ヴィガラス作戦

第二次世界大戦における連合国軍の作戦

ヴィガラス作戦[1] (ヴィガラスさくせん、Operation Vigorous) は[注釈 1]第二次世界大戦における地中海攻防戦英語版において、1942年(昭和17年)6月中旬に連合国軍が実施したマルタ英語版への増援輸送作戦英語版[7]地中海戦域において、ハイファポートサイドからマルタ島への補給船団(MW11船団)を送り届ける作戦のひとつ[8]枢軸国軍の邀撃により本船団は大損害を受けた[9][10]。本作戦と同時に実施されたハープーン作戦も成功したとはいえず[11]、一連の輸送作戦は連合国軍の敗北(枢軸国の勝利)で終わった[12]

背景

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ギリシャ攻防戦の末に1941年(昭和16年)5月末にクレタ島陥落すると[13][14]地中海におけるマルタ島の重要性はますます高まった[15]。このイギリス領マルタが、地中海戦線北アフリカ戦線の命運を握ることになった[16]マルタ戦役[17]1942年(昭和17年)にはいると枢軸国空軍(ドイツ空軍イタリア王立空軍)によるマルタへの空襲は激化し[18]、枢軸側による北アフリカへの補給をほとんど妨害できなくなった[19][20]。またマルタへの連合国軍補給船団も、空襲やUボートの襲撃英語版、さらにイタリア水上艦隊の妨害で上手くゆかず(第2次シルテ湾海戦など)[19]、マルタのイギリス軍や市民は物資や燃料不足に苦しんだ[21]

枢軸側は空挺作戦によるマルタ攻略を検討しており[22]ヘラクレス作戦英語版ドイツ語版と呼ばれていた[9][23]アドルフ・ヒトラー総統の躊躇によってヘラクレス作戦(イタリア側呼称“C3作戦”)の実施は7月中旬以降に延期されていたが[22]、もし発動されれば、マルタの陥落は免れない[24]。すでにマルタの補給状況は限界に達し、現地では降伏も視野にはいっていた[25]。連合国がマルタを救うには、大規模補給作戦を実施するしかなかった[26][27]

連合国軍は航空母艦を利用してマルタ戦闘機を空輸しており[28]、一連の輸送作戦はクラブラン (Club Run) と呼ばれていた。5月上旬のバウアリー作戦英語版では[29]イギリス海軍の空母イーグル (HMS Eagle) とアメリカ海軍の空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) がマルタに60機のスピットファイアを届けた[30]。スピットファイアはドイツ空軍メッサーシュミットや爆撃機を撃退し[30]、枢軸側に制空権を握らせなかった[31]。ただしマルタの海上基地としての機能は失われ、ケッセルリンク空軍元帥は5月10日にマルタ空襲作戦の終了を宣言している[32]。ドイツ空軍の主力部隊はロンメル将軍を支援するため、北アフリカ戦線に転戦した[33]

5月中旬、地中海艦隊の新司令長官としてサー・ヘンリー・ハーウッド英語版提督が着任した[3]。ハーウッド提督のもとで、6月に二つの輸送作戦が同時に実施された[4]。一つは本作戦(ヴィガラス)で、地中海艦隊に護衛された連合軍輸送船団(輸送船11以上、物資72,000トン)はアレキサンドリアからマルタへ向かう[2]ジブラルタルからマルタにむかう輸送作戦はハープーン (Operation Harpoon) と命名され、H部隊 (Force H) が担当した[34]。H部隊が実施するハープーン作戦には旧式ながら空母2隻(アーガス、イーグル)が参加するが[4]、地中海艦隊にもはや空母は存在しなかった[2]。地中海艦隊が実施するヴィガラス作戦は、基地航空隊と潜水艦の活用で乗り切ることにした[2]

