懿仁王后
朝鮮第14代王・宣祖の正室
懿仁王后朴氏(いじんおうこう、ウイインワンフパク氏、1555年5月5日 - 1600年8月5日)は、第14代王宣祖の正室。
懿仁王后 | |
---|---|
朝鮮王妃 | |
在位 |
隆慶3年11月1日 - 万暦28年6月27日 (1569年12月8日 - 1600年8月5日) |
別称 | 章聖徽烈貞憲敬穆懿仁王后(諡号) |
出生 |
嘉靖34年4月15日 (1555年5月5日) |
死去 |
万暦28年6月27日 (1600年8月5日) |
埋葬 | 穆陵 |
配偶者 | 宣祖 |
父親 | 朴応順 |
母親 | 全州李氏 |
生涯
編集懿仁王后・朴氏は潘城府院君・朴応順と完山府夫人・李氏の間に1555年に生まれた。1569年に14歳で3歳年上の宣祖に嫁ぎ、王妃に冊封された。しかし夫の宣祖は後宮の恭嬪金氏や昭容金氏(後の仁嬪)ばかり寵愛したうえに病弱であったため、子供を授かることはできなかった。1600年8月5日、漢陽の慶運宮において46歳で息を引き取った。陵は京畿道九里市の東九陵にある穆陵で、夫の宣祖とともに埋葬されている。
家族
編集懿仁王后が登場する作品
編集関連項目
編集出典
編集
先代 仁順王后 |
朝鮮王妃 在位:1569年 - 1600年 |
次代 仁穆王后 |