明塚駅
かつて島根県邑智郡美郷町にあった西日本旅客鉄道の駅
明塚駅(あかつかえき)は、島根県邑智郡美郷町明塚にあった[1]、西日本旅客鉄道(JR西日本)三江線の駅(廃駅)である[2][3]。
明塚駅 | |
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駅全景(2008年7月) | |
あかつか Akatsuka | |
◄石見簗瀬 (2.3 km) (3.1 km) 粕淵► | |
所在地 | 島根県邑智郡美郷町明塚84[1] |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■三江線 |
キロ程 | 45.0 km(江津起点) |
電報略号 | アツ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[2][3] |
乗車人員 -統計年度- |
1人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1967年(昭和42年)4月1日[4] |
廃止年月日 | 2018年(平成30年)4月1日[5] |
備考 |
歴史
編集年表
編集- 1967年(昭和42年)4月1日:三江北線(当時)の石見簗瀬駅 - 粕淵駅間に新設開業[4][6]。旅客営業のみの駅員無配置駅[7]。
- 1975年(昭和50年)8月31日:当駅を含む江津駅 - 三次駅間が全通したため三江北線が現行の三江線の一部となり、当駅も三江線に所属する駅となる[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道が継承[4]。
- 2004年(平成16年)10月1日:美郷町成立に伴い、所在地表示が島根県邑智郡美郷町明塚になる。
- 2018年(平成30年)4月1日:三江線の全線廃止に伴い、廃駅となる[5]。
地名の由来
編集東京都板橋区の「赤塚」と同語源で、「赤土の盛り上がった塚」、あるいは「荒れた塚」のあるところの意味と思われる[8][9]。
駅構造
編集浜原方面に向かって右側(構内西側)に、単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)であり、浜田鉄道部が管理する無人駅であった[2][3]。ホーム中程に待合所が置かれており[2][3]、その横の階段から直接ホームに出入りできた。なお、自動券売機などの各種設備は設置されなかった。
利用状況
編集近年の1日平均乗車人員は以下の通りである。なお、1994年度は5人、1984年度は13人だった。
乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
1999 | 4 |
2000 | 6 |
2001 | 5 |
2002 | 2 |
2003 | 2 |
2004 | 3 |
2005 | 3 |
2006 | 4 |
2007 | 3 |
2008 | 2 |
2009 | 0 |
2010 | 0 |
2011 | 0 |
2012 | 0 |
2013 | 1 |
2014 | 2 |
2015 | 2 |
2016 | 0 |
2017 | 1 |
駅周辺
編集田畑の中に所在し、近隣に数軒の民家がある。
その他
編集隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b “明塚駅”. JR西日本. 2017年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 『山陰駅旅』今井出版、2015年10月1日、251頁。ISBN 978-4-906794-90-4。
- ^ a b c d e f g h 『週刊 JR全駅・全車両基地』 59号 三次駅・備後落合駅・宇都井駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年10月6日、22頁。
- ^ a b c d 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 33号 木次線・堺線・芸備線・呉線・可部線・福塩線・三江線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年3月7日、25頁。
- ^ a b c “近年廃止された鉄軌道路線” (PDF). 国土交通省. 2019年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月2日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第137号」『官報』1967年3月20日。
- ^ 「通報 ●新駅の設置について(営業管理室)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1967年3月20日、2面。
- ^ 『コンパクト版日本地名事典』、吉田茂樹著、新人物往来社、1991年
- ^ 『コンパクト版日本地名百科事典』監修:浮田典良、中村和郎、高橋伸夫、小学館、1998年
- ^ “三江線神楽愛称駅名・大型愛称駅名板・神楽演目解説” (PDF). ぶらり三江線WEB. 三江線活性化協議会. 2016年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月14日閲覧。
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 2』 JTB、1998年。ISBN 4-533-02980-9。