第1戦車大隊
第1戦車大隊(だいいちせんしゃだいたい、JGSDF 1st Tank Battalion)は、静岡県御殿場市の駒門駐屯地に駐屯していた、陸上自衛隊第1師団隷下の機甲科部隊である。現在は第1偵察隊と廃止、統合の上、第1偵察戦闘大隊となり朝霞駐屯地に駐屯している。
第1戦車大隊 | |
---|---|
創設 | 1954年(昭和29年)9月25日 |
廃止 | 2022年(令和4年)3月16日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 大隊 |
兵科 | 機甲科 |
所在地 | 静岡県御殿場市 |
編成地 | 相馬原 |
上級単位 | 第1師団 |
担当地域 | 南関東 |
部隊マークは、数字の”1”を富士山の形にデザインし、槍と盾を持ったケンタウロスが組み合わされている。2005年ごろから使用されている。
沿革
編集警察予備隊
陸上自衛隊
第1特車大隊
- 1954年(昭和29年)
- 9月25日:相馬原駐屯地において、第1特車大隊が編成完結。
- 10月10日:相馬原駐屯地から習志野駐屯地に移駐。
- 1959年(昭和34年)3月24日:習志野駐屯地から相馬原駐屯地に移駐。
第1戦車大隊
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:第1戦車大隊に称号変更(4個戦車中隊基幹)。
- 1月20日:相馬原駐屯地から駒門駐屯地に移駐。
- 1991年(平成 3年)3月29日:戦車北転事業の影響により第4戦車中隊を廃止。
- 2002年(平成14年)3月27日:第1師団の政経中枢師団への改編により部隊改編。
- 第3戦車中隊を廃止。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第1後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援隊へ移管。
- 2011年(平成23年)3月20日:福島第一原子力発電所事故現場の瓦礫除去のため機動路啓開隊が編成され、第1戦車大隊と第1機甲教育隊の74式戦車2輌と第1後方支援連隊の78式戦車回収車1輌がJヴィレッジに派遣される[1][2]。
- 2012年(平成24年)12月 :10式戦車の配備開始。
- 2013年(平成25年)3月11日:東富士演習場において、10式戦車を使用した初の射撃訓練を実施。
- 2017年(平成29年)8月27日:東富士演習場において、10式戦車を使用した富士総合火力演習に初参加。
- 2021年(令和 3年)12月ごろ:16式機動戦闘車を配備[3]。
- 2022年(令和 4年)3月16日:部隊廃止。第1師団の地域配備師団化に伴い、同じく廃止された第1偵察隊と統合され、朝霞駐屯地に第1偵察戦闘大隊として再編[4][5][6]。
廃止時の部隊編成
編集整備支援部隊
編集廃止時の主要装備
編集- 74式戦車(第1戦車中隊以外)
- 10式戦車(第1戦車中隊のみ)
- 16式機動戦闘車
- 96式装輪装甲車
- 軽装甲機動車
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 1 1/2t救急車
- 89式5.56mm小銃
- 9mm拳銃
過去の装備
編集廃止時の警備隊区
編集脚注
編集- ^ 防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 2011年5月15日号 CRF隷下部隊原発対応任務を終了
- ^ 原発がれき除去に戦車 静岡から福島へ - 日刊スポーツ新聞社 2011年3月21日(2011年3月22日時点のアーカイブ)
- ^ “70年の歴史に幕「第1戦車大隊」に最新 “装輪戦車” 配備のワケ 目前に迫る陸自の転換点”. 乗りものニュース. (2022年2月8日) 2022年2月9日閲覧。
- ^ “北・東富士の全域を使用した訓練検閲”. 陸上自衛隊東部方面隊広報紙「あづま」令和3年7月25日 第1038号. (2021年7月25日) 2021年7月29日閲覧。
- ^ 朝霞駐屯地における第1戦闘偵察大隊等の新編について2020年10月、防衛省
- ^ 陸上自衛隊 第1師団 [@1D_nerima] (2022年3月17日). "【隊旗返還式(戦車大隊)】". X(旧Twitter)より2022年3月20日閲覧。
参考文献
編集- PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状 アルゴノート社 2016
- 陸上自衛隊機甲科全史 菊池征男著 イカロス出版 2017
関連項目
編集外部リンク
編集- 第1戦車大隊
- 陸上自衛隊 駒門駐屯地@公式(@JGSDF_Komakado) - Twitter