在大韓民国日本国大使館
在大韓民国日本国大使館(ざいだいかんみんこくにほんこくたいしかん、朝鮮語: 주 대한민국 일본 대사관、英語: Embassy of Japan in South Korea)は、大韓民国ソウル特別市鍾路区に在所する日本国大使館である。
在大韓民国日本国大使館 주 대한민국 일본 대사관 | |
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所在地 | 大韓民国 |
住所 | ソウル特別市鍾路区栗谷路6 |
大使 | 相星孝一 |
ウェブサイト | 在大韓民国日本国大使館 |
所在地
編集沿革
編集- 李氏朝鮮時代
- 1880年:漢城に日本公使館設置[1]
- 1882年:壬午事変で公使館が焼き討ちされる[2]
- 1882年:倭將臺下の李鐘承宅へ移転[3]
- 1884年:朴永孝宅を購入して新築[3]
- 1884年:甲申事変で焼失[3]
- 1885年:緑泉亭に移転[3]
- 1906年:漢城に統監府設置[1]
- 1910年:日韓併合条約により、公使館廃止。朝鮮総督府となる。
- 大韓民国時代
- 1965年6月22日:日韓基本条約調印
- 1965年6月30日:在ソウル在外事務所開設
- 1965年12月18日:大使館業務開始
- 1966年1月16日:釜山に領事館設置
- 1966年4月22日:領事館が総領事館に昇格
- 1974年9月6日:日本大使館乱入事件発生。侵入した男らに1階が完全に破壊され、国旗が引き裂かれる。一等書記官が負傷[4]。
- 1997年1月:在済州総領事館設置
- 2011年12月14日:日本国大使館正面に慰安婦像を設置[5]
- 2012年1月8日:中国人による靖国神社・日本大使館放火事件[6][7]
- 2012年7月9日:在韓日本大使館トラック突入事件
- 2015年7月21日:建物建て替えのため、日本国大使館および領事部は鍾路区栗谷路ツインツリータワーへ移転[8]
- 2019年2月 - ソウル市が日本側に対して大使館建て替えのための建築許可取り消しを通知[9]
歴代在韓日本大使
編集代 | 大使 | 任期 | 備考(前職、その他) |
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- | 水嶋光一 | 2024年(予定) | 在イスラエル大使 |
21 | 相星孝一 | 2021年 - | 在イスラエル大使 |
20 | 冨田浩司 | 2019年 - 2021年 | 金融・世界経済に関する首脳会合担当大使 |
19 | 長嶺安政 | 2016年 - 2019年 | 外務審議官、2017年1月から4月にかけて12週間ほど一時引揚 |
18 | 別所浩郎 | 2012年 - 2016年 | 外務審議官 |
17 | 武藤正敏 | 2010年 - 2012年 | 在クウェート大使 |
16 | 重家俊範 | 2007年 - 2010年 | 在南アフリカ共和国大使 |
15 | 大島正太郎 | 2005年 - 2007年 | 在ジュネーブ国際機関大使 |
14 | 高野紀元 | 2003年 - 2005年 | 外務審議官 |
13 | 寺田輝介 | 2000年 - 2003年 | |
12 | 小倉和夫 | 1997年 - 1999年 | 外務審議官 |
11 | 山下新太郞 | 1994年 - 1997年 | |
10 | 後藤利雄 | 1992年 - 1994年 | |
9 | 柳健一 | 1990年 - 1992年 | |
8 | 梁井新一 | 1987年 - 1990年 | |
7 | 御巫淸尚 | 1984年 - 1987年 | |
6 | 前田利一 | 1981年 - 1984年 | |
5 | 須之部量三 | 1977年 - 1981年 | 駐インドネシア大使 |
4 | 西山昭 | 1975年 - 1977年 | |
3 | 後宮虎郞 | 1972年 - 1975年 | |
2 | 金山政英 | 1968年 -1972年 | |
1 | 木村四郎七 | 1966年 -1968年 | |
前田利一 | 1965年 -1966年 | 臨時代理大使 |
歴代在李氏朝鮮公使
編集大使 | 任期 | 備考 |
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花房義質 | 1877年 - 1883年 | 1880年まで代理公使 |
大鳥圭介 | 1893年 - 1894年 | |
井上馨 | 1894年 - 1895年 | |
三浦梧楼 | 1895年 - |
大韓民国との紛争
