があるとコメントされた方もいらっしゃるので、考えるべき点はあったのかと思います。私としては、コメント依頼の内容が整理されていないため、何が主題なのか最後までよく分かりませんでしたが・・・。-- 2010年4月8日 (木) 17:39 (UTC)[返信]

まとめと終了

編集

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Memoman1 追認の結論は出ていませんが、チェックユーザー係の過半数がブロック並びにブロック追認しており、他のユーザからも明確なブロック反対が出てない以上、コメント依頼がブロックユーザによるブロック逃れ行為での荒らし行為として意味をなさなくなったとして、このコメント依頼についても「荒らしによる不当なコメント依頼」として被依頼者については問題なしとして閉めさせていただきます。なお、ブロックユーザ以外のかたでコメントすべきと思った方は論点をまとめた上で再度コメント依頼を出すことについては妨げないものとします。--S-PAI 2010年4月10日 (土) 01:10 (UTC)[返信]