座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度 / 43.7346500; 7.421333

1955年モナコグランプリ (1955 Monaco Grand Prix) は、1955年のF1世界選手権第2戦として、1955年5月22日モンテカルロ市街地コースで開催された。

モナコ 1955年モナコグランプリ
レース詳細
1955年F1世界選手権全7戦の第2戦
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
日程 1955年5月22日
正式名称 XIII Grand Prix Automobile de Monaco
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコの旗 モナコ モンテカルロ
コース 市街地コース
コース長 3.145 km (1.955 mi)
レース距離 100周 314.5 km (195.5 mi)
ポールポジション
ドライバー メルセデス
タイム 1:41.1
ファステストラップ
ドライバー アルゼンチン ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス
タイム 1:42.4
決勝順位
優勝 フェラーリ
2位 ランチア
3位 マセラティ

当レースには「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[1][2]

レースは100周で行われ、フェラーリモーリス・トランティニアンが予選9位から優勝、ランチアエウジェニオ・カステロッティが2位、マセラティジャン・ベーラチェーザレ・ペルディーサが車両を共有して3位となった。

レース概要

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1950年以来、5年ぶりにモンテカルロ市街地コースでF1が開催された[3]

メルセデスは曲がりくねった市街地コース用にショートホイールベース仕様のW196ファン・マヌエル・ファンジオスターリング・モスに用意した。通常仕様のハンス・ヘルマンは予選でクラッシュして重症を負い、アンドレ・シモンが急遽代走に起用された。予選はファンジオ、アルベルト・アスカリ、モスが0.1秒差にひしめく大混戦で、決勝もこの3人を軸として進んでいった。数周するとファンジオとモスのメルセデス勢が先行し、アスカリ、エウジェニオ・カステロッティジャン・ベーラが追う展開になる。50周目にファンジオがトランスミッションを壊してしまいコース脇に止まりリタイアすると消耗戦の様相が増す。これでモスがトップに立ち、2位にアスカリが続き、モーリス・トランティニアンが3位まで上がっていた。80周を過ぎるとモスの視界に2位のアスカリのマシンが見え始めた。アスカリは周回遅れにされまいとブレーキが不調なマシンに鞭を打ちペースを上げていく。すると、モスがトンネルに差し掛かるところで白煙を上げてスローダウンしてしまい、メルセデスのモナコGP制覇の夢は潰えた。これでトップに立ったアスカリだったが、背後のモスがリタイアしたことを知らず、ペースを上げたまま海側のシケインに差し掛かる。焦りとブレーキ不調が重なり、コース脇の藁束を引っ掛けて姿勢を乱すと、アスカリはマシンともども海中に飛び込んでしまった。アスカリは自力で水面に上がって潜水夫の救助を受けたが、鼻の打撲と酷いショックを受けたこと以外は幸いにも無事だった。これでトップに立ったのはトランティニアンで、2位のカステロッティがトランティニアンに迫ったが、ヘアピンでミスを犯し勝敗は決した[4]。トランティニアンとイングルベールタイヤにとってはF1初勝利で、フランス人初のF1ウイナーとなった。地元モナコ出身のルイ・シロンは6位で完走し、55歳292日のF1最年長出走記録を達成した[4]

当レースから僅か4日後、アスカリがモンツァ・サーキットで事故死した。週末のスポーツカーレースに備えて同地で練習走行していたフェラーリのピットを訪れたアスカリは、後輩カステロッティのマシンを借りてコースに出ていくとクラッシュを起こし、ほぼ即死の状態だった。クラッシュの原因は最後までわからなかった[5](詳細はアルベルト・アスカリ#事故死を参照)。アスカリ事故死の報せを受け、既に資金的に行き詰まっていたランチアはGP参戦計画の中止を表明した[6]

エントリーリスト

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No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2   ファン・マヌエル・ファンジオ   ダイムラー・ベンツ メルセデス W196 メルセデス M196 2.5L L8 C
4   ハンス・ヘルマン
  アンドレ・シモン 1
6   スターリング・モス
8   ロベール・マンヅォン   エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 23 2.5L L6 E
10   ジャック・ポレー
12   エリー・バイヨル
14   ルイ・ロジェ   エキュリー・ロジェ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
18   マイク・ホーソーン   ヴァンウォール・プロダクツ・リミテッド ヴァンウォール VW55 ヴァンウォール 254 2.5L L4 P
20   ケン・ウォートン 2
22   ランス・マックリン   スターリング・モス・リミテッド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
24   テッド・ホワイタウェイ   テッド・ホワイタウェイ HWM 53 アルタ GP 2.5L L4 D
26   アルベルト・アスカリ   スクーデリア・ランチア ランチア D50 ランチア DS50 2.5L V8 P
28   ルイジ・ヴィッロレージ
30   エウジェニオ・カステロッティ
32   ルイ・シロン
34   ジャン・ベーラ   オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
36   ロベルト・ミエレス
38   ルイジ・ムッソ
40   チェーザレ・ペルディーサ
42   ジュゼッペ・ファリーナ   スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 625 フェラーリ Tipo555 2.5L L4 E
44   モーリス・トランティニアン
46   ハリー・シェル 555
48   ピエロ・タルッフィ
  ポール・フレール 3
ソース:[7]
追記
  • ^1 - ヘルマンは予選でクラッシュして重症を負ったため、シモンが代走[4]
  • ^2 - ウォートンは負傷のため欠場
  • ^3 - 交代要員としてエントリー

