救難飛行隊
救難飛行隊(きゅうなんひこうたい 、英語: Rescue Squadron)は、海上自衛隊の航空救難部隊の俗称。以前は正式な部隊名として存在したものの、度重なる部隊改変により、現在正式には他の飛行隊と同じような「ナンバー飛行隊」となっており、慣習的に以前の呼称が用いられているものである。
概要
編集海上自衛隊救難飛行隊は、航空自衛隊航空救難団救難隊と同様24時間待機状態にある。外洋での海難救助に重点を置き、「海難救助最後の砦」とも呼ばれる。航空自衛隊の航空救難団救難隊と異なり、固定翼捜索機U-125Aを配備していないが、共同での捜索・救難活動を行なっている。
各飛行隊にはUS-2救難飛行艇(第71航空隊)、UH-60J回転翼救難機(第21航空隊硫黄島航空分遣隊)が配備されている。
救難飛行艇では、機外に進出して遭難者や傷病者を救助する機上救助員と、これらの要救助者を機内に収容してからの救護を担当する機上救護員が搭乗している。機上救助員は潜水員[1]、機上救護員は衛生員(准看護師や救急救命士)である。一方、搭乗可能人数に余裕がないUH-60Jでは、機上救護員がHRS(Helicopter Rescue Swimmer)の資格を取得して兼務している[2]。
歴史
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部隊編成
編集第71航空隊
編集第31航空群隷下部隊。岩国航空基地所在。US-2を運用する。厚木航空基地にも1機を分派して救難待機(2時間待機)についてたが、現在は中止されている。
コールサイン:IVOLY/RESCUE RAINBOW(救難任務・災害派遣)[9]
第21航空隊硫黄島航空分遣隊
編集第21航空群隷下部隊。硫黄島航空基地所在。UH-60J回転翼救難機を運用する。
コールサイン:RESCUE LARK(救難任務・災害派遣時、末尾に機体番号下二桁を付する。「RESCUE」は省略する場合がある。)[9]。
航空救難区域
編集航空救難(捜索救助)では、1960年(昭和35年)12月24日付け「航空救難に関する訓令」(昭和35年防衛庁訓令第56号)により、航空自衛隊と海上自衛隊に日本の領域での航空救難区域(SRR:Search and Rescue Region)が航空自衛隊と海上自衛隊が担当区域を重複しないように区域がに割り当てられ、区域指揮官に航空自衛隊は各航空方面隊司令官が、海上自衛隊は各航空群司令が充てられ、航空救難に対して円滑な共同・協力体制が組まれていたが、2017年(平成29年)3月、26中期防に基づき海上自衛隊及び航空自衛隊が担う陸上配備の航空救難機能が航空自衛隊への一元化されたことにともない海上自衛隊が管轄する救難区域が廃止された。
2017年3月31日以後は、9区域となっていた救難区域が4区域に改定され[10][9]、区域指揮官は航空方面隊司令官が、専任部隊には硫黄島航空分遣隊及び航空自衛隊の救難隊があてられている。
救難飛行隊(第71航空隊、第21航空隊硫黄島・第22航空隊鹿屋航空分遣隊)は、主に外洋や離島などの急患輸送の出動が多い。
- 2017年(平成29年)3月までの海上自衛隊の区域指揮官と担当区域
脚注
編集- ^ 山口 2017.
- ^ 岡田 2015.
- ^ 第22航空隊指揮官便り
- ^ 館山航空基地HP トピック
- ^ 館山航空基地HP 編成
- ^ 海上自衛隊 第22航空群 [@JMSDF_22aw] (2022年3月4日). "令和4年2月14日に #大村航空基地 所在の第22航空隊が保有��るUH-60Jが除籍され、第224飛行隊が解隊されました。". X(旧Twitter)より2022年3月5日閲覧。
- ^ 海上自衛隊 第21航空群 [@JMSDF_21aw] (2022年4月1日). "【第213飛行隊廃止】". X(旧Twitter)より2022年4月2日閲覧。
- ^ 第22航空隊の概要
- ^ a b c 自衛隊の航空救難に関する達平成30年自衛隊統合達第14号
- ^ 杉山 2019.
参考文献
編集- 岡田, 真理「MILITARY REPORT 海上自衛隊 第73航空隊 救難・救助の命綱」『MAMOR』第9巻第9号、扶桑社、2015年9月、30-39頁、NAID 40020550361。
- 杉山, 潔「航空救難団活動記録 第80回 航空救難団60年概史(中編の3)」『航空ファン』第68巻第2号、2019年2月、94-95頁。
- 山口, 光宣「救難飛行艇US-1(A)について」『第7巻 固定翼』水交会〈海上自衛隊 苦心の足跡〉、2017年、235-241頁。国立国会図書館書誌ID:028057168。