浪江町
浪江町(なみえまち)は、福島県浜通り���位置し、双葉郡(1896年以前は標葉郡)に属する町。
なみえまち 浪江町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
郡 | 双葉郡 | ||||
市町村コード | 07547-7 | ||||
法人番号 | 8000020075477 | ||||
面積 |
223.14km2 | ||||
総人口 |
-人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | -人/km2 | ||||
隣接自治体 | 南相馬市、二本松市、田村市、双葉郡葛尾村・双葉町・大熊町、相馬郡飯舘村、伊達郡川俣町 | ||||
町の木 | 松 | ||||
町の花 | コスモス | ||||
町の鳥 | カモメ | ||||
浪江町役場 | |||||
町長 | 吉田栄光 | ||||
所在地 |
〒979-1592 福島県双葉郡浪江町大字幾世橋字六反田7-2 北緯37度29分40秒 東経141度00分03秒 / 北緯37.49458度 東経141.00072度座標: 北緯37度29分40秒 東経141度00分03秒 / 北緯37.49458度 東経141.00072度 浪江町役場 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
町内東部の請戸漁港 (cf.) は、福島県の最東端にあたる。
2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災で被災。揺れや津波による被害に加えて、震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、同月15日以降、仮役場が同県内の二本松市に設置され、多くの住民が移動・避難した。避難民と避難所は他にも散在している。2017年3月31日に一部の全域避難指示は解除されたが、2020年2月までは「帰還困難地域」が町内の大半を占め、町内の居住人口は事故前より大幅に減少し[1]、現時点で約2100人余が居住している[2]。
地理
編集請戸川の流域を主な範囲とし、沿岸部は太平洋に面する。請戸川に沿って、国道114号が内陸部と連絡し、途中で国道399号や国道459号が分岐する。交通の大動脈は太平洋岸に沿って走る国道6号やJR常磐線で、町役場も国道114号が国道6号に接続する沿岸付近にある。
山地
編集西に位置するものから順に列挙する。
川・谷・水系
編集気候
編集浪江(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.6 (65.5) |
22.2 (72) |
25.0 (77) |
32.0 (89.6) |
33.5 (92.3) |
35.7 (96.3) |
38.8 (101.8) |
37.9 (100.2) |
36.2 (97.2) |
31.6 (88.9) |
26.2 (79.2) |
21.6 (70.9) |
38.8 (101.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 7.4 (45.3) |
8.0 (46.4) |
11.1 (52) |
16.2 (61.2) |
20.9 (69.6) |
23.3 (73.9) |
26.9 (80.4) |
28.5 (83.3) |
25.2 (77.4) |
20.3 (68.5) |
15.4 (59.7) |
10.1 (50.2) |
17.8 (64) |
日平均気温 °C (°F) | 2.2 (36) |
2.7 (36.9) |
5.7 (42.3) |
10.7 (51.3) |
15.5 (59.9) |
18.8 (65.8) |
22.6 (72.7) |
24.0 (75.2) |
20.6 (69.1) |
15.1 (59.2) |
9.7 (49.5) |
4.7 (40.5) |
12.7 (54.9) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.0 (26.6) |
−2.7 (27.1) |
0.1 (32.2) |
5.0 (41) |
9.9 (49.8) |
14.6 (58.3) |
19.1 (66.4) |
20.3 (68.5) |
