九段線
九段線(きゅうだんせん、簡: 九段线、英: Nine-dash Line)、または、U字線/牛舌線(ベトナム語:Đường 9 đoạn/Đường lưỡi bò/Đường chữ U / 塘𠃩段/塘𦧜𤙭/塘𡨸U)は、南シナ海にあるスプラトリー諸島(中国側呼称:南沙群島)やパラセル諸島(中国側呼称:西沙群島)の領有権及び両諸島周辺の領海、排他的経済水域(EEZ)、大陸棚といった海洋権益問題に関して、1953年から中華人民共和国がその全域にわたる権利を主張するために地図上に引いている破線である。
断続する9つの線の連なりにより示される。なお、2012年5月15日から、中華人民共和国の発行するパスポートの査証欄に九段線が印刷されている[1]。九段線とその囲まれた海域に対する中国の主張の歴史的権利について、2016年7月12日ではハーグの常設仲裁裁判所が「法的根拠が無く、国際法に違反する」と判断を下した(南シナ海判決)[2][3][4][5]。
九段線の位置
編集「九段線」が引かれる位置は、時計回りに以下の通り。
歴史
編集中華民国の「"十一段線"」
編集十一段線(繁: 十一段線、英: Eleven-dash Line)は第二次世界大戦の後、中華民国海軍が南シナ海海域の島嶼を使用し始め、水文学調査を行い[6]、1947年12月1日、中華民国の内政省地域局が作成し、国民政府が議決・公布した『南シナ海諸島新旧名称対照表』及び『南シナ海諸島位置図』には、11段のU字線が中華民国の領海として取り囲まれるように描かれていた事に由来する。
中華人民共和国成立(1949年)前の1947年に中華民国が同様の目的で、地図上に引いた11本の線(十一段線)から2線を除去し、1953年に新たに書き直されたものである[7]。
2015年までの中華民国(台湾)では、馬英九の「中華思想」が強い国民党政権が歴史的な立場を強調し、実効支配していない島嶼への領有権も、すなわち十一段線の主張を継続していたが[8][9]、2016年中華民国総統選挙によって政権交代し与党となった民主進歩党の蔡英文政権以降からは一転し、国際法をより重視する姿勢を示しており、主権の問題には極力触れず、航行の自由や紛争の平和的解決のための多国間メカニズムへ参加することを主張し始めた[10]。そのため、十一段線は「強調しない(が)、否定しない、放棄しない」との方針を取ってきた[9]。
中華人民共和国の「九段線」
編集1953年以降、中華人民共和国がベトナム戦争当時支援していた北ベトナム軍のトンキン湾内にある島でのレーダー建設などの活動を妨げないよう、自国の安全保障政策と整合させるべく前述の十一段線のうちからトンキン湾付近の点線2つを除去し、新たに九段線へと書き直された[11]。
2024年6月17日、フィリピンと中華人民共和国(中国)両国が声明を発表し、中国船とフィリピンの補給船が17日、スプラトリー(南沙)諸島にあるセカンド・トーマス礁付近で衝突したと発表[12]。米国務省によると、カート・キャンベル米国務副長官は17日、この衝突をめぐってフィリピンのラザロ外務次官と電話で協議した。フィリピンの補給船と中国海警局の艦船が衝突したことをめぐり、アメリカのホワイトハウスのカービー広報補佐官(国家安全保障担当)は17日の会見で、中国による「挑発的で無謀な行動」だと非難した。「初期の報告として、少なくともフィリピンの船員1人が負傷した」とも述べ、懸念を示した[13]。
翌日18日、フィリピン軍は南シナ海で補給任務中だった同国海軍のフィリピン兵7人が負傷しうち水兵1人が中国海警局から「意図的に高速で激突」され、指を切断したと報じた[14][15][16]。その他にも中国海警局に銃8丁を押収され、フィリピンのボート4隻を一時拿捕された。交渉の末に解放されたものの、中国側は船体に穴を開けた[14]。
現在に至るまで、中国は一方的に南シナ海での権益を主張しており、南シナ海での近隣諸国に対する危険行為、危険航行を繰り返している。それに対し、日本国政府を含む欧米、アジア各国は国際法を遵守するよう求める声明を度々出している[17][18][19]。
意義
編集九段線に対する法的解釈は大体以下の4つがある[20]。
権利争議
編集権利主張国
編集豊富な漁場や石油、天然ガス資源、重要な航路帯によって、ベトナム、フィリピン、インドネシア、ブルネイなどが中国及び台湾と対立し始め、南シナ海の領有権も主張している[23]。諸国は中国や台湾が一方的に設定した九段線及び十一段線を認めず[24]、国連海洋法条約に基づいて、それぞれ自国の領有権を主張している[25]。
中比仲裁裁判所判断
編集中国の九段線内側海域に対する歴史的権利の主張について、フィリピンは国連海洋法条約に基づきオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所に、その違法性を申し立てていた[26]。
