循州
概要
編集590年(開皇10年)、隋が南朝陳を滅ぼして嶺南を平定すると、梁化郡が廃止されて、循州が立てられた。循州は帰善・河源・博羅・興寧・海豊の5県を管轄した。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、循州は竜川郡と改称された[1]。
622年(武徳5年)、唐により竜川郡は循州と改められた。742年(天宝元年)、循州は海豊郡と改称された。758年(乾元元年)、海豊郡は循州の称にもどされた。循州は嶺南道に属し、帰善・河源・博羅・興寧・海豊・雷郷の6県を管轄した[2]。
宋のとき、循州は広南東路に属し、竜川・興寧・長楽の3県を管轄した[3]。
1276年(至元13年)、元により循州は循州路と改められた。1286年(至元23年)、循州路は再び循州にもどされた。循州は江西等処行中書省に属し、竜川・興寧・長楽の3県を管轄した[4]。