前田利隆
日本の江戸時代中期の大名。越中富山藩2代藩主前田正甫五男で富山藩4代藩主。従四位下出雲守
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄3年11月11日(1690年12月11日) |
死没 | 延享元年12月20日(1745年1月22日) |
改名 | 又三郎(幼名)、利隆 |
別名 | 弾正(通称) |
戒名 | 太龍院殿恵天日洽大居士 |
墓所 | 富山県富山市長岡の長岡御廟 |
官位 | 従四位下、出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 越中富山藩主 |
氏族 | 加賀前田氏 |
父母 |
父:前田正甫、母:高日月氏 養父:前田利興 |
兄弟 | 主税、利興、帯子、采女、利由、蘭子、逸子、利隆、空眠、家子、満子、利郷、為子、利寛 |
妻 |
正室:なし 側室:久我(金子氏)、久衛(山田氏)、豊瀬(岡本氏)、音瀬(小毛利氏)、秀濃(須川氏)、照穂(堀氏)、多室(中川氏) |
子 | 利幸、隆子(前田利道正室)、利嘉、幸子(藤堂高雅正室)、利教、利与、芸子(前田長教室)、梶子、利完、栄子、紀忠、利躊、尉子、利桓 |
生涯
編集元禄3年(1690年)11月11日、第2代藩主・前田正甫の五男として富山で生まれる。宝永2年(1705年)11月27日に元服する。宝永3年(1706年)8月21日、兄で第3代藩主の利興から150人扶持の知行を与えられる。享保9年(1724年)6月に利興の養子となり、兄が7月18日に隠居したのにともない家督を継いだ。
利隆は、自らが寵愛する藩士だけを重用し、頻繁に加増を繰り返したりして財政難を招き、借金や倹約令、年貢取立ての強化、享保16年(1731年)の銀札発行なども効果はなかった。延享元年(1744年)12月20日に死去した。享年56。跡を長男の利幸が継いだ。
系譜
編集- 父:前田正甫
- 母:高日月氏
- 養父:前田利興
- 正室:無し
- 側室:久我 - 金子氏
- 側室:尾上 - 金子氏
- 側室:久衛 - 山田氏
- 側室:豊瀬 - 岡本氏
- 側室:音瀬 - 小毛利氏
- 男子:前田利嘉
- 側室:秀濃 - 須川氏
- 側室:照穂 - 堀氏
- 女子:前田栄子
- 側室:多室 - 中川氏
- 女子:前田尉子