2016年7月12日裁定が下り、仲裁裁判所は中国及び台湾の権利主張に「法的根拠がない」と判断した[2][3][5][27]。フィリピンの「人工島周辺には排他的経済水域はない」という主張が認められると同時に[5]、南沙諸島とスカボロー礁にある全てのリーフは、法的には排他的経済水域および大陸棚を生成しない「岩」と結論づけた[27]。十一段線を主張してきた中華民国(台湾)の蔡英文政権は「裁定は台湾の権利を傷つけるもの」と反発し、実効支配している太平島に軍艦を派遣しており[28][29]、判決文に「中国の台湾当局」という表現[30]があることについても中華民国立法院は抗議している。また、日本との紛糾を避けて7月に予定していた日台海洋協力対話を延期した[31]。フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領はかねてから「判決の結果は誇示しない」意向を示していたため[32]、「戦争という選択肢はない」[33]として中国と二国間協議を開始すべくフィデル・ラモス元大統領を特使として訪中させると発表し[34]、判決を不服とする中国側もこれを歓迎し[35]、ラモス元大統領も受諾を表明した[36]。ドゥテルテ大統領は就任後初の施政方針演説で南シナ海を「西フィリピン海」と呼ぶ一方、「中国海としても知られている」とするなど中国への配慮を打ち出した[37]。同年10月20日、ドゥテルテ大統領と習近平中国国家主席(総書記)は判決を棚上げして各方面の協力で合意した[38]。合意によりフィリピン漁民の操業が再開され[39]、フィリピン領となる人工島の建設を中国が開始した[40]。2021年5月5日、南シナ海の領有権を巡る中国の主張を否定した南シナ海判決についてドゥテルテ大統領は、「ただの紙切れにすぎない」「(判決は)役に立たない。ゴミ箱に捨てよう」と述べ、中国政府と同様の言い回しで判決を否定した[41]。
各国の反応
編集中華人民共和国のパスポートデザインによる九段線の主張に対して、周辺諸国や関係国は反発しており、下記のような対応をとっている[1]。
- 中華民国の大陸委員会は「争議を惹起し、現状を変えようという魂胆。両岸関係において、お互いの信頼を傷つける」と抗議声明を発表した。
- ベトナムとフィリピンでは、パスポートへの査証欄にスタンプ捺印を拒否し、新パスポートの撤収を強く主張している[要出典]。
- インドでは、中国との係争地域をインド領と示すデザインの査証スタンプを採用し、中国側の地図の上に押している[要出典]。
中国の「九段線」主張全体やその海域における中国の公船や漁船の活動に関しても、厳しい態度を示すことがある。
インドネシアは「九段線を認めない。中国には国連海洋法条約を遵守する義務がある」(ルトノ・マルスディ外務大臣)との立場を表明。九段線と向き合うナトゥナ諸島で軍備を増強し、その北方海域を2017年に「北ナトゥナ海」と改称している[42]。
アメリカ合衆国国務長官マイク・ポンペオは南シナ海判決4年目の翌日である2020年7月13日、中国の主張は「完全に違法」で「世界は中国が南シナ海を自国の海洋帝国として扱うのを認めない」と声明した[43]。「海洋の自由#「航行の自由」作戦」も参照。
脚注
編集- ^ a b 福島香織 (2012年12月5日). “中国の「俺様地図」にビザスタンプを押していいか”. 日経ビジネス (日経BP) 2017年8月5日閲覧。
- ^ a b “中国の南シナ海支配を否定 仲裁裁判所「歴史的権利なし」と判断”. 『読売新聞』 2016年7月13日閲覧。
- ^ a b “中国の主張「九段線」認めず 仲裁裁判所判決”. 『毎日新聞』 (毎日新聞社) 2016年7月13日閲覧。
- ^ “中国主張の南シナ海境界線「根拠無い」 仲裁裁判所判決”. 『朝日新聞』 (朝日新聞社) 2016年7月13日閲覧。
- ^ a b c “南シナ海 国際仲裁裁判 中国に厳しい内容に”. NHKニュースWEB (日本放送協会) 2016年7月13日閲覧。
- ^ 専門家:南中国海に公海は存在せず 人民日報 人民網日本語版 2011年11月23日
- ^ “「南沙諸島」の領有権を中国が主張する理由”. Foresight. 新潮社 (2015年6月4日). 2015年7月13日閲覧。
- ^ 竹内孝之. “南シナ海と尖閣諸島をめぐる馬英九政権の動き”. JETRO. 2015年9月15日閲覧。 “台湾に移転したのちの「中華民国」も、今日に至るまで「十一段線」の主張を堅持している。”
- ^ a b 靖人, 田中 (2016年7月29日). “【緊迫・南シナ海】ハーグ裁定「太平島=岩」に慌てる台湾 かねて主張の十一段線も危うく 日本に奇妙な八つ当たりも…”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年6月18日閲覧。
- ^ (日本語) インド太平洋における法の支配の課題と海洋安全保障『カントリー・プロファイル』. 日本: 日本国際問題研究所 (The Japan Institute of international Affairs). (2017年3月). pp. 143 2024年6月18日閲覧。.
