レブカ
レブカ(Levuka)は、フィジー東部地域の町。フィジー中央部のオバラウ島東南岸に位置し、東部地域の中心地である[1]。
レブカ Levuka | |
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太平洋に面したレブカのメインストリート(ビーチ・ストリート) | |
位置 | |
座標 : 南緯17度41分2.45秒 東経178度50分24.46秒 / 南緯17.6840139度 東経178.8401278度 | |
行政 | |
国 | フィジー |
地域 | 東部地域 |
州 | ロマイヴィティ州 |
町 | レブカ |
人口 | |
人口 | (2017年現在) |
町域 | 4,481人 |
その他 | |
等時帯 | フィジー時間 (UTC+12) |
夏時間 | フィジー夏時間 (UTC+13) |
概要
編集1874年から1882年までの間、イギリス植民地フィジーの首都であった。人口は4,481人(2017年国勢調査[2])で、これはオバラウ島の人口の46%を占める。
歴史
編集レブカは1820年ごろにヨーロッパの植民者によって建設され、フィジー諸島における最初の近代的都市として、重要な港をもち交易拠点となっていた。 港には宣教師や船大工などが集まり、1858年には伝道局が設置された。当時フィジーでは6つの王国が覇権を争っていたが、そのうちセル・エペニサ・ザコンバウ王が強力となり、1871年にはザコンバウはフィジーを統一。レブカで戴冠し、フィジー王となった。しかし、この政府はまもなく破綻し、1874年にザコンバウはフィジーをイギリスへと譲渡。レブカはそのまま英領フィジーの首都となった。だが、レブカは背後にまで山が迫り土地が狭小だったため、まもなく植民地政府は首都移転を計画し、1882年には首都はビティレブ島のスバに移転。レブカは寂れたものの、なお重要な町であり続けた。
経済
編集レブカは港町であり、さまざまな新文化が上陸してくる場所であったため、フィジー初のものが多くある。レブカではフィジー初の郵便局、銀行、新聞社、ホテルなどが建てられた。1869年にはフィジー初の新聞社フィジー・タイムズ紙がここで発行され、1879年にはフィジー初の公立学校が設立された。また1927年には、首都スバで開始される三日前に電力供給が始まった。
レブカはかつて太平洋交易の要所として栄えたが、1950年代にはその役割はほとんどなくなっていた。1964年、日本資本の水産加工場が建設され、冷凍マグロやツナ缶を製造してヨーロッパやカナダへ輸出するようになり、以後これがレブカの主産業となった。観光は、この町では産業上あまり重要な役割をはたしていない。
観光
編集世界遺産
編集2013年の第37回世界遺産委員会での審議を経て、ビーチ・ストリートとその周辺が「レブカの歴史的港町」として、UNESCOの世界遺産リストに登録された。フィジーでは最初の世界遺産である。
脚注
編集- ^ “Divisions of Fiji”. Statoids (2015年6月30日). 2023年10月9日閲覧。
- ^ “Fiji”. Citypopulation (2018年10月29日). 2023年10月9日閲覧。