編集2012年、在韓日本大使館の建て替えが計画された。日韓関係の深化に伴い業務が増え手狭となり、また建物の老朽化も進んだため、地下3階、地上6階建大使館への建て替え計画であった。文化財である景福宮(王宮)に近接していることから、敷地は文化財保護法の適用範囲内にあり、同法の高さ制限に抵触するとして、文化財庁文化財委員会が反対した。
これに対し日本政府は、大使館は高層ビルに囲まれており、景福宮との間には今回の建築計画よりも高い17階建のビルもある。景観への影響はないと反論したが、韓国側は長らく建設許可を認めなかった。
2013年、東京の韓国大使館の新築計画が浮上。在韓日本大使館の建築を認めず、東京の韓国大使館の新築に取りかかれば、日韓の新たな火種になりかねず、韓国外交部が再検討を促し、文化財庁は取り壊し後に発掘調査を行う条件で承諾した。そして、発掘調査で朝鮮時代と推定される遺物が発見されたものの歴史的な価値は認められず、工事は可能となったが、日本政府は工事に着手しなかった。日本政府と外務省は着工しない理由を明らかにしていないが、大使館前に設置されたいわゆる慰安婦像が影響していると言われている。
着工しないまま4年近くが経過し、日本大使館側が着工延長申請をしなかったことから、韓国ソウルの鐘路区は、2019年3月、在韓日本大使館に新築ビルの建築許可の取り消しを通知した。
2017年1月9日まで長嶺安政が特命全権大使を務めていたが、「慰安婦問題日韓合意に基いて直ちに撤去されるべき従軍慰安婦像を、韓国当局が日本側からの慰安婦像撤去の申し入れに応じない」という重大な合意違反に対する抗議として、長嶺大使はソウル市内の金浦国際空港で記者団に慰安婦像設置について「極めて遺憾だ」と述べた上で、赴任地の韓国から引き揚げた[10]。
その後、長嶺大使の再赴任と後任者の任命のいずれも行われず、駐韓日本大使の不在期間としては歴代最高記録を更新し続けていたが[11]、12週間ほど置いた4月4日、北朝鮮によるミサイル発射や朴槿恵前大統領の罷免などの情勢急変を受けた日本国政府の判断により、長嶺大使が帰任した[12]。
その他
編集脚注
編集- ^ a b 植民地期朝鮮における日本人移住者の文学 立命館大学
- ^ 大宰相・原敬 p343 福田和也 PHP研究所2013年 ISBN 4569816479
- ^ a b c d 『朝鮮國漢城日本公使館氣候経驗録』ならびに『朝鮮國漢城日本領事館氣候經驗錄』にみられる気象データの観測地点について p57 小林茂大阪観光大学・大阪大学名誉教授・山本健太國學院大學経済学部・関根良平東北大学環境科学研究科
- ^ 「ソウルのデモ隊乱入 大使館一階は完全破壊 7人を連行取り調べ 釜山でも前日に乱入騒ぎ」『朝日新聞』昭和49年(1974年)9月7日朝刊、13版、23面
- ^ 質問第127号 在韓国日本大使館前における「慰安婦像」に関する質問主意書 参議院 佐藤正久 2012年5月30日
- ^ 【中国BBS】靖国放火の犯人が中国帰国、中国人たちから称賛の声 Searchina 2013/01/05
- ^ 大使館に火炎瓶投げた中国人「野田首相の発言に怒り」 聯合ニュース 2012/01/08
- ^ 日本大使館移転のお知らせ 在大韓民国日本国大使館
- ^ “在韓日本大使館の建築許可取り消し、ソウル市当局”. AFPBB News. (2019年4月10日) 2022年11月19日閲覧。
- ^ 駐韓大使が一時帰国 釜山少女像「極めて遺憾」:朝日新聞デジタル - 2017年1月9日
- ^ 駐韓日本大使の不在期間 最長に=帰任ムードなし-Chosun online 朝鮮日報 - 2017年1月22日
- ^ 【社説】日本が韓国に差し伸べた手 - WSJ - 2017年4月4日
- ^ “森本康敬・釜山総領事が像撤去要求 駐韓大使は統一次官と協議”. 産経新聞 (2017年4月18日). 2020年4月4日閲覧。
- ^ “ソウルの日本大使館前で放火の男が死亡”. 日本経済新聞 (2019年7月20日). 2021年2月18日閲覧。
- ^ “日本総領事館に侵入、6人拘束 韓国・釜山”. 日本経済新聞 (2019年7月22日). 2020年4月4日閲覧。
- ^ “日本総領事館に不法侵入した韓国人が「実質無罪」 韓国司法の仰天大甘判決”. FNN (2020年4月2日). 2020年4月4日閲覧。
関連項目
編集- 町田貢 - 元公使
- 川島裕 - 元公使
- 韓国挺身隊問題対策協議会 - 慰安婦像 - 日本軍『慰安婦』問題解決全国行動
- 駐日本国大韓民国大使館
- 在大韓民国大使館の一覧
- 日本の在外公館の一覧
外部リンク
編集- 在大韓民国日本国大使館
- 在大韓民国日本国大使館 (@JapanEmb_KoreaJ) - X(旧Twitter)
- 在大韓民国日本国大使館 (@JapanEmb_KoreaK) - X(旧Twitter)
- 在釜山日本国総領事館
- 在済州日本国総領事館