榛沢村
日本の埼玉県大里郡にあった村
榛沢村(はんざわむら)は、埼玉県の北西部、大里郡に属していた村。当初は榛沢郡所属であった。
はんざわむら 榛沢村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 大里郡岡部村、榛沢村、本郷村 → 岡部村 |
現在の自治体 | 深谷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 大里郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,191人 (1950年10月1日) |
隣接自治体 | 本庄市、大里郡、岡部村、本郷村、児玉郡美里村 |
榛沢村役場 | |
所在地 | 埼玉県大里郡榛沢村 |
座標 | 北緯36度12分50秒 東経139度12分40秒 / 北緯36.21392度 東経139.21114度座標: 北緯36度12分50秒 東経139度12分40秒 / 北緯36.21392度 東経139.21114度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集- 河川:小山川、志戸川
歴史
編集村政
編集村長
編集- 角田治郎衛 1889年5月27日 - 1891年2月25日
- 青木七五郎 1891年3月20日 - 1892年5月17日
- 新井節郎 1892年6月7日 - 1893年8月12日
- 篠崎喜代作 1893年9月6日 - 1894年4月25日
- 武政藤太郎 1894年4月30日 - 1902年10月28日
- 高橋宇三郎 1902年11月6日 - 1906年11月5日
- 柳田酉五郎 1906年11月27日 - 同年12月14日
- 武政栄次郎[2] 1906年12月18日 - 1910年12月17日
- 篠崎京作[3] 1910年12月28日 - 1917年2月26日
- 武政藤太郎 1917年3月6日 - 1918年2月15日
- 角田保治[4] 1918年3月15日 - 1938年4月13日
- 篠崎孫嗣 1938年4月29日 - 1946年4月28日
- 武政郁三[5][6] 1946年5月13日 - 1947年3月13日
- 松村賢司 1947年3月20日 - 1951年4月4日
- 武政郁三 1951年4月24日 - 1954年12月31日
経済
編集産業
編集- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、榛沢村の篤農家は高橋、篠崎、大澤、小池、宇野、野口、新井、鳥塚、岡野、吉岡、武政などがいた[7]。
『大日本蚕業家名鑑 正』によれば、榛沢村の養蚕家は武政、根岸、久保、日比谷、角田、新井、坂野、倉林、岡野、篠崎、宇野、関根、岡島、岡村、粂原、萩原などがいた[3]。
出身人物
編集脚注
編集- ^ 『埼玉県市町村合併史 下』925頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月18日閲覧。
- ^ a b 『埼玉県名士鑑』大里郡171 - 172頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月15日閲覧。
- ^ a b 『大日本蚕業家名鑑 正』大日本蚕業家名鑑(養蚕家)埼玉県65 - 66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月29日閲覧。
- ^ 『埼玉県人名選 附各地・各種埼玉県人会名簿』241頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月16日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』タ208頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年3月6日閲覧。
- ^ 『埼玉年鑑 昭和29年版』238頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月16日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』296頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年3月5日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第5版』た169頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年3月5日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 扶桑社編『大日本蚕業家名鑑 正』扶桑社、1913 - 1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 高田晴司編『埼玉県名士鑑』埼玉県名士鑑編纂会、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 埼玉県人会編『埼玉県人名選 附各地・各種埼玉県人会名簿』埼玉県人会、1938年。
- 『埼玉年鑑 昭和29年版』埼玉新聞社、1953年。
- 埼玉県総務部地方課編『埼玉県市町村合併史 下』埼玉県、1962年。