乞伏暮末
乞伏 暮末(きつぶく ぼまつ)は、五胡十六国時代の西秦の第4代王。
乞伏暮末 | |
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西秦 | |
第4代王 | |
王朝 | 西秦 |
在位期間 | 428年 - 431年 |
都城 | 枹罕→定連→南安 |
姓・諱 | 乞伏暮末 |
生年 | 不詳 |
没年 | 431年 |
父 | 乞伏乾帰(次子) |
年号 | 永弘 : 428年 - 431年 |
建弘9年(428年)に熾磐の薨去により秦王の地位を継承、永弘と改元した。史書によれば、在位期間中はほしいままに死刑を行い民心が離反したと伝える。永弘3年(430年)、北涼勢力の強大化に圧迫された暮末は北魏への帰順を画策するが、夏に阻止されている。
永弘4年(431年)、夏による西秦都城南安の攻撃が行われると暮末は降伏、ここに西秦は滅亡した。暮末は間もなく夏の赫連定により殺害されている。