張 金称(ちょう きんしょう、? - 616年)は、中国の隋末の山東の民衆叛乱の指導者。
大業7年(611年)、民集を率いて決起し、その数は数万人に増大した。
大業9年(613年)、清河において、隋の将軍の馮孝慈を殺害した。
大業12年(616年)、平恩(現在の河北省邯鄲市邱県の西)・武安・巨鹿・清河の各県で連勝したが、隋の将軍の楊義臣が蘇定方を用いたことによって大敗し、楊善会によって捕虜とされて死亡した。張金称の部下は、竇建徳に帰属した。