慧灌
飛鳥時代に高句麗から来日した僧
慧灌(えかん、生没年不詳)は、飛鳥時代に高句麗王が日本の朝廷に貢上し、来日した僧[1]。日本の三論宗の祖。
慧灌 | |
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飛鳥時代 | |
生地 | 高句麗 |
宗派 | 三論宗 |
寺院 | 日厳寺、元興寺、井上寺 |
師 | 吉蔵 |
弟子 | 道慈 |
概要
編集初め隋に入って中国の嘉祥大師(吉蔵)から三論教学を学んだ[1]。『日本書紀』によると、625年(推古33年)正月高句麗王が日本の朝廷に貢上して来朝した(貢上=「貢物を差し上げる」)[1]。勅命により元興寺に住した。同じ年の夏は旱魃となり、その際、三論を講じて僧正に任じられたというが、一説によれば孝徳天皇のときに僧正に任じられたともいう。その後、河内国に井上寺(いかみじ)を建立し、三論宗を広めた。その後、福亮や智蔵に受け継がれ、智蔵は入唐し、三論教学を学び、法隆寺に住した。その後、道慈に受け継がれ、道慈は入唐し、三論教学を学び、大安寺に住した。