織田一之

江戸時代の旗本

織田 一之(おだ かずゆき)は、江戸時代前期の旗本通称は左助、藤十郎。

 
織田一之
時代 江戸時代前期
生誕 寛永13年(1636年
死没 元禄8年6月12日1695年7月22日
改名 一之→淡水(号)
別名 通称:左助、藤十郎
墓所 深川の要津寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家綱綱吉
氏族 織田氏(信高流高家)
父母 父:織田高重、母:能勢頼次四女
正室:織田高長五女
信門高元
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生涯

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旗本織田高重の長男として誕生した。生母は能勢頼次の四女。

寛文元年(1661年12月10日、家督を相続する。寄合に所属する。貞享4年(1687年7月10日に隠居し、長男の信門に家督を譲る。以後、淡水と号する。

元禄8年(1695年)6月12日、死去。享年60。墓地は深川の要津寺にある。

系譜

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子女は2男。