千葉吟子
日本の体操選手
千葉 吟子(ちば ぎんこ、1938年2月25日 - )は、元体操選手。1962年プラハ世��選手権銅メダリスト、1964年東京オリンピック銅メダリスト。日本体育大学名誉教授。旧姓:虻川。
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選手情報 | ||||||||||||||||||
フルネーム | 千葉吟子 | |||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1938年2月25日 | |||||||||||||||||
生誕地 | 秋田県大館市 | |||||||||||||||||
種目 | 体操競技 | |||||||||||||||||
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経歴
編集生家は秋田県大館市の自転車専門店「(有)サイクルショップあぶとく」。6人姉弟の三女。秋田県立大館桂高等学校卒業。日本体育大学卒業。勝負度胸があり、団体では1番手を務めることが多かった[1]。引退後は数々の世界大会で国際審判員や審判長を務めた。
- 〈競技歴〉
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- 1960年(第17回 ローマオリンピック体操女子 団体4位 個人43位)
- 1961年(全米 体操競技選手権 団体優勝)
- 1961年(第16回 国民体育大会 秋田国体女子体操競技 団体優勝)
- 1962年(第16回 全日本体操競技選手権大会 女子個人総合優勝)
- 1962年(第15回 プラハ世界体操競技選手権 団体3位)
- 1962年(第1回 日ソ対抗親善体操競技大会 団体2位)
- 1963年(第17回 全日本体操競技選手権大会 女子個人総合優勝 二連覇)
- 1964年(第18回 東京オリンピック体操女子 団体銅メダル 個人24位)
- 〈役職〉
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- 1967年(東京 ユニバーシアード大会 チームリーダー)
- 1968年(第19回メキシコオリンピック 国際審判員)
- 1972年(第20回ミュンヘンオリンピック チームリーダー)
- 1974年(第7回テヘラン アジア大会 国際審判員)
- 1976年(第21回モントリオールオリンピック 代表役員)
- 1977年(ソフィア ユニバーシアード大会 国際審判員)
- 1979年(メキシコ ユニバーシアード大会 国際審判員)
- 1981年(ブカレスト ユニバーシアード大会 国際審判員)
- 1983年(アジア体操連盟AGU 女子技術委員長)
- 1985年(アジアユースソウル大会 審判長)
- 1985年(日本体操協会女子技術委員長)
- 1986年(第10回ソウルアジア大会 審判長)
- 現在は日本体育大学名誉教授。チアリーダー部顧問。
- 2020年東京オリンピックの聖火リレーでは、出身地・大館市のリレーでアンカーを務めた。使用したトーチは、「ふるさとの子供たちに見てほしい」という本人の意向で、大館市内の小学校を巡回し児童に披露されている[2]。
著書
編集- 図解コーチ 体操競技・女子(成美堂出版、1994年)ISBN 9784415004259
- 「こつこつ人生」千葉吟子教授退職記念誌(監物永三、日本体育大学体操競技研究室、2008年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 千葉吟子 - Olympedia
- 写真 東京五輪体操女子、千葉吟子のゆか(東京体育館)1964年10月21日【時事通信社】