安蔵弥輔
日本の実業家 (1889-1963)。東京電力の初代社長
安蔵 弥輔(あんぞう やすけ、1889年8月7日[3] - 1963年1月22日[4])は、東京電力の初代社長(1951年5月 - 1952年9月)。
他に東京電力会長、東京電力記念科学研究所理事長、日本電気協会会長を務めた[4][5]。
安蔵 弥輔 あんぞう やすけ | |
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生年月日 | 1889年8月7日 |
没年月日 | 1963年1月20日 |
出身校 | 旧制第二高等学校[1]、東京帝国大学[2] |
初代 東京電力社長 | |
在任期間 | 1951年5月 - 1952年9月 |
会長 | 新井章治 |
来歴
編集1889年、東京生まれ。旧制東京中学、旧制第二高等学校を経て1912年東京帝国大学電気工学科を卒業後、猪苗代水力電気に入社[3]。1923年猪苗代水力電気が東京電燈に合併されたことに伴い同社に移り、技師長や工務部長、取締役などを経て、1938年常務に就任[3]。
戦後日本発送電副総裁を経て、1951年東京電力の初代社長に就任。翌1952年新井章治会長が死去したことに伴い会長に昇格[6]。以後東電顧問、日本電力調査委員会委員長、日本電気協会会長などを歴任[7]。
1955年、電力事業功労者として藍綬褒章をうけた[4]。1963年1月、狭心症のため73歳で死去[4]。死去後正五位、勲三等瑞宝章を授与された[8]。
社長時代
編集当時東電の従業員は自宅の電気料金が半額だったが、就任後は廃止した[9]。
発言録
編集脚注
編集- ^ 中山善雄・江藤武人編『天は東北山高く-旧制高等学校物語(二高編)』(財界評論社、1966年)568ページ
- ^ 『昭和人名辞典II 第1巻[東京篇]』(日本図書センター、1989年)3ページ
- ^ a b c 『改訂13版大衆人事録 』帝国秘密探偵社編、1940年、アの部3頁。
- ^ a b c d “安蔵弥輔氏(東京電力記念科学研究所理事長、東電顧問)死去”. 読売新聞: p. 11. (1963年1月22日)
- ^ “電気協会長に安蔵氏 会社だより”. 朝日新聞: p. 2. (1952年7月15日)
- ^ 『読売新聞』「東電会長に安蔵氏」1952年9月21日朝刊2頁
- ^ 『朝日新聞』「電気協会長に安蔵氏」1952年7月15日朝刊2頁
- ^ “故安蔵氏に叙位、叙勲”. 朝日新聞: p. 15. (1963年1月24日)
- ^ “折も折・電力緊急制限に警告”. 読売新聞: p. 3. (1951年6月8日)
- ^ “将来の電源は火力による発電(下)”. 読売新聞: p. 4. (1935年3月12日)