寛保
日本の元号 (1741-1744)
寛保(かんぽう、かんぽ、旧字体:寛󠄁保)は、日本の元号の一つ。元文の後、延享の前。1741年から1744年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。
改元
編集「寛保」は正徳改元の時に当時の霊元上皇が強く推したものの、新井白石から「柳沢吉保を想像させる」として拒絶された経緯があったとされる[1]。しかし、今回は先例に基づいて2月中の改元を実現させるために勧進する候補を17に増やしたところ、却って選定に手間取って幕府に案が届いたのは2月になってからで、桜町天皇や摂関家が推す「寛保」に対して幕府も異論を挟まなかったために、予定の2月改元に間に合せることが出来た[2]。
出典
編集『国語』周語の「寛所以保本也、注曰、本位也、寛則得衆」から。
寛保年間の出来事
編集- 寛保2年
関東から近畿にかけて大水害(寛保の洪水・高潮)。特に千曲川流域や江戸などで深刻な被害(戌の満水・寛保二年江戸洪水参照)。
- 寛保3年から翌年1月まで
クリンケンベルグ彗星が観測される。
誕生
編集死去
編集- 元年 天英院(徳川家宣御台所 享年80)
西暦との対照表
編集※は小の月を示す。
寛保元年(辛酉) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月※ | 五月 | 六月※ | 七月 | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月 | 十二月※ | |
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グレゴリオ暦 | 1741/2/16 | 3/17 | 4/16 | 5/15 | 6/13 | 7/13 | 8/11 | 9/10 | 10/10 | 11/8 | 12/8 | 1742/1/7 | |
ユリウス暦 | 1741/2/5 | 3/6 | 4/5 | 5/4 | 6/2 | 7/2 | 7/31 | 8/30 | 9/29 | 10/28 | 11/27 | 12/27 | |
寛保二年(壬戌) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月 | 十一月 | 十二月 | |
グレゴリオ暦 | 1742/2/5 | 3/7 | 4/5 | 5/5 | 6/3 | 7/2 | 8/1 | 8/30 | 9/29 | 10/28 | 11/27 | 12/27 | |
ユリウス暦 | 1742/1/25 | 2/24 | 3/25 | 4/24 | 5/23 | 6/21 | 7/21 | 8/19 | 9/18 | 10/17 | 11/16 | 12/16 | |
寛保三年(癸亥) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月 | 閏四月※ | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月※ | 九月 | 十月 | 十一月 | 十二月 |
グレゴリオ暦 | 1743/1/26 | 2/24 | 3/26 | 4/24 | 5/24 | 6/22 | 7/21 | 8/20 | 9/18 | 10/17 | 11/16 | 12/16 | 1744/1/15 |
ユリウス暦 | 1743/1/15 | 2/13 | 3/15 | 4/13 | 5/13 | 6/11 | 7/10 | 8/9 | 9/7 | 10/6 | 11/5 | 12/5 | 1744/1/4 |
寛保四年(甲子) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月※ | 十月 | 十一月 | 十二月※ | |
グレゴリオ暦 | 1744/2/14 | 3/14 | 4/13 | 5/12 | 6/11 | 7/10 | 8/8 | 9/7 | 10/6 | 11/4 | 12/4 | 1745/1/3 | |
ユリウス暦 | 1744/2/3 | 3/3 | 4/2 | 5/1 | 5/31 | 6/29 | 7/28 | 8/27 | 9/25 | 10/24 | 11/23 | 12/23 |
脚注
編集- ^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P239
- ^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P247-249