大綱銀之助
大綱 銀之助(おおつな ぎんのすけ、1852年6月24日(嘉永5年5月7日) - 1911年)は、明治時代の大相撲力士。本名:沼波銀之助。
略歴
編集現在の岐阜県大垣市出身。京都相撲から高砂の門下となり1879年5月に序ノ口[1][2]。1885年の新聞記事では阿武松和介門弟となっている[3]。その後高砂部屋所属となった。
1884年5月には幕下に昇進したが幕下中位で10年一進一退だった。1891年5月最高位の幕下15枚目。1896年頃からは三段目が定位置となっている。
1893年頃からは3日ほど出場し残り2日を休場しており[4]、若者頭を兼務していたようである[1]。1905年頃からは常に三段目中位から下位に位置しており、若者頭を兼務しているためと思われる[5](同時期ののちに若者頭となった若梅も同様に三段目中位から下位に記されている)。1909年6月限り57歳で引退[6]。現役晩年は坊主頭だった。
1910年1月から若者頭が番付記載されるようになり、大綱も記されているが[5]、1911年6月限りで番付から消え場所後に死去した[1]。
土俵歴
編集- 1879年5月 - 序ノ口。
- 1884年5月 - 幕下。
- 1909年6月 - 引退。
- 1911年6月 - 場所限り死去[4]。
場所別成績
編集
春場所 | 夏場所 | ||
---|---|---|---|
1879年 | 西序ノ口13枚目 | ||
1882年 | 不明 | 西序二段 | |
1883年 | 不明 | 西三段目4枚目 | |
1884年 | 不明 | 不明 | |
1885年 | 西幕下 | ||