16.5 (61.7) |
10.0 (50) |
3.7 (38.7) |
−0.7 (30.7) |
7.8 (46) |
最低気温記録 °C (°F) | −11.9 (10.6) |
−12.4 (9.7) |
−8.0 (17.6) |
−4.7 (23.5) |
−1.1 (30) |
4.6 (40.3) |
9.9 (49.8) |
10.2 (50.4) |
5.5 (41.9) |
−1.6 (29.1) |
−5.6 (21.9) |
−11.2 (11.8) |
−12.4 (9.7) |
降水量 mm (inch) | 59.0 (2.323) |
45.6 (1.795) |
94.5 (3.72) |
119.6 (4.709) |
125.8 (4.953) |
156.3 (6.154) |
193.4 (7.614) |
163.4 (6.433) |
238.2 (9.378) |
225.9 (8.894) |
71.1 (2.799) |
44.2 (1.74) |
1,539.7 (60.618) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.7 | 5.0 | 7.9 | 9.2 | 10.0 | 12.8 | 14.3 | 11.0 | 12.8 | 9.6 | 6.3 | 5.0 | 109.1 |
平均月間日照時間 | 170.5 | 171.7 | 183.0 | 186.6 | 194.3 | 145.8 | 136.7 | 164.6 | 126.8 | 137.3 | 152.6 | 159.1 | 1,926.1 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[9] |
隣接する自治体
編集- cf. 福島県の市町村全図 :≪外部リンク≫ “地図上検索”. (公式ウェブサイト). 福島県. 2011年4月18日閲覧。
歴史
編集近世以前
編集現在の浪江町を含む浜通り北部は、古代の令制国としては陸奥国の一部であった。中世以降は相馬氏の地盤であり、江戸時代は相馬中村藩が治めていた。
施設誘致の歴史
編集太平洋戦争後の1955年(昭和30年)に人口約28,000人を数えた浪江町も、過疎と財政難に悩まされ、その打開が必要であった。1960年(昭和35年)頃、福島県が原子力発電所を誘致するに当たり、浪江町も候補地となった。最終的には同じ浜通りの双葉郡の双葉町と大熊町に跨る地域に決まり、福島第一原子力発電所(東京電力)として開所する。それまで農業の出来ない冬には出稼ぎに行っていた大熊町・双葉町など福島の海岸地帯の住民は原発関連の仕事をすることで一年中、地元で働けるようになったため安定的な働き口とかなりの補助金を与えてくれた“福の神”とされていた[10]。
折りしも、1969年(昭和44年)に発足を控えていた宇宙開発事業団がロケット発射場の候補地を探しており、浪江町の方から手を挙げたものの、「原子力発電所の近郊に発射場を建設するのは危険」と判断され、この構想も消滅した[11]。
ロケット発射場の次は「子供の村」構想への参画を目指したが、これも頓挫した。しかし、福島第一原子力発電所建設の経済波及効果は浪江町にもあり、1970年(昭和45年)に約21,000人で底を打った人口は1970年代末には23,000人に回復し、作業員向けの宿泊施設、バー、スナックなどが建てられた[12]。
浪江町が何か誘致できる施設が無いかを調べていたところ、東北電力が浪江町と小高町(現在の南相馬市小高区)に跨る地域に原子力発電所の誘致を持ちかける。当時、東北電力は宮城県で女川原子力発電所の建設計画も進めており、「女川町へ原発と付随する交付金や雇用等を取られてしまう」という対抗心もあって、浪江町議会は賛成した。当時は公害に対する批判的な世論が芽生え始めた時期でもあり、地元の自民党支持層は分裂。自民党の原発誘致反対派は他党と組まず、長らく反対運動を続けることになる。1982年(昭和57年)の雑誌対談で示された概要図では原子炉は4基となっていた[13](のちの浪江・小高原子力発電所計画。こちらは東日本大震災後の2013年に中止が発表された)。上述の宿泊施設、浪江町による水道などの社会資本投資は原子力発電所建設を見越した先行投資でもあったため、1980年代末時点で17人まで減ったものの団結力を高め、予定地に共同登記をしていた反対運動による遅延は、これら商工業者に莫大な損失を強いるものとなった[14]。原子力発電所の建設が進まないなか、近隣自治体に新地発電所、原町火力発電所などが建設されていった[15]。
