森忠興
森 忠興(もり ただおき)は、播磨国赤穂藩6代藩主。赤穂藩森家12代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦2年1月3日(1752年2月17日) |
死没 | 天明4年1月30日(1784年2月20日) |
改名 | 豊之助(幼名)、忠興 |
戒名 | 宗徳院殿忠巌義興大居士 |
墓所 | 東京都港区東麻生の瑠璃光寺 |
官位 | 従五位下山城守、出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 播磨赤穂藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 | 森忠洪、井上正之娘 |
兄弟 | 忠興、忠賛、政子、森政宣室 |
妻 | 松平武元娘 |
子 | 加藤明陳継室、市橋長喬室、忠賛 |
略歴
編集宝暦2年(1752年)1月3日、第5代藩主・森忠洪の長男として生まれる。明和5年(1768年)2月15日に第10代将軍・徳川家治と拝謁し、12月18日に従五位下・山城守に叙位・任官する。明和6年(1769年)7月23日、父の隠居で家督を継ぐ。
藩政では父の政治路線を受け継ぎ、文学の発展に尽くした。しかし明和・安永期の飢饉などで塩田が大被害を受け、藩財政は悪化した。安永9年(1780年)8月6日、家督を弟で養子の忠賛に譲って隠居する。天明元年(1781年)に出雲守に遷任する。天明4年(1784年)1月30日(1月29日とも)に死去した。享年33。