奥田譲
奥田 譲(おくだ ゆずる、1883年(明治16年)9月28日[1][2] - 1979年(昭和54年)8月1日[1][2])は、大正から昭和時代の日本の水産化学者。
経歴・人物
編集東京府・奥田格の次男として三重県に生まれる[1][2][3]。1909年(明治42年)東京帝国大学農科大学農芸化学科を卒業し、大学院に進み、1912年(大正元年)同大助教授となり、1914年(大正3年)ジャルート環礁へ学術調査のため出張する[3]。1918年(大正7年)農学博士[3]。その後、生物化学研究のため欧米へ渡り、帰国後の1921年(大正10年)九州帝国大学助教授、翌年教授に進み、1945年(昭和20年)総長に就任した[1][2][3]。のち1950年(昭和25年)福岡女子大学長[1][2]。日本学士院会員[1][2]。
著作
編集- 単著
- 『水産化学』産業図書、1948年。
- 共著
- 『日本農学叢書. 第6』興文社、1931年。
- 『自然科学叢書. 第12編』日本評論社、1933年。
- 『水産食品製造化学』恒星社厚生閣、1950年。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。