経過

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沈没するネスター

ヴィガラス作戦のため、イギリスの地中海艦隊インド洋から増援を受けた。4隻のオーストラリア駆逐艦ノーマン英語版ネイピアネスターニザム英語版などの艦艇が船団護衛のためにケニヤキリンディニからハイファへ送られた。また本輸送船団が航行中にクレタ島リビアの枢軸軍飛行場に対してアルビミン作戦英語版が実施され、ある程度の戦果をあげた。

ヴィガラス作戦の船団とその護衛は6月12日にハイファとポートサイドから出航し、6月13日トブルク沖でフィリップ・ヴァイアン英語版少将が率いる軽巡洋艦7隻と駆逐艦17隻からなるA部隊と合流した。

護衛部隊は合計で軽巡洋艦8隻[注釈 2]、駆逐艦22隻とコルベットや掃海艇、そして旧式戦艦センチュリオン英語版であった[注釈 3]海軍休日時代に武装が撤去されて標的艦として運用されていたセンチュリオンは[36]、大戦突入と共に対空砲が搭載されて防空砲台の役目も果たせるようになった。前年12月にアレクサンドリア港攻撃で主力戦艦2隻(クイーン・エリザベスヴァリアント)が撃破されたため[37]、地中海艦隊には船団護衛に使える戦艦が無かった。そこで、閉塞船囮船として使用されていたセンチュリオンを、現役の戦艦のように見せかけて運用することにした[2][注釈 4]。センチュリオンは、キング・ジョージ5世級戦艦アンソン (HMS Anson, 79) に扮し、各種の陽動作戦に投入される[39]。本作戦においては、囮として航空攻撃をひきつけることを期待されていた[6][注釈 5]

ヴィガラス船団(軽巡8、駆逐艦や小型艦艇30隻以上、輸送船11隻)のアレクサンドリア出航直後から、枢軸国軍による攻撃が始まった[6]6月12日の空襲で商船1隻が損傷しトブルクへ向かった。さらに機関の故障でトブルクに向かった商船が空襲で沈められた。

6月14日までに空襲によって2隻が失われ、2隻が損傷していた。その日の夕方、イギリス側は新鋭戦艦2隻(リットリオヴィットリオ・ヴェネト)、重巡洋艦2隻(トレントゴリツィア)、軽巡洋艦2隻(ジュゼッペ・ガリバルディエマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ)および駆逐艦多数から成るイタリア王国海軍の水上艦隊がターラントから船団攻撃に出撃したことを知った[41]。これは英空軍メリーランド爆撃機 (Martin Maryland) の偵察によってもたらされた情報だった[41]

ヴィガラス作戦中、五度の反転が行われた。6月15日未明、イタリア艦隊を回避するため地中海艦隊(ハーウッド提督)の命令により第1回目の反転が行われ、船団部隊は東に向かった[41]。この間、リビアから出撃したドイツの魚雷艇Sボートによる攻撃が闇夜の中でおこなわれる[6][注釈 6]。軽巡洋艦ニューカッスル (HMS Newcastle,C76) がS-56の攻撃で損傷し、駆逐艦ヘイスティ (HMS Hasty,H24) がS-55に撃沈された[11]。7時ごろ、船団部隊は再び針路をマルタに向けた[41]。この時、イタリア艦隊はヴィガラス船団から北西200マイルの場所にあった[41]

15日朝、B-24リベレーターボーファイターなどが新鋭戦艦2隻を基幹とするイタリア艦隊を攻撃し[43]、伊戦艦リットリオ (Littorio) に損傷を与え、重巡洋艦トレント (Trento) を撃破する[44]。そこにイギリス軍の潜水艦複数隻がやってきた[45]。このうち英潜水艦アンブラ英語版がトレントを雷撃して撃沈した[46]。また、マルタのイギリス空軍機が帰投途中のイタリア艦隊を攻撃し、ウェリントンが雷撃によりリットリオを損傷させた。

