宇多 頼重(うだ よりしげ)は、安土桃山時代の武将。
宇多頼忠の子として誕生した。石田三成の正室・皎月院の兄に当たると言われている(異説では弟とも)。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで父と共に佐和山城を守備していたが、9月15日に三成ら西軍が大敗・壊滅すると小早川秀秋らによって攻撃を受ける。抵抗したもののかなわず、9月17日に父や石田正継・正澄父子らと共に自害した。