- ^ 南シナ海の安全保障と戦略環境
- ^ “米、中国の「攻撃的な」行動非難 南シナ海でフィリピン船と衝突”. CNN.co.jp. 2024年6月18日閲覧。
- ^ “米、南シナ海衝突めぐり中国を非難「無責任」 フィリピン船員負傷も:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2024年6月18日). 2024年6月18日閲覧。
- ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2024年6月18日). “比軍兵士の指切断し銃押収 中国が南シナ海で先鋭化「さらに強力な措置も可能」”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年6月19日閲覧。
- ^ ロイター編集 (2024年6月18日). “フィリピン水兵、南シナ海で重傷 中国海警局が「意図的に激突」”. Reuters. 2024年6月18日閲覧。
- ^ 共同通信 (2024年6月18日). “比軍兵士の指切断し銃押収と報道 中国、南シナ海で先鋭化 | 共同通信”. 共同通信. 2024年6月18日閲覧。
- ^ “「法の支配は重大な危機」岸田首相、中国念頭にフィリピン議会で演説:朝日新聞デジタル”. www.asahi.com. 2024年6月18日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2024年3月6日). “米、南シナ海で「国際法無視」と中国批判 国防費の透明性向上も要求 フィリピン船への放水で”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年6月18日閲覧。
- ^ “船衝突、中国を一斉批判 米欧日「南シナ海、法順守を」”. 日本経済新聞 (2023年10月24日). 2024年6月18日閲覧。
- ^ 中国と周辺国家の海上国境問題
- ^ ベトナム語のHoàngは「黄」の語義を持つことに留意。
- ^ ベトナム語のTrườngは「長」の語義を持つことに留意。
- ^ 南シナ海問題をめぐるASEAN諸国の対立
- ^ アジアに回帰する米国
- ^ ベトナム過熱「中国提訴を」南シナ海領有権めぐり、フィリピンに同調 MSN Archived 2013年4月11日, at the Wayback Machine.
- ^ “フィリピン、領有権問題で中国に立ち向かう すご腕の米法律家雇い国際機関に提訴” (2013年10月17日). 2016年7月14日閲覧。
- ^ a b "all of the high-tide features in the Spratly Islands (including, for example, Itu Aba, Thitu, West York Island, Spratly Island, North-East Cay, South-West Cay) are legally “rocks” that do not generate an exclusive economic zone or continental shelf." “THE SOUTH CHINA SEA ARBITRATION(中比南シナ海仲裁)p.10”. 常設仲裁裁判所 (2016年7月12日). 2016年7月14日閲覧。
- ^ “【緊迫・南シナ海】蔡総統「裁定は台湾の権利傷つけた」 南シナ海に軍艦を派遣 ”. 『産経新聞』. (2016年7月13日) 2016年7月17日閲覧。
- ^ “台湾、南シナ海に軍艦派遣”. AFP. (2016年7月13日) 2016年7月17日閲覧。
- ^ “仲裁裁判決、「一切認めない」立法院が抗議声明/台湾”. 中央通訊社. (2016年7月16日) 2016年7月17日閲覧。
- ^ “台湾側が日台海洋協力対話を延期、島めぐり対話紛糾避けたか”. 『産経新聞』. (2016年7月26日) 2016年7月26日閲覧。
- ^ “ドゥテルテ氏「誇示しない」=比新政権、仲裁判決の対応協議”. 時事通信 (2016年6月30日). 2016年7月17日閲覧。
- ^ “【緊迫・南シナ海】フィリピン、特使任命も 中国と2国間協議に意欲”. 『産経新聞』 (2016年7月15日). 2016年7月17日閲覧。
- ^ “比大統領、ラモス氏に訪中依頼=南シナ海問題対話へ特使”. AFP (2016年7月14日). 2016年7月17日閲覧。
- ^ “対話へ比特使「歓迎」=判決前提とせず-中国”. AFP (2016年7月15日). 2016年7月17日閲覧。
- ^ “88歳のラモス元比大統領、南シナ海特使に”. 産経新聞 (2016年7月24日). 2016年7月26日閲覧。
- ^ “【緊迫・南シナ海】ドゥテルテ大統領が仲裁裁定を支持 中国への刺激避け、言及はわずか30秒”. 『産経新聞]』 (2016年7月26日). 2016年7月26日閲覧。
- ^ “仲裁判決棚上げ合意 南シナ海、対話再開 ”. 毎日新聞 (2016年10月20日). 2016年11月1日閲覧。
- ^ “比漁民に「適切な措置」=スカボロー礁で操業容認-中国 ”. 時事通信 (2016年10月31日). 2016年11月1日閲覧。
- ^ “中国が、南シナ海にフィリピン領の人工島を造成 ”. ParsToday (2016年10月27日). 2016年11月1日閲覧。
- ^ “南シナ海領有権巡る判決は「ただの紙切れ」…ドゥテルテ氏、中国との緊張緩和狙いか”. 読売新聞. (2021年5月6日). オリジナルの2021年5月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「軍艦、兵士、戦闘機を派遣 ナトゥナ諸島付近 インドネシア、中国船に対抗」『じゃかるた新聞』2020年1月8日(2020年7月15日閲覧)
- ^ 南シナ海巡る中国主張、米が公式に否定 「完全に違法」日本経済新聞ニュースサイト(2020年7月14日)2020年7月15日閲覧