鈴木省吾 (政治家)
日本の政治家
鈴木 省吾(すずき せいご、1911年8月7日 - 1999年10月4日)は、日本の政治家、法務大臣(第44代)、参議院議員(5期)。位階は正三位。
鈴木 省吾 すずき せいご | |
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生年月日 | 1911年8月7日 |
出生地 | 福島県岩瀬郡鏡石町 |
没年月日 | 1999年10月4日(88歳没) |
死没地 | 埼玉県大宮市 |
出身校 | 東京帝国大学農学部 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
第44代 法務大臣 | |
内閣 | 第2次中曽根第2次改造内閣 |
在任期間 | 1985年12月28日 - 1986年7月22日 |
選挙区 | 福島県選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1968年7月8日 - 1998年7月25日 |
在任期間 | 1952年 - 1968年6月12日 |
来歴
編集福島県岩瀬郡鏡石町出身。旧制白河中学、1933年、東京帝国大学農学部卒業[1]。戦時中、大政翼賛会に入る。そのため、戦後、公職追放となる[2][3]。その後福島県議会議員を経て、1968年の第8回参議院議員通常選挙に福島県選挙区から自由民主党公認で出馬し初当選。
党内では清和会(福田赳夫→安倍晋太郎→三塚博派)に所属し、参議院農林水産委員長を歴任。1985年12月から1986年7月まで第2次中曽根第2次改造内閣の法務大臣を務めた。1995年春の叙勲で勲一等旭日大綬章受章[1]。
1998年、当時いわき市長だった岩城光英に地盤を譲り政界を引退。1992年の再選から引退まで最年長参議院議員だった。1999年10月4日、老衰のため埼玉県大宮市の自宅で死去、88歳[4]。死没日をもって正三位に叙される[5]。
出典
編集参考文献
編集- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 『鏡石町史 第1巻 (通史編)』鏡石町、1985年。
公職 | ||
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先代 嶋崎均 |
法務大臣 第44代:1985年 - 1986年 |
次代 遠藤要 |
議会 | ||
先代 橘直治 |
参議院農林水産委員長 1977年 - 1978年 |
次代 久次米健太郎 |
名誉職 | ||
先代 八百板正 |
最年長参議院議員 1992年7月 - 1998年7月 |
次代 坂野重信 |