在中華民国日本国大使館

台湾・台北における在中華民国日本国公館(1952年~1972年)

在中華民国日本国大使館(ざいちゅうかみんこくにほんこくたいしかん、: 日本國駐中華民國大使館英語: Embassy of Japan in the Republic of China)および在中華民国日本帝国大使館(ざいちゅうかみんこくにほんていこくたいしかん、旧字体在中華民國日本帝󠄁國大使󠄁館󠄁: 日本帝國駐中華民國大使館)は、かつて中華民国に置かれていた日本大使館である。中華民国は建国後に分裂や領土の大幅な縮小を経験しており、日本の大使館や公使館が置かれていた都市は時期によって異なる。また、1963年4月1日から1972年9月29日にかけて、大使館と併設される形で在台北日本国総領事館繁体字中国語: 日本國駐臺北總領事館英語: Consulate-General of Japan in Taipei)も置かれていた。

在中華民国日本国大使館
日本國駐中華民國大使館
所在地中華民国の旗 中華民国
住所台北市中山北路二段109号[1]:274
台北市中山北路三段25号[2]
台北市済南路二段34号[3][4]
開設1935年(南京)
1952年(台北)
閉鎖1945年(南京)
1972年(台北)
大使宇山厚
ウェブサイトなし
在台北日本国総領事館
日本國駐臺北總領事館
所在地中華民国の旗 中華民国
住所台北市中山北路三段二五号[2]
開設1963年
閉鎖1972年
ウェブサイトなし

歴史

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在中華民国日本帝国大使館の旧跡

元来日本は中華民国に対しては、前の清朝時代に引き続いて在中華民国日本帝国公使館旧字体: 在中華民國日本帝國公使館、繁体字中国語: 日本帝國駐中華民國公使館英語: Legation of Japan in the Republic of China)を設置していたが、日華関係改善の観点からこれを大使館に格上げする提案が度々出されていた。1935年広田弘毅外相のもとで帝国公使館が格上げされて在中華民国日本帝国大使館が発足した[5]。同時に広田はイギリスフランスアメリカドイツにも在華公使館の大使館格上げを勧め、各国から同意を得た。しかしこうした対中融和には軍部が強く反発し、華北分離工作を強化していく。広田もこれに引きずられる形で広田三原則を出すなど対中姿勢を硬化させ、汪兆銘行政院長���民政府内の親日派の失脚につながっていく[6]

1940年3月30日、親日派の汪兆銘が首都の南京で政権を樹立し、臨時首都重慶に拠って日本と対立する蔣介石政権と袂を分かった[7]。南京の帝国大使館は、1945年8月15日に日本が連合国に降伏して日中戦争が終結するまで存続した[8]

日中戦争が終結してから1年足らずの1946年7月、大陸では蔣介石率いる中華民国国民政府毛沢東率いる中国人民解放軍との間で国共内戦が勃発した。内戦を経て人民解放軍は1949年までに台湾およびその周辺島嶼を除くほぼ全土を占領して、同年10月1日、中華人民共和国が成立した[9]

1950年4月19日、連合国軍占領下の日本において、日本政府在外事務所設置法(昭和25年法律第105号)が公布・施行された[10]。1951年1月17日、台湾へ移転した中華民国行政院は院会決議を通じて、日本政府が1950年9月に提出した在台湾代表派遣要請を受け入れた。9月29日、日本政府在外事務所増置令(昭和26年9月29日政令第309号)が公布・施行された。10月1日、日台両側が日本政府在外事務所が設置されることを発表した。11月17日、在台北日本政府在外事務所は、台北市中山北路二段109号である住所に開設された。木村四郎七および中田豊千代がそれぞれ初代事務所長・副所長に就任した[1]:274-275

1952年に日本は台湾側と日華平和条約を結んで講和し[11]、国交樹立に伴い中華民国の臨時首都である台北在中華民国日本国大使館が設置された[12]1963年4月1日、大使館と併設される形で在台北日本国総領事館繁体字中国語: 日本國駐臺北總領事館英語: Consulate-General of Japan in Taipei)の新設が定められる[13]

1972年9月29日、日中国交正常化に伴い日華(日台)両国は国交を断絶し、お互いの国に設置していた大使館と総領事館も廃止された[14]。日華断交後は、台湾における日本の実務機関として交流協会(現・日本台湾交流協会)が置かれた[15]

脚注

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  1. ^ a b 臺灣省通志 卷3 政事志 外事篇, 台北市: 台湾省文献委員会, (1971-06-30) 
  2. ^ a b 『昭和46年版 わが外交の近況(第15号)』第3部 > II 付表 > 2. わが国の在外公館一覧表
  3. ^ “日本交流協會台北事務所 擇址前駐華使館處理事務” (中国語). 経済日報. (1973年2月16日). p. 06 
  4. ^ “代查亞東關係協會駐東京、大阪之地址及日本交流協會駐台北、高雄地址” (中国語). 経済日報. (1973年3月3日). p. 07 
  5. ^ 島崎貞彦「在中国日本公使館の大使館昇格問題」『国際政治』28、1965年[1]
  6. ^ 服部龍二『広田弘毅』中央公論新社、2008年、pp.86-106
  7. ^ 『写真週報』 にみる昭和の世相_年表解説
  8. ^ <コラム>ひっそりと現存する、南京日本国大使館を訪ねて
  9. ^ 国共内戦とは - コトバンク
  10. ^ 法律第百五号(昭二五・四・一九) 日本政府在外事務所設置法”. 衆議院 (1950年4月19日). 2019年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月22日閲覧。
  11. ^ 日華平和条約(日本国と中華民国との間の平和条約)
  12. ^ 法律第三百三十二号(昭二七・一二・二六) ◎在外公館の名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律 | 衆議院
  13. ^ 法律第七十三号(昭三八・四・一) ◎在外公館の名称及び位置を定める法律及び在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律 | 衆議院
  14. ^ 外務省: 日中国交正常化45周年・日中平和友好条約締結40周年を迎えて
  15. ^ 日本台湾交流協会概要 | 公益財団法人日本台湾交流協会

関連項目

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