年表
編集- 近世以前
この節の加筆が望まれています。 |
- 近代以降
- 1898年(明治31年)8月23日:日本鉄道の磐城線(後に常磐線へ編入)で浪江駅が開業。
- 1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道の磐城線が全線国有化され、以後、国鉄「元日本線」と通称されるようになる。
- 1960年(昭和35年)頃:福島県が原発を誘致するに当たって、浪江町も立候補(上記のようにその後、双葉町と大熊町に福島第一原発が建設される)。
- 1967年(昭和42年)5月25日:再び、原子力発電所の誘致を決定(しかしその後、宮城県女川町が選定地となり、女川原子力発電所が建設される)[16]。
- 1969年(昭和44年):発足を控えてロケット発射場の候補地を探す宇宙開発事業団に対し、浪江町が立候補するも、原子力発電所の近隣であることを危険視されて実現せず[11]。
- 1978年(昭和53年):昭和になって浪江町大堀で再興されていた大堀相馬焼が、国の伝統工芸品に指定される。
- 1999年(平成11年)4月17日:常磐自動車道の常磐富岡-相馬間延伸の一環として、浪江インターチェンジが着工。
- 2000年(平成12年)6月4日:日本テレビ系列のバラエティ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画として、「DASH村」が浪江町の西部に作られる。当時は非公表の事実であったが、のちに公表される(後述:2011年(平成23年)4月24日)。
- 2006年(平成18年)5月31日:県内の優秀な消防団に贈られる福島民報主催の「民報金ばれん」(第54回)を浪江町消防団が受賞。
- 2008年(平成20年):ご当地グルメ「浪江焼きそば」の普及をはかる浪江町商工会青年部が中心となり、団体「浪江焼麺太国」が発足。
- 2011年(平成23年)2月1日:二本松市コミュニティバスが福島交通津島線の代替運行を開始。
- 震災以降
- 2011年(平成23年)3月11日:マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、浪江町は幾世橋地区で震度6強を観測した[17]。この地震が引き起こした大津波によって町の沿岸部は壊滅的被害を受けた[注 1]。加えて、隣接する大熊町域で福島第一原子力発電所事故が発生。以後、放射能漏れによって多大で長期的な影響を受けることとなった。cf. 東日本大震災。
- 3月12日:国の避難指示が原発から10キロメートル圏に拡大した事を受け、町の災害対策本部は該当地域の住民を町内の津島地区へ避難させる事を決めた。浪江町津島地区は東京電力福島第一原発から北西へ25キロの地点にある。人口1400人ほどの津島地区は約8000人の町民であふれた[18]。
- 3月14日:原子力事故(cf. 第1週)による放射性物質漏洩が深刻化し、同日午前に原発からの距離が半径10km圏内の全域(請戸地区等)、同日午後には浪江町東部全域が含まれる半径20km圏内[注 2]の全域に避難指示が公示される。これを受け、二本松市役所東和支所[注 3]内に仮役場(浪江町役場二本松事務所)が設置され、翌15日以降、約8千人が移動・避難した[19](避難住民と避難場所は他にも散在)。
- 3月24日:二本松市コミュニティバスが運行(福島交通津島線の代替運行)を再開。
- 4月1日:馬場有町長らがYouTubeにて町民に声明を出す[注 4]。
- 4月9日:この時点で、死者1人、行方不明者185人[20]。
- 4月11日:原発より半径30km圏内[注 5]にある地域(西部の大部分)が計画的避難区域[注 6]に指定され、半径30km圏外にある地域([注 7]西部の一部)は緊急時避難準備区域[注 8]に指定される[21]。
- 4月14日:放射線量が低下したとして、原発より半径10km圏内の一部(浪江町では請戸地区)で福島県警による行方不明者の大規模捜索が始まる(約300人動員[注 9])[22]。
- 4月22日:原発より半径20km圏内が警戒区域に指定される[23][24]。
- 4月24日:『ザ!鉄腕!DASH!!』が番組内でDASH村の所在地域(福島原発より半径20-30km圏内の西部某所[注 10])と被災状況等を公表する(cf. DASH村#福島原発事故による影響)。
