植村直己冒険賞
植村直己冒険賞(うえむらなおみぼうけんしょう)は、冒険家『植村直己』の“精神”を後世に継承するために設けられた賞である。 自然を相手に創造的な勇気ある行動をした人、または団体に贈呈される。主催は、兵庫県豊岡市(新豊岡市成立までは、旧・日高町)。
授賞対象は、存命の日本人、または日本人が主催する団体で、1月から12月までの業績をもとに選考委員会で選考し、翌年2月に発表される[1]。
歴代受賞者
編集回 | 年 | 受賞者 | 冒険名 |
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第1回 | 1996年 | 尾崎隆 | 幻の山ミャンマー最高峰カカボラジ初登頂 |
第2回 | 1997年 | 米子昭男 | 左腕を失うハンディを乗り越えヨットで大西洋・太平洋単独横断 |
第3回 | 1998年 | 関野吉晴 | 人類の旅5万キロをたどるグレートジャーニーの冒険 |
第4回 | 1999年 | 大場満郎 | 史上初の北極海単独横断と南極大陸約4,000キロの単独横断 |
第5回 | 2000年 | 神田道夫 | 熱気球でヒマラヤ山脈・ナンガパルバット(8,125m)越えに成功 |
第6回 | 2001年 | 中山嘉太郎 | 中央アジア・シルクロードを駆け抜ける |
第7回 | 2002年 | 山野井泰史・妙子 | ギャチュンカン峰(7,952m)の登頂に成功 |
第8回 | 2003年 | 安東浩正 | 日本人初の厳冬期シベリア単独自転車横断 |
第9回 | 2004年 | 渡辺玉枝 | 女性世界最高齢で8,000m峰5座目となるローツェに登頂 |
第10回 | 2005年 | 永瀬忠志 | リヤカーを引き世界各地を徒歩踏破4万3千キロ |
第11回 | 2006年 | 小松由佳 | K2に日本人女性初登頂 |
第12回 | 2007年 | 野口健 | エベレストに北稜(中国側)から登頂成功 |
第13回 | 2008年 | 該当者なし (被選出者の辞退のため)[2] | |
第14回 | 2009年 | 中西大輔 | 11年かけ自転車で地球2周15万キロ |
第15回 | 2010年 | 栗秋正寿 | 中央アラスカ山脈83日間に及ぶ ハンター冬季単独登頂に挑戦 |
第16回 | 2011年 | 斉藤実 | ヨットで単独「最高齢(77歳)・最多(8回)」世界一周達成 |
第17回 | 2012年 | 竹内洋岳 | 14Project(ダウラギリに無酸素登頂し、8,000m峰14座完登) |
第18回 | 2013年 | 田中幹也 | 厳冬期カナダで自身の可能性に挑み続け19年・2万2千キロ踏破 |
第19回 | 2014年 | 該当者なし (被選出者の辞退のため)[3] | |
第20回 | 2015年 | 本多有香 | 極北の原野で犬たちと暮らし、マッシャー(犬ゾリ使い)となる夢を実現 ~北米二大犬ゾリレース完走~ |
第21回 | 2016年 | 平出和也 | アルパインクライマー、山岳カメラマンの二刀流で活動中(8,000m峰5座、エベレスト3回登頂) |
第22回 | 2017年 | 荻田泰永 | 南極点無補給単独徒歩到達 |
第23回 | 2018年 | 岡村隆 | 「未知」の遺跡探査に情熱を傾けて約半世紀、南アジア密林遺跡探検調査 |
第24回 | 2019年 | 岩本光弘 | 全盲のハンディキャップを抱えながらも太平洋横断 |
第25回 | 2020年 | 稲葉香 | 秘境の地西チベット厳冬のドルポ越冬122日間 |
第26回 | 2021年 | 阿部雅龍 | 白瀬ルートによる南極点単独徒歩到達に挑戦 |
第27回 | 2022年 | 野村良太 | 積雪期単独北海道分水嶺縦断 |
第28回 | 2023年 | 山田高司、高野秀行 | イラクの巨大湿地帯(アフワール)探検 |
田中彰、大西良治 | ヒマラヤ・アンナプルナ山群の大渓谷「セティ・ゴルジュ」探検 |
植村直己冒険賞 特別賞
編集長年の活動などを対象にした賞
脚注
編集- ^ “植村直己冒険賞とは”. 植村直己冒険館. 2019年2月12日閲覧。
- ^ a b “第13回植村直己冒険賞授賞式・記念講演会”. 但馬情報特急. 2017年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月12日閲覧。
- ^ “植村直己冒険賞:受賞者なし 選考の女性冒険家が辞退”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年2月9日). オリジナルの2015年2月9日時点におけるアーカイブ。 2019年2月12日閲覧。