流山橋
概要
編集江戸川の河口から27.0 kmの地点に架かる橋で、埼玉県道・千葉県道29号草加流山線及び埼玉県道・千葉県道52号越谷流山線の一部を構成している。
幅員7m・片側1車線の狭い橋であること、上流の玉葉橋までは約7.7 km、下流の上葛飾橋までは約5.3 kmもの間道路橋が存在しないこと、三郷市側にららぽーと新三郷をはじめ大規模な商業施設が存在することなどにより交通量が多く、渋滞が恒常化している。また、橋の竣工から約半世紀経っており老朽化が懸念されている。
このため、都市軸道路の一部として2013年(平成25年)度より三郷流山橋の架橋が進められ、2023年(令和5年)11月26日に開通した[1]。
歴史
編集元は当地近辺においては小船での往来が主で、1631年(寛永8年)9月22日には幕府の許可を得て、葛飾郡丹後新田[3]の経営する「丹後の渡し」が正式に設定されていた[4]。1923年(大正12年)には丹後の渡しは流山町営となったが、当地において栄��ていた舟運が衰退すると架橋の必要性が対岸の北葛飾郡早稲田村と共に浮上し、早稲田村長により1933年(昭和8年)1月、非公式に東葛飾郡流山町に打診された[4]。翌日、流山町が請願書を作成し、東葛飾郡八木村、新川村、馬橋村、小金町、柏町の調印を受け、早稲田村に提出。同年2月、架橋促進期成同盟が成立(会長は流山町長)し、4月には埼玉県杉戸土木出張所による測量が開始する。そして、12月20日の千葉県議会で満場一致で架橋を議決、翌1934年(昭和9年)3月13日には埼玉県議会でも議決し、1935年(昭和10年)4月にコンクリート製で全長388メートル、幅員5.5メートル[5]の初代流山橋が架橋された[4]。
その後、河床の低下や橋の老朽化、車両大型化への対応、江戸川の堤防改修の関係から架け替えが検討され、1960年(昭和35年)6月に「流山橋架橋促進協議会設立準備委員会」が発足。同年7月に「流山橋架橋促進協議会」(会長:流山町長 副会長:三郷村長)が設立された。そして1961年(昭和36年)1月8日に着工し、1965年(昭和40年)2月12日、旧橋より下流側に2代目流山橋が開通した[4][6]。
隣の橋
編集脚注
編集- ^ “三郷流山橋有料道路が開通します - 令和5年11月26日(日)15時開通 -” (PDF). 埼玉県 (2023年10月5日). 2023年10月5日閲覧。
- ^ 流山橋1965-2-12 - 土木学会附属土木図書館
- ^ 丹後新田を含めた下総国の江戸川右岸は寛永年間に下総国より武蔵国に編入された。
- ^ a b c d 広報ながれやま 昭和40年2月12日 第119号
- ^ 流山橋1935-12-24 - 土木学会附属土木図書館
- ^ “盛大な渡りぞめ、流山橋の完成”. 毎日新聞 (毎日新聞社): pp. 朝刊 千葉版. (1965年2月13日)
関連項目
編集外部リンク
編集座標: 北緯35度50分44.5秒 東経139度53分27.2秒 / 北緯35.845694度 東経139.890889度