愛宕神社 (東京都港区)
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、東京都港区愛宕一丁目にある神社である[1]。山手線内では珍しい自然に形成された山である愛宕山(標高25.7m)山頂にあり、東京都区部の天然の山としては一番の高さ。京都の愛宕神社が総本社である。
愛宕神社 | |
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一の鳥居 | |
所在地 | 東京都港区愛宕一丁目5番3号 |
位置 | 北緯35度39分53.2秒 東経139度44分54.4秒 / 北緯35.664778度 東経139.748444度座標: 北緯35度39分53.2秒 東経139度44分54.4秒 / 北緯35.664778度 東経139.748444度 |
主祭神 | 火産霊命 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 慶長8年(1603年) |
例祭 | 9月22日 - 24日 |
地図 |
防火・防災に霊験のある神社として知られる。
祭神
編集- 主祭神
- 火産霊命(ほむすびのみこと)
- 配祀
2017年(平成29年)時点、天神社の名は境内掲示板の由緒には書かれているが、公式サイトには書かれていない。この天神社は江戸二十五天神で愛宕下長者弁天同所・愛宕下長者弁天町などと呼ばれるものと云われる。
歴史・勝軍地蔵菩薩
編集勝軍地蔵菩薩
編集1603年(慶長8年)、徳川家康の命により創建[1]。また、徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請し、愛宕神社を創建。同神社の本地仏として別当寺の円福寺に祀ったことに始まる。明治維新時の廃仏毀釈により円福寺が廃寺になると、勝軍地蔵菩薩像は近くの真福寺に移されたが、関東大震災で焼失。1934年の弘法大師1100年御遠忌記念として銅製で復元され、現在は、1997年に建設された真福寺・愛宕東洋ビル一階外側に祀られている。
「寛永三馬術」曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事
編集寛永11年、江戸幕府第三代征夷大将軍徳川家光が芝増上寺に参詣した帰り道、愛宕神社の下を通った。愛宕山には源平(紅白[3])の梅が満開に咲いており、それを見た家光が「馬に乗ってあの梅を取って参れ!」と命じた。しかし、愛宕山の石段はとても急勾配であり、馬で石段を上って梅を取ってくることなど、とてもできそうになかった。そのため、近習の家臣たちは誰一人動こうとしなかった。
そんな中、四国丸亀藩士の曲垣(曲木)平九郎が馬に乗って石段を上り降りし、見事、山上の梅を手折って家光に献上した。家光は、泰平の世にあって馬術の稽古を怠らない平九郎の姿勢を称賛し「日本一の馬術の名人」と讃えた。そして、平九郎の名は一日にして全国にとどろいたと伝えられている。
この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)は「出世の石段」と呼ばれている[4]。現在の男坂は86段あり約40度と急で知られ、脇には勾配が緩やかな女坂もある[3]。曲垣(曲木)平九郎は講談『寛永三馬術』で後世まで有名となったが、生没年など生涯は未詳で、同じ四国の高松藩士とする文献もある[3]。
境内末社
編集- 太郎坊社
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- 祭神:猿田彦神(天狗様)
- 弁財天社
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- 祭神:市杵島姫命
主な祭事
編集氏子地域
編集以下の氏子地域はいずれも港区内。
その他
編集アクセス
編集地下鉄 ・東京メトロ日比谷線「神谷町駅」より徒歩5分 ・東京メトロ日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」より徒歩5分 ・東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」より徒歩8分 ・都営地下鉄三田線「御成門駅」より徒歩8分 JR 「新橋駅」より徒歩20分
関連項目
編集出典
編集外部リンク
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