蕭敷
蕭 敷(しょう ふ、大明5年(461年)- 建武4年8月6日[1](497年9月18日���)は、南朝斉の宗室。字は仲達。梁の武帝蕭衍の次兄にあたり、皇族として永陽昭王に追封された。
経歴
編集蕭順之の次男として生まれた。斉の長沙王蕭晃の下で行参軍を初任とした。行参冠軍征虜二府軍事をつとめ、入朝して太子舎人に転じた。太子洗馬に進み、南海王蕭子罕の王友をつとめ、丹陽尹丞として出向した。入朝して太子中舎人となり、建威将軍・隨郡内史に任じられた。寧朔将軍に進み、廬陵王蕭宝源の下で諮議参軍として召された。
建武4年(497年)8月6日、死去した。享年は37。蕭衍が即位すると、侍中・司空の位を追贈され、永陽郡王に追封された。諡は昭といった。
妻子
編集妻
編集子
編集- 蕭伯游
- 蕭隆
脚注
編集- ^ 『故侍中司空永陽昭王墓誌銘』による。