玉川福太郎
日本の浪曲の名跡
- 初代玉川福太郎 - 後の3代目玉川勝太郎。
- 2代目玉川福太郎 - 本項にて記述。
2代目 | |
本名 | 佐藤 忠士 |
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生年月日 | 1945年8月12日 |
没年月日 | 2007年5月23日(61歳没) |
出身地 | 日本・山形県飽海郡平田町(現・酒田市) |
死没地 | 日本・山形県酒田市 |
師匠 | 3代目玉川勝太郎 |
名跡 | 1.玉川忠士(1968年 - 1974年) 2.玉川福太郎(1974年 - 2007年) |
活動期間 | 1968年 - 2007年 |
活動内容 | 浪曲師 |
配偶者 | 玉川みね子 |
受賞歴 | |
NHK浪曲新人コンクール優勝(1974) フジサンケイグループ放送演芸大賞・ホープ賞(1975) 文化庁芸術祭賞(1990) | |
2代目玉川 福太郎(にだいめ たまがわ ふくたろう、1945年8月12日 - 2007年5月23日)は、山形県飽海郡平田町(現・酒田市)出身。本名、佐藤 忠士。
来歴
編集1968年、3代目玉川勝太郎に入門。イエス玉川は年若の兄弟子、妻は曲師の玉川みね子。
1974年、NHK浪曲新人コンクールで優勝し、同年2代目玉川福太郎を襲名。読み物は読み物は玉川一門のお家芸とも言える「天保水滸伝」の他「清水の次郎長」「忠治山形屋」など多数。任侠物を得意にし、豪快かつ色気のある芸風で人気を博す。1990年には文化庁芸術祭賞を受賞し、現役浪曲師として頂点の評価を得た。
玉川のお家芸、「天保水滸伝」を連続読みする企画、「玉川福太郎の徹底天保水滸伝!」を2004年に5ヶ月連続開催、成功させ[1]、四代目勝太郎を継ぐと誰からも目される存在になった。
2007年5月23日、妻(みね子)の実家である山形県酒田市で田植えを手伝っていたが、作業を終えて田植え機を戻す途中に農道から約2メートル下の水田に転落して田植え機の下敷きとなり、病院に搬送されたが、同日夜に死亡した[2]。61歳没。
弟子
編集後進の育成、曲師の養成に力を注いだ。
主な受賞歴
編集- NHK浪曲新人コンクール優勝(1974)
- フジサンケイグループ放送演芸大賞・ホープ賞(1975)
- 文化庁芸術祭賞(1990)
関連書籍
編集- 「浪花節で生きてみる!」 玉川奈々福(さくら舎)2020年12月 ISBN 978-4865812749
- 「浪曲は蘇る 玉川福太郎と伝統話芸の栄枯盛衰」 杉江松恋(原書房)2022年1月 ISBN 978-4562071456
脚注
編集出典
編集- ^ 長井好弘「時代の証言者」浪曲の聖地を守る 根岸京子.15 読売新聞2014年7月29日
- ^ 浪曲師・玉川福太郎さん、田植え機の下敷きになり事故死 - SANSPO.COM(アーカイブ)2007年5月24日