由布島
由布島(ゆぶじま)は、八重山列島の島である[1]。全島が沖縄県八重山郡竹富町字古見に属する。
由布島 | |
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由布島(中央)と西表島(左)(2012年撮影) 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを基に作成。 | |
所在地 | 日本(沖縄県八重山郡竹富町) |
所在海域 | 東シナ海 |
所属諸島 | 八重山列島 |
座標 | 北��24度20分34秒 東経123度56分1秒 / 北緯24.34278度 東経123.93361度座標: 北緯24度20分34秒 東経123度56分1秒 / 北緯24.34278度 東経123.93361度 |
面積 | 0.15 km² |
海岸線長 | 2.0 km |
最高標高 | 1.9 m |
プロジェクト 地形 |
地理
編集西表島の東岸から約0.5kmに位置する[1]、総面積0.15km2、周囲2.0kmの小島である[2]。
西表島の与那良川からの堆積砂が海流により堆積して形成された島であり[注釈 1]、由布島という島名も、砂州を現地の言葉で「ユブ」と言うことが由来と考えられている[5][6]。西岸側の西表島との間は浅瀬でマングローブが繁茂し、東岸には砂浜が延びている[7]。東側には、ヨナラ水道を隔てて小浜島が位置する。
島全体が「亜熱帯植物楽園」と呼ばれる植物園になっており[8][9]、植樹された4万本近くのヤシ類や亜熱帯性の植物で覆われている[7]。
歴史
編集島の北部に由布遺跡があり、土器や近世の陶磁器が検出されている。また、1500年に起こったオヤケアカハチの乱の際に、オヤケアカハチに攻められ古見に逃れた長田大主は、この島で船を造って琉球王府軍とともに反攻したという伝説がある[5][3]。
近世、稲作に不適であった竹富島や黒島の島民は、西表島に水田を開き舟で通って耕作を行っていた(通耕)。その際、マラリアの有病地であった西表島を避け、無病地であった由布島に田小屋と呼ばれる仮住居を置いたのが、確認されている範囲で人が住むようになった始まりとされる[6][12][5]。
太平洋戦争後、1947年(昭和22年)に竹富島や黒島から移住が行われて由布島に集落が成立[13]。対岸の西表島でパイナップル等の果樹やサトウキビを栽培し[3]、各戸では水牛を飼養するようになった[6]。
人口も増加し、1948年(昭和23年)には学校(島分教場)が開校し[6][5]、後に由布島小中学校等に改称した[6]。1964年(昭和39年)頃には島民111人、25世帯を数えた[14]。当時は石垣島との間に定期航路(春風丸)もあったほどである。往時は、竹富島由来の種子取祭が執り行われていた[6]。
しかし、1969年(昭和44年)9月26日にエルシー台風(日本名・昭和44年台風11号)により島全域が水没するなど壊滅的な被害を受け、1971年(昭和46年)8月8日には11世帯が対岸の西表島へと移住して美原集落を形成し、由布島には3世帯のみが残った[6][5][13][注釈 3]。
その後、由布島ではヤシの植樹などが行われ、1981年(昭和56年)4月1日に植物園が開園。徐々に施設を拡大して今日に至っている[6]。1990年(平成2年)には、島内の電力技術に携わっていた明電舎のCMで紹介され知名度が向上した[6]。
産業
編集株式会社由布島が島全体を占める「亜熱帯植物楽園」を運営しており[11]、西表島周辺における主要な観光地となっている[16][17][18]。
昼間はピーク日で推計1,117人(2017年時点)もの観光客[注釈 4]で賑わう一方、住民基本台帳上の人口は8人(2024年5月末時点)[19]と住民は少ない。植物園で飼養する水牛が増えた結果、住民よりも水牛の数が多くなっている[6]。
交通
編集由布島と西表島の間の海は遠浅で、通常は大人の膝に満たないぐらいの深さしかなく、満潮時でも1mほどにしかならない。そのため、由布島と西表島間の移動手段として水牛車が利用され、島の重要な観光資源になっている。また、潮位が低く波が静かなときには、徒歩で渡ることも可能である。
由布水牛車乗場まで
編集由布水牛車乗場から由布島まで
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “島データ 竹富町” (PDF). 沖縄県. 2019年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ a b c “由布島”. おきなわ物語. 沖縄観光コンベンションビューロー. 2024年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- ^ a b c 日本歴史地名大系(オンライン版) ジャパンナレッジ(『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)
- ^ “世界の砂と日本の砂 由布島 沖縄県八重山郡竹富町”. 産業技術総合研究所地質調査総合センター. 2023年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e 角川日本地名大辞典編纂委員会 (8 July 1986). "由布島". 角川日本地名大辞典 47 沖縄県. 角川書店. p. 710.
- ^ a b c d e f g h i j “由布島ヒストリー”. 亜熱帯植物楽園. 2019年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ a b “由布島”. 竹富町. 2024年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- ^ “亜熱帯植物楽園 由布島”. 竹富町観光協会. 2019年2月11日閲覧。
- ^ “マップ”. 亜熱帯植物楽園. 2019年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ “【参考資料B26】日本の主な島の住所” (PDF). サイエンスミュージアムネット. 国立科学博物館 (2017年7月). 2023年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ a b “会社概要”. 亜熱帯植物楽園. 2024年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- ^ 藤井紘司「近代八重山諸島における遠距離通耕の歴史的展開」『地理学評論 Series A』第83巻第1号、日本地理学会、2010年、1-20頁。
- ^ a b “沿革2(昭和13年~昭和63年)”. 竹富町. 2023年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ “竹富町地区別人口動態票(昭和39年~平成22年)” (PDF). 竹富町. 2021年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ “八重山要覧(平成28年度版) 第1章 指定離島・島しょ・人口”. 沖縄県. 2019年2月11日閲覧。
- ^ a b “奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島世界自然遺産候補地地域連絡会議第2回西表島部会 参考資料3 西表島における観光利用の現況と課題(現時点修正版)” (PDF). 環境省九州地方環境事務所 (2017年2月15日). 2024年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ “亜熱帯植物楽園 由布島”. 竹富町観光協会. 2019年2月11日閲覧。
- ^ “マップ”. 亜熱帯植物楽園. 2019年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ “竹富町地区別人口動態票(令和6年1月~令和6年5月)” (PDF). 竹富町. 2024年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- ^ “路線バス”. 西表島交通. 2024年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- ^ “島々マップと観光ガイド” (PDF). 竹富町観光協会 (2020年10月16日). 2024年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
- ^ a b c “由布島 離島紹介”. DOR39. 沖縄県ディスカバー沖縄しま観光振興事業. 2020年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月11日閲覧。
- ^ “島から島へ水牛車でショートトリップ! -島まるごと亜熱帯の植物園「由布島へ」”. 沖縄しまさんぽ. 沖縄観光コンベンションビューロー. 2022年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月30日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 竹富町(公式サイト)
- 西表島東部 - 竹富町観光協会
- 由布島 - おきなわ物語(沖縄観光コンベンションビューロー)
- 由布島 - 沖縄しまさんぽ(沖縄観光コンベンションビューロー)
- 由布島 亜熱帯植物楽園