- 2013年(平成25年)4月1日:避難区域が再編される(町の山間部などが帰還困難区域に指定される)。
- 復興
- 2017年(平成29年)
- 2019年(令和元年):近隣の自治体の楢葉町、広野町と合同で、ももいろクローバーZが毎年実施するコンサート「ももクロ春の一大事」を、2020年に誘致することを決定。その後、新型コロナウィルスの影響で2022年に延期して実施された[26]。これに先立って2019年11月24日、同グループのメンバー・佐々木彩夏をリーダーとする7人組ユニット「浪江女子発組合」も結成された(以降、浪江町で無料コンサートを開催するなど、継続的に活動)[27]。
- 2022年(令和4年)3月:浪江駅周辺グランドデザイン基本計画が策定された。[28]
- 2023年(令和5年)
- 3月31日:特定復興再生拠点区域での避難指示が解除された[29]。
- 4月1日:ふれあいセンターなみえ内に福島国際研究教育機構が設立された。
- 2022年(令和6年)3月:浪江国際研究学園都市構想が策定された。[30]
行政区域の変遷(市町村制施行以後)
編集- cf. “浪江町(双葉郡)(福島県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年4月20日閲覧。
- 1889年(明治22年)4月1日:村制が施行され、標葉郡浪江村(なみえむら)が成立。
- 1896年(明治29年)4月1日:標葉郡が双葉郡となる。
- 1900年(明治33年)3月8日:町制が施行され、浪江村が浪江町(なみえまち)になる。
- 1953年(昭和28年)10月10日:請戸村と幾世橋村と新設合併し、改めて浪江町が発足[31]。
- 1956年(昭和31年)5月1日:大堀村・苅野村・津島村と新設合併し、改めて浪江町が発足[32]。
- 1958年(昭和33年)4月1日:請戸地区に編入されていた、中野地区(旧・中野村)の全域と両竹地区(旧・両竹村[もろたけむら])の一部が、浪江町から分離し、双葉町に編入される[33]。
- 1960年(昭和35年)4月1日:請戸地区に編入されていた、中浜地区(旧・中浜村)の一部と両竹地区の一部が、浪江町から分離し、双葉町に編入される[34]。
行政
編集歴代町長
編集歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 石井登 | 1956年(昭和31年) | 1960年(昭和35年) | 1期 |
2 | 石川正義 | 1960年(昭和35年) | 1964年(昭和39年) | 2期 |
3 | 1964年(昭和39年) | 1968年(昭和43年) | ||
4 | 上田鉄三郎 | 1968年(昭和43年) | 1972年(昭和47年) | 1期 |
5 | 上田善三郎 | 1972年(昭和47年) | 1975年(昭和50年) | 1期 |
6 | 石井潔 | 1975年(昭和50年) | 1979年(昭和54年) | 2期 |
7 | 1979年(昭和54年) | 1983年(昭和58年) | ||
8 | 紺野富夫 | 1983年(昭和58年) | 1987年(昭和62年) | 1期 |
9 | 叶幸一 | 1987年(昭和62年) | 1991年(平成3年) | 4期 |
10 | 1991年(平成3年) | 1995年(平成7年) | ||
11 | 1995年(平成7年) | 1999年(平成11年) | ||
12 | 1999年(平成11年) | 2003年(平成15年) | ||
13 | 横山藏人 | 2003年(平成15年) | 2007年(平成19年) | 1期 |
14 | 馬場有[35] | 2007年(平成19年)12月16日 | 2011年(平成23年) | 在任中、東日本大震災が発生 3期目在任中死去 |
15 | 2011年(平成23年) | 2015年(平成27年) | ||
16 | 2015年(平成27年) | 2018年(平成30年)6月27日 | ||
17 | 吉田数博 | 2018年(平成30年) | 2022年(令和4年)7月10日 | 1期 |
18 | 吉田栄光 | 2022年(令和4年) | 現職 | 1期目 |
経済・産業
編集第一次産業
編集水産業
