金石町
日本の石川県石川郡にあった町
金石町(かないわまち)は、かつて石川県石川郡に属していた町。
かないわまち 金石町 | |
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廃止日 | 1943年12月1日 |
廃止理由 |
編入合併 金石町、大野村、二塚村 → 金沢市 |
現在の自治体 | 金沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 石川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,475人 (1920年) |
隣接自治体 | 石川県:金沢市、石川郡大野村 |
金石町役場 | |
所在地 |
石川県石川郡金石町大字通町 (1928年までは大字本町) |
座標 | 北緯36度36分16秒 東経136度35分39秒 / 北緯36.60433度 東経136.59428度座標: 北緯36度36分16秒 東経136度35分39秒 / 北緯36.60433度 東経136.59428度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集現在の金沢市北西部に相当する。1943年(昭和18年)、大野村および二塚村とともに金沢市に編入合併して金沢市の地域となった。金沢市に編入されてから、金石町の各町名には金石が冠された。1968年(昭和38年)に住居表示制度の導入により、町名および地番の整理が行われ、金石本町(かないわほんまち)の一部と金石相生町(かないわあいおいちょう)を除き、金石東・金石西・金石北に町名が変更された。
歴史
編集- 鎌倉時代には宮腰と呼ばれ、北前船の寄港地で繁栄した。
- 江戸時代の加賀藩政期、前田利家が宮腰から金沢城へ入城した縁もあり、宮腰港は加賀藩の外港として優遇を受けていた。しかし、隣接する大野港(現在の金沢港付近)にも外港機能があり、大野村と宮腰町の間で利害が対立することが多かった。このような状況を見兼ねた加賀藩は宮腰町と大野村を地域として融合させようと1866年(慶応2年)に合併させた。新しい町名として、固いこと「金石(きんせき)の交わり[1]」(固い約束の意味)から金石(かないわ)を町名として採用した。宮腰地域が金石町本町(1889年に石川郡上金石町に名称を変更する。)、大野地域が金石町庄町(1889年に石川郡下金石町に名称を変更する。)となる。
- 両地域が融合したかに見えたが、1898年(明治31年)3月12日に大野地域(下金石町)が大野町に名称を変更して、金石の地域は本来の宮腰地域に限ることになる。
- 1898年(明治31年)には金石馬車鉄道(後の北陸鉄道金石線)が開業した。金沢に対しては金石往還(現在の石川県道17号金沢港線)で結ばれている。
1920年の国勢調査における世帯数は1,295戸、人口は6,475人。
年表
編集交通
編集鉄道
編集道路
編集- 金石往還(通称金石街道、現在の石川県道17号金沢港線)