1994年の広島東洋カープ
1994年の広島東洋カープ(1994ねんのひろしまとうようカープ)では、1994年の広島東洋カープの動向をまとめる。
1994年の広島東洋カープ | |
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成績 | |
セントラルリーグ3位 | |
66勝64敗 勝率.508[1] | |
本拠地 | |
都市 | 広島県広島市 |
球場 | 広島市民球場 |
球団組織 | |
オーナー | 松田耕平 |
経営母体 | 松田家(マツダ創業者一族) |
監督 | 三村敏之 |
選手会長 | 正田耕三 |
キャッチフレーズ | |
TOTAL BASEBALL(総合野球) | |
« 1993 1995 » |
この年の広島東洋カープは、三村敏之監督の1年目のシーズンである。
概要
編集19年ぶり最下位の責任をとって1993年のオフに山本浩二前監督が辞任すると、前年まで二軍監督を務めた三村敏之が監督に就任。三村監督は就任後、かつての同僚である山本一義をヘッド兼打撃コーチに招聘するなど、コーチ陣を一新。下馬評では前年最下位だったこともあり前評判は高くなかったが、投手陣は黄金時代を支えたエースの北別府学と川口和久、この年ローテ入りの紀藤真琴、先発・リリーフ両方こなせる佐々岡真司が控え、打撃陣でも不動の切り込み隊長・野村謙二郎や4番の江藤智を軸に、正田耕三・前田智徳・緒方孝市など打てて走れる選手を多く擁し、3年ぶりの優勝が期待された。しかし巨人との開幕戦でエース北別府がメッタ打ちされて大敗すると、続く開幕2戦目も川口がヘンリー・コトーに浴びた本塁打からKOされるなど投手陣が崩壊。さらにエース佐々岡がヤクルト戦で死球を受けたジェラルド・クラークに暴行され(クラークは1週間の出場停止)、大黒柱の北別府が右ひじ痛を訴えるなど故障者が続出したこともあり6月まで最下位を独走し、世間から「広島の優勝はおろかAクラスは無理」の声が上がった。しかし、4番の江藤やこの年レギュラー定着の金本知憲などといった主軸の活躍で7月からの2か月間で33勝17敗と大きく勝ち越して借金を返済すると、9月初めには首位独走の巨人が夏場から失速したこともあって1.5ゲーム差に急接近。最下位からの逆転優勝が期待されたが9月後半以降は中日に抜かれ、三村監督の1年目は3位で終了した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集開幕:4/9 | 5/1 | 6/1 | 7/1 | 8/2 | 9/2 | |||||||
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1 | 二 | 正田耕三 | 二 | 正田耕三 | 二 | 正田耕三 | 遊 | 野村謙二郎 | 遊 | 野村謙二郎 | 遊 | 野村謙二郎 |
2 | 遊 | 野村謙二郎 | 遊 | 野村謙二郎 | 三 | 御船英之 | 二 | 正田耕三 | 二 | 正田耕三 | 二 | 正田耕三 |
3 | 三 | 江藤智 | 中 | 前田智徳 | 中 | 前田智徳 | 中 | 前田智徳 | 中 | 前田智徳 | 中 | 前田智徳 |
4 | 中 | 前田智徳 | 三 | 江藤智 | 一 | メディーナ | 三 | 江藤智 | 三 | 江藤智 | 三 | 江藤智 |
5 | 左 | ブラウン | 左 | ブラウン | 左 | ブラウン | 一 | メディーナ | 一 | メディーナ | 一 | メディーナ |
6 | 一 | 小早川毅彦 | 一 | 小早川毅彦 | 遊 | 野村謙二郎 | 左 | 金本知憲 | 右 | 音重鎮 | 左 | 金本知憲 |
7 | 右 | 緒方孝市 | 右 | 音重鎮 | 右 | 緒方孝市 | 右 | 仁平馨 | 左 | 金本知憲 | 右 | 音重鎮 |
8 | 捕 | 西山秀二 | 捕 | 西山秀二 | 捕 | 西山秀二 | 捕 | 西山秀二 | 捕 | 西山秀二 | 捕 | 西山秀二 |
9 | 投 | 北別府学 | 投 | 紀藤真琴 | 投 | 長冨浩志 | 投 | 川口和久 | 投 | 片瀬聖敏 | 投 | 鈴木哲 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 中日 | 1.5 | 中日 | 3.5 | 中日 | 9.5 | 中日 | 8.0 | 広島 | 4.0 | 中日 | 中日 | 1.0 | |
3位 | ヤクルト | 3.5 | 横浜 | 4.5 | ヤクルト | 阪神 | 9.0 | 中日 | 6.5 | 広島 | 2.5 | 広島 | 4.0 | |
4位 | 横浜 | 4.0 | ヤクルト | 5.5 | 横浜 | 11.5 | ヤクルト | 10.0 | 阪神 | 8.0 | 横浜 | 5.5 | 阪神 | 8.0 |
5位 | 広島 | 5.5 | 阪神 | 7.0 | 阪神 | 14.0 | 広島 | 11.0 | ヤクルト | 9.0 | 阪神 | 6.0 | ヤクルト | |
6位 | 阪神 | 6.5 | 広島 | 9.5 | 広島 | 15.5 | 横浜 | 13.0 | 横浜 | 11.5 | ヤクルト | 7.0 | 横浜 | 9.0 |
期間 成績 |
7勝11敗 勝率.389 |
8勝13敗 勝率.381 |
9勝11敗 勝率.450 |
15勝9敗 勝率.625 |
18勝8敗 勝率.692 |
8勝11敗 勝率.421 |
1勝1敗 勝率.500 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 70 | 60 | 0 | .538 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 69 | 61 | 0 | .531 | 1.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 66 | 64 | 0 | .508 | 4.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 62 | 68 | 0 | .477 | 8.0 |
4位 | 阪神タイガース | 62 | 68 | 0 | .477 | 8.0 |
6位 | 横浜ベイスターズ | 61 | 69 | 0 | .469 | 9.0 |
オールスターゲーム1994
編集→詳細は「1994年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手
ポジション | 名前 | 選出回数 |
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投手 | 紀藤真琴 | 初 |
捕手 | 西山秀二 | 初 |
内野手 | 野村謙二郎 | 4 |
外野手 | 前田智徳 | 2 |
この年の広島は監督推薦による選出のみ。
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
野村謙二郎 | 最多安打 | 169本 | 3年ぶり2度目 |
盗塁王 | 37個 | 3年ぶり3度目 | |
紀藤真琴 | 最高勝率 | .762 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
西山秀二 | 捕手 | 初受賞 |
江藤智 | 三塁手 | 2年連続2度目 |
前田智徳 | 外野手 | 3年連続3度目 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
西山秀二 | 捕手 | 初受賞 |
前田智徳 | 外野手 | 4年連続4度目 |
ドラフト
編集→詳細は「1994年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 色付きはの選手は逆指名による入団
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 山内泰幸 | 投手 | 日本体育大学 | 入団 |
2位 | 嶋重宣 | 投手 | 東北高 | 入団 |
3位 | 朝山東洋 | 外野手 | 久留米商業高 | 入団 |
4位 | 高橋建 | 投手 | トヨタ自動車 | 入団 |
5位 | 横山竜士 | 投手 | 福井商業高 | 入団 |
6位 | 田村恵 | 捕手 | 樟南高 | 入団 |
7位 | 井上紘一 | 外野手 | 市立和歌山商業高 | 入団 |
出典
編集- ^ “年度別成績 1994年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年11月20日閲覧。
- ^ a b 『1995 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1994年。ISBN 4-583-03171-8。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。