編集- 施設:請戸漁港(うけど ぎょこう。第三種漁港。所在地:請戸地区)[3]。福島第一原発事故の風評被害により浜通りの水産業は厳しい状況が続いているが、請戸漁港では2018年1月7日、漁船の出初式が7年ぶりに行われた[36]。2020年4月8日には請戸漁港の地方卸売市場での競りが再開された[37]。
工業
編集医薬品
編集エネルギー産業
編集温暖化ガスである二酸化炭素を燃焼時に出さない水素の製造拠点があり、その供給・活用で丸紅やパナソニックなどと連携している[40]。
名産品
編集商業
編集イオンリテールが震災復興を支援するため、浪江町と2019年2月に『商業環境整備に関する覚書』を締結。同年7月14日、町役場南側に新店を開業した[41]。
地域
編集人口
編集17,981人(平成28年6月末時点)
浪江町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
警察・消防
編集- 双葉警察署浪江分庁舎(旧・浪江警察署)
- 双葉地方広域市町村圏組合消防本部浪江消防署
郵便
編集交通
編集空港
編集鉄道路線
編集- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
路線バスなど
編集避難指示解除後に運行開始されたもののみ掲載
- 新常磐交通 - 富岡町・大熊町・浪江町を結ぶ。
- 東北アクセス - 南相馬市原町区・浪江町・双葉町を結ぶ一般路線と、福島市と浪江町を結ぶ高速バスを運行する。いずれも浪江町内のみの利用は不可。
- 浪江町巡回乗合ミニバス(なみえスマートモビリティ) - 町内の避難指示解除区域内各地に設けられた停留所相互間で利用可能(予約制)。
このほか、町が本宮市・二本松市内と二本松出張所を結ぶ生活支援バスを週1回運行している(運行区域は町外)。
道路
編集- 高速道路
- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
教育
編集町内の学校は原発事故により一時全て避難し、町外に仮設校舎を設置するなど大きな影響を受けた。2018年4月に小中学校を併設した「なみえ創成小・中学校」(旧・浪江町立浪江東中学校校地に設置)が開設される[44]一方で、福島県立浪江高等学校のように休校に追い込まれた学校もある[45][46]。2021年3月末には、前述の「なみえ創成小・中学校」と津島中学校、津島小学校を除き、浪江町立の小中学校は、廃校となった[47]。
高等学校
編集- 福島県立浪江高等学校(原発事故の影響で休校中)
- 福島県立浪江高等学校津島校(同上)
中学校
編集小学校
編集出身著名人
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “(すぐわかる)浪江町の現状、浪江町ホームページ”. 2020年3月16日閲覧。
- ^ 浪江町公式ホームページトップに記載された「居住人口」の項目より。2023年8月末時点での居住人口は計764世帯2106人(2023年9月17日閲覧時点)。
- ^ a b c d e f g h i j 関連リンク-観光協会
- ^ a b c d e f “うつくしま電子事典”. (公式ウェブサイト). 福島県教育委員会. 2011年4月13日閲覧。
- ^ “水土里ネット請戸川”. (公式ウェブサイト). 請戸川土地改良区. 2011年4月12日閲覧。
- ^ “高瀬川渓谷”. (公式ウェブサイト). 浪江町観光協会. 2011年4月12日閲覧。
- ^ “大柿ダムの紹介”. 水土里ネット請戸川(公式ウェブサイト). 請戸川土地改良区. 2011年4月12日閲覧。
- ^ “福島県双葉郡浪江町の地域情報”. onMap(地域情報検索エンジン). 2011年4月13日閲覧。
- ^ “浪江 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年12月13日閲覧。
- ^ [ルポ]福島原発事故、その後「原発事故から6年、まだ故郷に戻れません」ハンギョレ(2017年3月9日)2020年4月11日閲覧
- ^ a b 恩田(1991)、45頁。
- ^ 恩田(1991)、182頁。
- ^ 初期の経緯については、『原子力工業』1982年1月号。
- ^ 「第8章 凱歌」恩田(1991)、223頁。
- ^ 恩田(1991)、223頁。
- ^ 座談会「立地政策にもの申す」『原子力工業』1982年1月号。