イタリア艦隊の動向や偵察結果により、ヴィガラス船団部隊は進撃と反転を繰り返した[44]15日の9時40分と正午に3度目と4度目の反転が行われた。午後、クレタ島南方でドイツ空軍機の空襲を受け、軽巡洋艦バーミンガム (HMS Birmingham,C19) が損傷、駆逐艦エアデール (HMS Airedale) が大破して処分された[44]

15日18時頃には、船団部隊の船は6隻まで減少していた。この時、船団はクレタ島の南西沖を航行していた。ここで、駆逐艦ネスター (HMAS Nestor,G02) が航空攻撃による至近弾で航行不能となった[44]。ネスターは駆逐艦ジャヴェリン (HMS Javelin,F61) に曳航されたが、翌日になり処分された[47]

度重なる対空戦闘により、船団部隊は弾薬の減少が深刻になった[48]15日夕方、作戦中止が決定され、船団部隊はアレクサンドリアへ引き返した。その途中、6月16日に軽巡洋艦ハーマイオニー[48]がクレタ島南方でドイツ潜水艦U205の雷撃によって撃沈された[49]

結果

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ヴィガラス作戦では、商船は1隻もマルタに到達できなかった[50]。すなわち枢軸国の勝利であり、連合国の敗北であった[51]。そして、軽巡洋艦1隻(ハーマイオニー)[52]、駆逐艦3隻(ヘイスティ、ネスター、エアデール)[53]、商船2隻(Aagtekirk、ブータン)が失われた[51]。さらに、巡洋艦3隻(ニューカッスル、バーミンガム)、駆逐艦1隻、コルベット1隻が損傷した。 一方、枢軸国側(ドイツ軍、イタリア軍)も重巡洋艦1隻を失い、戦艦リットリオが損傷したが[48]、ヴィガラス船団を撃退し、ハープーン船団の到達商船も2隻(物資揚陸量15,000トン)にすぎなかった[49]

総合すると、ヴィガラス船団とハープーン船団合計17隻のうち、到着したのは2隻のみという結末である[50]。マルタの補給状態は相変わらず危機的状況だった[54]。イギリス首相ウィンストン・チャーチル卿は「海軍は決してマルタを見捨ててなならない」との決意を表明し、イギリス海軍はジブラルタルからマルタを目指すペデスタル作戦 (Operation Pedestal) を計画した[51]

北アフリカの西部砂漠戦線ではロンメル将軍のドイツアフリカ軍団ガザラの戦いで勝利し[33]、6月中旬にリビア東部の要港トブルクを占領した[31][55]。枢軸軍がエジプト国境に迫ったので、イギリス地中海艦隊はアレクサンドリア撤退の準備を開始する[56]。この過程で軽巡ダイドー (HMS Dido,37) などに護衛されて撤退中の潜水母艦メドウェイ (HMS Medway,1928) がドイツ潜水艦U-372に撃沈され、大量の予備魚雷や機材が失われる[56]。イギリス海軍の苦境はますますひどくなった[57]。だがロンメルの攻勢もエル・アラメインで停止し、敵味方双方が決戦に備えた[58]

作戦参加艦船

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  • 潜水艦:「ソーン」、「タク」、「スラッシャー」、「ポーパス」、「ウナ」、「P31」、「P34」、「P35��
  • MW11A船団:「Ajax」、「City of Edinburgh」、「City of Pretoria」、「City of Lincoln」、「Elizabeth Bakke」
  • MW11B船団:「Potaro」、「Bulkoil」
  • MW11C船団:「Aagetekirk(またはAagtekerk)」、「Bhutan」、「City of Calcutta」、「Rembrandt」

出典[59]

