桐山部屋
日本の相撲部屋
沿革
編集1984年5月場所限りで引退して、以降は伊勢ヶ濱部屋(旧・伊勢ヶ濱部屋)の部屋付き親方となっていた年寄・20代桐山(元小結・黒瀬川)が、1995年1月に分家独立して桐山部屋を創設した。伊勢ヶ濱部屋から分家独立した形となっているが、実質的には同じ伊勢ヶ濱一門(旧・伊勢ヶ濱一門)に所属する大鳴戸部屋の師匠である11代大鳴戸(元関脇・高鐵山)が、自身が連帯保証人となった借金が原因で1995年1月に廃業を表明し、同時に大鳴戸部屋を閉鎖してしまったため、急遽20代桐山が独立して、大鳴戸部屋に所属する力士・行司を全て引き取るという経緯での設立となった。
2000年2月には10代木瀬(元幕内・清ノ森)の定年退職直前に閉鎖された木瀬部屋(旧・木瀬部屋)から所属力士3人と床山1人を引き取った。2007年2月1日には閉鎖された旧・伊勢ヶ濱部屋から8代伊勢ヶ濱(元幕内・和晃)と所属力士ら計9人を引き取った。
2009年7月場所においてモンゴル出身の德瀬川が新十両へ昇進し、部屋史上初となる関取が誕生した。
力士数の減少により、20代は2011年1月場所を最後に部屋を閉鎖することを決定し、所属力士のうち1人は同場所限りで引退、同年1月27日に開催された日本相撲協会理事会において20代と部屋付き親方である16代浦風(元幕内・照櫻)および力士4人・若者頭1人・世話人1人・呼出2人・床山1人は同じ立浪一門の朝日山部屋へ、行司1人と床山1人は追手風部屋へ、呼出1人は友綱部屋へと移籍することが承認され[1]、正式に部屋は閉鎖された。
師匠
編集- 20代:桐山国由(きりやま くにゆき、小結・黒瀬川、東京)
最終所在地
編集力士
編集幕内
編集- 德瀬川正直(前4・モンゴル)
脚註
編集- ^ 桐山部屋の朝日山部屋転属を承認 スポーツニッポン 2011年1月28日