結果

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予選

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 2   ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 1:41.1
2 26   アルベルト・アスカリ ランチア 1:41.1 0.0
3 6   スターリング・モス メルセデス 1:41.2 + 0.1
4 30   エウジェニオ・カステロッティ ランチア 1:42.0 + 0.9
5 34   ジャン・ベーラ マセラティ 1:42.5 + 1.4
6 36   ロベルト・ミエレス マセラティ 1:43.7 + 2.6
7 28   ルイジ・ヴィッロレージ ランチア 1:43.7 + 2.6
8 38   ルイジ・ムッソ マセラティ 1:44.3 + 3.2
9 44   モーリス・トランティニアン フェラーリ 1:44.4 + 3.3
10 4   アンドレ・シモン メルセデス 1:45.4 + 4.3
11 40   チェーザレ・ペルディーサ マセラティ 1:45.6 + 4.5
12 18   マイク・ホーソーン ヴァンウォール 1:45.6 + 4.5
13 8   ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 1:46.0 + 4.9
14 42   ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 1:46.1 + 5.0
15 48   ピエロ・タルッフィ フェラーリ 1:46.4 + 5.3
16 12   エリー・バイヨル ゴルディーニ 1:46.7 + 5.6
17 14   ルイ・ロジェ マセラティ 1:46.8 + 5.7
18 46   ハリー・シェル フェラーリ 1:46.9 + 5.8
19 32   ルイ・シロン ランチア 1:47.3 + 6.2
20 10   ジャック・ポレー ゴルディーニ 1:49.4 + 8.3
21 22   ランス・マックリン マセラティ 1:49.4 + 8.3
22 24   テッド・ホワイタウェイ HWM-アルタ 1:57.2 + 16.1
ソース:[8]

決勝

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 44   モーリス・トランティニアン フェラーリ 100 2:58:09.8 9 8
2 30   エウジェニオ・カステロッティ ランチア 100 +20.2 4 6
3 34   ジャン・ベーラ
  チェーザレ・ペルディーサ
マセラティ 99 +1 Lap 5 2
2
4 42   ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 99 +1 Lap 14 3
5 28   ルイジ・ヴィッロレージ ランチア 99 +1 Lap 7 2
6 32   ルイ・シロン ランチア 95 +5 Laps 19
7 10   ジャック・ポレー ゴルディーニ 91 +9 Laps 20
8 48   ピエロ・タルッフィ
  ポール・フレール
フェラーリ 86 +14 Laps 15
9 6   スターリング・モス メルセデス 81 +19 Laps 3
Ret 40   チェーザレ・ペルディーサ
  ジャン・ベーラ
マセラティ 86 スピンオフ 11
Ret 26   アルベルト・アスカリ ランチア 80 アクシデント 2
Ret 46   ハリー・シェル フェラーリ 68 エンジン 18
Ret 36   ロベルト・ミエレス マセラティ 64 トランスミッション 6
Ret 12   エリー・バイヨル ゴルディーニ 63 トランスミッション 16
Ret 2   ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 49 トランスミッション 1 1
Ret 8   ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 38 ギアボックス 13
Ret 4   アンドレ・シモン メルセデス 24 エンジン 10
Ret 18   マイク・ホーソーン ヴァンウォール 22 スロットル 12
Ret 14   ルイ・ロジェ マセラティ 8 燃料漏れ 17
Ret 38   ルイジ・ムッソ マセラティ 7 トランスミッション 8
DNQ 22   ランス・マックリン マセラティ 予選不通過
DNQ 24   テッド・ホワイタウェイ HWM-アルタ 予選不通過
DNQ 4   ハンス・ヘルマン メルセデス 予選でアクシデント(シモンに交代)
ソース:[9]

注記

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ラップリーダー
車両共有
F1デビュー
その他
  • ルイ・シロンが55歳292日の最年長出走記録を更新。6位で完走して最年長完走記録も更新した。

第2戦終了時点のランキング

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ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
  1 1   モーリス・トランティニアン 11 13
  1 2   ファン・マヌエル・ファンジオ 10
  1 3   ジュゼッペ・ファリーナ 6 13
  10 4   エウジェニオ・カステロッティ 6
  1 5   ホセ・フロイラン・ゴンザレス 2
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

脚注

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  1. ^ Kettlewell, Mike. "Monaco: Road Racing on the Riviera", in Northey, Tom, editor. World of Automobiles (London: Orbis, 1974), Volume 12, p.1383.
  2. ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。
  3. ^ 1952年にもモナコGPが開催されたが、スポーツカーによるレースであった
  4. ^ a b c (林信次 2000, p. 117)
  5. ^ (林信次 2000, p. 117,119)
  6. ^ (林信次 2000, p. 119)
  7. ^ Monaco 1955 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年12月18日閲覧。
  8. ^ Monaco 1955 - Qualifications”. statsf1.com. 2017年12月17日閲覧。
  9. ^ 1955 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 4 November 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。9 August 2015閲覧。

参照文献

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  • Kettlewell, Mike. "Monaco: Road Racing on the Riviera", in Northey, Tom, editor. World of Automobiles, Volume 12, pp. 1381–4. London: Orbis, 1974.
  • 林信次『F1全史 1950-1955』ニューズ出版、2000年。ISBN 4-89107-019-6 

外部リンク

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前戦
1955年アルゼンチングランプリ
FIA F1世界選手権
1955年シーズン
次戦
1955年インディ500
前回開催
1952年モナコグランプリ
  モナコグランプリ 次回開催
1956年モナコグランプリ
前回開催
1954年ドイツグランプリ
  ヨーロッパグランプリ
(冠大会時代)
次回開催
1956年イタリアグランプリ