出典

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  1. ^ 二次資料によってはヴィゴラス作戦[2]ビゴラス作戦[3]バイガラス船団[4]ビガラス作戦と表記する[5]。“元気な”、“屈強な”“力強い”という意味がある[6]
  2. ^ 軽巡洋艦ニューカッスル (HMS Newcastle, C76) 、バーミンガム (HMS Birmingham, C19) 、クレオパトラ (HMS Cleopatra, 33) 、ダイドー英語版 (HMS_Dido,37) 、軽巡ハーマイオニー (HMS Hermione, 74) 、軽巡ユーライアラス (HMS Euryalus, 42) 、アリシューザ (HMS_Arethusa,26) 、コヴェントリー英語版 (HMS Coventry,D43) 。
  3. ^ 超弩級戦艦センチュリオン (HMS Centurion,1911)は、第一次世界大戦以前に建造された初代キング・ジョージ5世級戦艦の2番艦である[35]
  4. ^ ダミーの艦橋、主砲塔、マストを装備し、迷彩塗装を施した[38]
  5. ^ 実際に船団護衛中に枢軸軍機の急降下爆撃により至近弾を受け、対空砲火で1機を撃墜したという[40]
  6. ^ ドイツ側はSボート (Schnell boot) と呼称するが、イギリス側はEボートと呼んでいた。ヴィガラス船団を攻撃したのは、第3魚雷艇隊のSボート5隻であった[42]

脚注

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  1. ^ 福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、274ページ
  2. ^ a b c d e マルタ島攻防戦 1986, p. 72.
  3. ^ a b イギリス潜水艦隊(下) 2003, p. 28.
  4. ^ a b c スミス、Stuka 1974, pp. 163–164英軍、強気のマルタ島輸送計画
  5. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 144–146ビガラス船団、西へ
  6. ^ a b c d 三野、地中海の戦い 1993, p. 145.
  7. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 154第四期/1942年1月~6月の年表
  8. ^ マルタ島攻防戦 1986, pp. 70–79(3)一九四二年六月の輸送船団
  9. ^ a b Luftwaffe 1971, pp. 136–137ロンメル軍団支援
  10. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 165–166バイガラス船団、空前の大損害
  11. ^ a b 呪われた海 1973, p. 241.
  12. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 151.
  13. ^ Luftwaffe 1971, pp. 91–93クレタ島空挺作戦
  14. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 105–110ギリシャ情勢とクレタ島をめぐる戦い
  15. ^ 呪われた海 1973, p. 226(クレタ陥落後の地中海航路と勢力図)
  16. ^ Spitfire 1971, p. 135.
  17. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 117–120北アフリカの戦いとマルタ島の重要性
  18. ^ Spitfire 1971, pp. 140–141はげしい独伊空軍の攻撃
  19. ^ a b 呪われた海 1973, pp. 233–235.
  20. ^ Luftwaffe 1971, pp. 133–135英のマルタ補給を阻止
  21. ^ マルタ島攻防戦 1986, pp. 43–46.
  22. ^ a b 呪われた海 1973, pp. 236–239.
  23. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 244.
  24. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 142–144マルタ島に危機迫る
  25. ^ マルタ島攻防戦 1986, p. 61-63.
  26. ^ マルタ島攻防戦 1986, pp. 66–68.
  27. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 154–155地中海戦線三つの局面
  28. ^ Spitfire 1971, p. 137.
  29. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, p. 25.
  30. ^ a b Spitfire 1971, p. 142.
  31. ^ a b 呪われた海 1973, p. 239.
  32. ^ スミス、Stuka 1974, p. 160.
  33. ^ a b スミス、Stuka 1974, pp. 160–161北アフリカのロンメル新攻勢
  34. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 147–151ハープーン船団、東へ
  35. ^ 英国軍艦勇者列伝(2) 2020, p. 227.
  36. ^ 英国軍艦勇者列伝(2) 2020, pp. 228–232第1次世界大戦とその後の偽アンソン
  37. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 128–130思わぬ敵 ― イタリア人間魚雷
  38. ^ 英国軍艦勇者列伝(2) 2020, p. 229.
  39. ^ 英国軍艦勇者列伝(2) 2020, p. 231.
  40. ^ 英国軍艦勇者列伝(2) 2020, p. 232.
  41. ^ a b c d e マルタ島攻防戦 1986, p. 76.
  42. ^ PT-Boat 1972, pp. 111–113Sボート、マ島補給船団たたく
  43. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, p. 33.
  44. ^ a b c d マルタ島攻防戦 1986, p. 77.
  45. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, p. 31.
  46. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, p. 32.
  47. ^ 英国軍艦勇者列伝(2) 2020, p. 83.
  48. ^ a b c 三野、地中海の戦い 1993, p. 146.
  49. ^ a b マルタ島攻防戦 1986, p. 78.
  50. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 153.
  51. ^ a b c イギリス潜水艦隊(下) 2003, p. 34.
  52. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 157.
  53. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 158.
  54. ^ マルタ島攻防戦 1986, p. 79.
  55. ^ スミス、Stuka 1974, pp. 161–162宿願のトブルク陥落!
  56. ^ a b イギリス潜水艦隊(下) 2003, p. 35.
  57. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, p. 36.
  58. ^ 呪われた海 1973, p. 240.
  59. ^ Between Hostile Shores, pp. 225-228, In Passage Perilous, 5 OPERATION VIGOROUS, Table 5.1., Table 5.2.