- ^ “震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月10日). 2011年4月13日閲覧。
- ^ “【浪江町の津島避難】線量情報なく町民孤立 国と県、予測伝えず”. 福島民報(ウェブサイト) (福島民報社). (2011年12月11日) 2015年7月28日閲覧。
- ^ “県内で避難住民の受け入れ進む 浪江町は二本松市に臨時役場”. 福島民友ネット(ウェブサイト) (福島民友新聞社). (2011年3月16日) 2011年3月17日閲覧。
- ^ “東日本大震災 図説集”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月10日). オリジナルの2012年7月10日時点におけるアーカイブ。 2011年4月17日閲覧。:被災状況全図。
- ^ “20キロ圏外に「計画的避難区域」 葛尾や浪江・飯舘”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年4月11日) 2011年4月13日閲覧。
- ^ “福島第一10キロ圏内、初の不明者捜索開始”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年4月14日) 2011年4月15日閲覧。
- ^ “警戒区域の設定について”. 浪江町 - 福島県二本松市(公式ウェブサイト). 二本松市 (2011年4月22日). 2011年4月22日閲覧。
- ^ “福島第1原発:警戒区域、22日午前0時から…20キロ圏”. 毎日jp. 毎日新聞社 (2011年4月21日). 2012年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月22日閲覧。
- ^ [1]2017年8月7日閲覧。
- ^ [2]2024年5月4日閲覧
- ^ 浪江女子発組合「第5回定期大会~青空の下で、また君と。~」(2021.04.11) 2021年5月22日閲覧。
- ^ [3]浪江駅周辺グランドデザイン基本計画を公表します
- ^ “避難指示区域の概念図(令和5年11月30日時点)”. 福島県. 2024年11月8日閲覧。
- ^ [4]浪江国際研究学園都市構想を策定しました
- ^ 同年10月9日、総理府告示第190号「町村の廃置分合」
- ^ 同年4月30日、総理府告示第221号「町村の廃置分合」
- ^ 同日、総理府告示第94号「町の境界変更」
- ^ 同日、総理府告示第110号「町の境界変更」
- ^ “馬場有 - 政治家情報”. ザ選挙(ウェブサイト). VoiceJapan. 2011年4月16日閲覧。
- ^ 「浪江請戸漁港 7年ぶり出初め式…自分たちの漁場で再開を」『毎日新聞』朝刊2018年1月3日
- ^ 「津波被害の市場、9年ぶり再開 福島・浪江の請戸漁港」『日本経済新聞』夕刊2020年4月8日(2020年4月11日閲覧)
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- ^ 福島工場の操業停止とエスカップの生産見通しについて - エスエス製薬ホームページ
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- ^ 常磐線(富岡駅~浪江駅間)の運転再開及びおトクなきっぷの発売等について -東日本旅客鉄道水戸支社
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- ^ 平成29年度以降の証明書発行について…NEW !!浪江高校は、東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により、平成29年3月末をもって休校となります。福島県立浪江高等学校(2019年7月24日閲覧)
- ^ 卒業証書授与式・休校式福島県立浪江高等学校津島校(2017年3月1日)2019年7月24日閲覧
- ^ 「浪江の小中7校来春廃校 全町避難後休校、児童生徒が減少」『河北新報』2020年2月11日。2021年9月26日閲覧。
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編集参考文献
編集- 恩田勝亘『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』七つ森書館、1991年10月。ISBN 978-4-8228-9109-1。