紀 南麻呂(き の みなみまろ)は、平安時代初期の貴族左少弁紀勝雄の子。官位正五位下河内守

 
紀 南麻呂
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下河内守
主君 平城天皇嵯峨天皇
氏族 紀氏
藤原大津
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経歴

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従五位下叙爵後、延暦25年(806年河内介に任ぜられる。

大同5年(810年薬子の変が発生すると南麻呂は民部少輔に任ぜられ、平城上皇に呼応して兵を挙げて越前介登美藤津を捕縛した前越前介・安倍清継と越前権少掾・百済王愛筌を糾問するために朝廷から越前国に派遣される。南麻呂による糾問の結果、清継と愛筌はともに罪を認め、それぞれ流罪に処された[1]

弘仁2年(811年)河内守として再び地方官に転じると、河内守在任中の弘仁3年(812年)従五位上、弘仁5年(814年正五位下嵯峨朝初頭に昇進している。

官歴

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日本後紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『日本後紀』弘仁元年9月17日条
  2. ^ 『尊卑分脈』

参考文献

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