参考文献

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  • ジョン・ウィンゲート 著、秋山信雄 訳『イギリス潜水艦隊の死闘(上)』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2003年7月。ISBN 4-15-050278-1 
  • ジョン・ウィンゲート 著、秋山信雄 訳『イギリス潜水艦隊の死闘(下)』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2003年7月。ISBN 4-15-050279-X 
  • 岡部, いさく 著「File no.18 国王陛下のスーパー・ドレッドノート キング・ジョージV世級戦艦 King George V class battleships」、小川 光二 編『英国軍艦勇者列伝2 Legend of British Fighting Ships 2』(初版)大日本絵画、東京都,千代田区、2020年10月。ISBN 978-4-499-23304-0 
  • ブライアン・クーパー 著、実松譲 訳、中野五郎 日本語版監修「5 ロンメル軍、米・英魚雷艇に泣く」『高速魚雷艇 PT Boat 神出鬼没、海のギャング』サンケイ新聞社出版局〈第二次世界大戦ブックス39〉、1972年7月。 
  • ピーター・シャンクランド、アンソニー・ハンター、杉野茂 訳「第2章 マルタ島の苦境」『マルタ島攻防戦』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1986年12月。ISBN 4-257-17078-6 
  • ピーター・スミス 著、野田昌宏 訳「9 北アフリカ戦線の攻防」『ユンカース急降下爆撃機 STUKA AT WAR ドイツ空軍の電撃兵器』サンケイ新聞社出版局〈第二次世界大戦ブックス59〉、1974年6月。 
  • ジョン・ベダー 著、山本親雄 訳『スピットファイア Spitfire 英国を救った戦闘機』サンケイ新聞社出版局〈第二次世界大戦ブックス16〉、1971年8月。 
  • カーユス・ベッカー 著、松谷健二 訳「第4部 地中海の戦い」『呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録』フジ出版社、1973年7月。 
  • アルフレッド・プライス 著、北畠卓 訳『ドイツ空軍 Luftwaffe ヨーロッパ上空、敵機なし』サンケイ新聞社出版局〈第二次世界大戦ブックス19〉、1971年11月。 
  • 三野正洋『地中海の戦い』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1993年6月。ISBN 4-257-17254-1 
  • Vincent P. O'Hara, In Passage Perilous: Malta and the Convoy Battles of June 1942, Indiana University Press, 2013 (電子版)
  • Between Hostile Shores: Mediterranean Convoy Battles 1941-1942, University of Plymouth Press, 2013, ISBN 978-1-84102-354-0
    • Battle summary No.18 Selected Convoys (Mediterranean) 1941、Battle summary No.32 Selected Convoys (Mediterranean) 1942を収録

関連項目

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