西海町 (長崎県)

日本の長崎県西彼杵郡にあった町・合併により西海市

西海町(さいかいちょう)は、1955年から2005年まで長崎県西彼杵半島北部にあった西彼杵郡に属していた。

さいかいちょう
西海町
七釜鍾乳洞
西海町旗 西海町章
西海町旗 西海町章
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 新設合併・市制施行
西彼町大瀬戸町西海町大島町崎戸町 → 西海市
現在の自治体 西海市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
西彼杵郡
市町村コード 42311-4
面積 67.27 km2
総人口 8,860
(2003年)
隣接自治体 西彼杵郡西彼町大瀬戸町
西海町役場
所在地 851-3592
長崎県西海市西海町木場郷2235番地
外部リンク 西海町(アーカイブ版)
座標 北緯33度03分54秒 東経129度41分21秒 / 北緯33.06511度 東経129.68908度 / 33.06511; 129.68908 (西海町)座標: 北緯33度03分54秒 東経129度41分21秒 / 北緯33.06511度 東経129.68908度 / 33.06511; 129.68908 (西海町)
特記事項 役場のデータは西海市役所西海総合支所のもの
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2005年4月1日に大瀬戸町・西彼町・大島町・崎戸町と対等合併し、西海市となった。旧役場は西海総合支所となっている。

地理

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五島灘佐世保湾に面する西彼杵半島北部を町域としていた。南西は大瀬戸町、南東は西彼町に隣接し、太田和地区から大島町へ通じる大島大橋が架かる。また佐世保湾に面する北東部は佐世保市佐世保港に繋がる航路があり、横瀬地区には米海軍用地もある。

町域は玄武岩質の溶岩台地からなる。海岸まで丘陵地が迫るが、西彼杵半島の中・南部よりは比較的標高が低く、起伏も少ない。照葉樹林やスギ・ヒノキ林が広がり、集落周辺ではミカン畑をはじめとした農耕地や畜産に利用されている。また面高(おもだか)地区は陸繋島で、砂州の上に集落が立ち並ぶ。

おもな山は白岳(しらたけ : 標高356m)・虚空蔵山(こくぞうざん : 標高307m)、おもな河川は多以良川・柚ノ木川・江川内川・伊佐ノ浦川・面高川・高地川・木場川がある。

歴史

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北部の横瀬浦は、1562年(永禄5年)に平戸港に次ぐ海外貿易の窓口として開港したが、宗教上の対立から翌年に焼き討ちされた。以後貿易港は福田(長崎市西部の福田地区)へ移り、1570年大村純忠によって長崎港が開港された。横瀬は史跡公園として整備され、港入り口の八ノ子島には当時と同様の白い十字架が復元されている。

近現代

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地域

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地名

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を行政区域とする。旧面高村・旧七釜村は大字無し、旧瀬川村は2大字(川内・横瀬)を設置していた。1955年から1957年の西海村(初代)時代は郷の名称に旧自治体名「面高」「七釜」を冠していたが、1957年の西海村(2代)発足時に旧自治体名の冠称および瀬川村の大字を廃し、郷のみの表示となった。

旧自治体名 1889年-1955年 1955年-1957年
西海村(初代)
1957年-2005年
西海村(2代)→西海町
大字
面高村
(1889年-1955年)
- 天久保郷 面高天久保郷 天久保郷
太田和郷 面高太田和郷 太田和郷
本郷 面高本郷 面高郷
黒口郷 面高黒口郷 黒口郷
七釜村
(1889年-1955年)
- 中浦北郷 七釜中浦北郷 中浦北郷
中浦南郷 七釜中浦南郷 中浦南郷
本郷 七釜本郷 七釜郷
瀬川村
(1889年-1957年)
大字川内 太田原郷 太田原郷
本郷 川内郷
木場郷 木場郷
丹納郷 丹納郷
大字横瀬 水浦郷 水浦郷
本郷 横瀬郷

教育

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中学校

(西海市発足後は「西海市立西海○中学校」と改称。)

  • 西海町立南中学校[2]
  • 西海町立北中学校[2]
小学校

(西海市発足後は「西海市立西海○小学校」と改称。)

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「西海」
  2. ^ a b 市町村合併で「西海市立西海南中学校」と「西海市立西海北中学校」に改称した後、2012年(平成24年)4月に統合され、「西海市立西海中学校」となった。

関連項目

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外部リンク

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