レジー・パークスReggie Parks、本名:Reginald David Parko1934年8月27日 - 2021年10月7日)は、カナダアルバータ州エドモントン出身のプロレスラー

レジー・パークス
レジー・パークスの画像
1982年
プロフィール
リングネーム レジー・パークス
レグ・パークス
ジ・アベンジャー
本名 レジナルド・デビッド・パーコ
ニックネーム 鋼鉄男[1]
身長 188cm[2] - 190cm[1]
体重 102kg[2] - 107kg[1]
誕生日 (1934-08-27) 1934年8月27日[2]
死亡日 (2021-10-07) 2021年10月7日(87歳没)[3]
出身地 カナダの旗 カナダ
アルバータ州の旗 アルバータ州エドモントン[3]
トレーナー スチュ・ハート[3]
デビュー 1955年[3]
引退 1982年[3]
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ベビーフェイスのパワーファイターとして、アメリカ合衆国中西部を主戦場に活動した。チャンピオンベルトのデザイナーおよび製作者としても知られ[4]、"The King of Belts" の称号を持つ[5]

来歴

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デビュー後の1950年代後半はカルガリーおよびバンクーバー、そしてオレゴン州ポートランドなど、太平洋岸北西部を中心に活動[6]1960年よりアメリカ合衆国本土に本格的に進出、1961年8月8日にはカリフォルニア州サンフランシスコにおいてエンリケ・トーレスと組み、同地区認定のNWA世界タッグ王座を獲得[7]。以降、フリッツ・フォン・エリックフレッド・ブラッシーバーン・ガニアニック・ボックウィンクルなどの強豪と各地で対戦した[6]

1965年10月16日、ネブラスカ州オマハにてダニー・ホッジと組み、マッドドッグ・バション&ハル佐々木からネブラスカ・タッグ王座を奪取[8]。以降、同地を拠点とするAWAのミッドウエスト地区を主戦場とし、1966年3月にはティム・ウッズと組んで佐々木&ミツ荒川を破り、ネブラスカ・タッグ王座の後継タイトルであるAWA中西部タッグ王座を獲得[9]。その後も同王座を再���奪取した[9]

1970年7月、日本プロレスに初来日[10]アントニオ猪木大木金太郎坂口征二高千穂明久とのシングルマッチが組まれ、ブルート・バーナードムース・ショーラックのパートナーとなってジャイアント馬場&猪木のBI砲とも対戦した[11]。シリーズ終了後の韓国遠征にも参加しており、8月8日にソウルにおいて、大木の保持していたアジアヘビー級王座に挑戦している[12]

以降もAWAのミッドウエスト地区を主戦場に、スタン・プラスキーとのコンビでは1971年12月2日にオックス・ベーカー&グレート草津1972年1月8日にはラリー・ヘニング&ラーズ・アンダーソンを破り、AWA中西部タッグ王座を獲得[9]1974年5月にはAWAのブッキングで国際プロレスに来日[13]。草津、ラッシャー木村マイティ井上アニマル浜口らとシングルマッチで対戦した[14]

1976年1月より、ザ・ファンクスの主宰していたアマリロのテリトリーに参戦。5月12日にスコット・ケーシーと組んでボビー・ジャガーズ&ランディ・タイラーからNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を奪取[15]1977年2月12日にはジョニー・ウィーバーを下して、テキサス西部版のNWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得、翌月にサイクロン・ネグロに敗れるまで保持した[16]

1979年10月からはカンザス地区において、ジ・アベンジャーThe Avenger)なる覆面レスラーに変身。11月22日にトルコ人ギミックのザ・タークからNWAセントラル・ステーツ・ヘビー王座を奪取する[17]。翌1980年ジ・アサシンを相手に、同王座を巡る覆面レスラー同士の抗争を展開した[18]

キャリア末期となる1981年フロリダ地区の前座試合に出場[19]1982年7月18日には地元エドモントンでのスタンピード・レスリングの興行において、バッドニュース・アレンと対戦した[20]。この試合を最後に現役を引退、以降は居住地のアリゾナにおけるWWFハウス・ショーやTVショーに時折出場して、ザ・ムーンドッグスブッチ・リードジョバーを務めた[21]

引退後は現役時代から携わっていたチャンピオンベルトのデザインと製作を本業とし、WWEWCWから総合格闘技UFCまで、数々のベルトを手掛けた[4]2021年10月7日、アリゾナ州ツーソンの自宅において、新型コロナウイルス感染症により死去[5]。87歳没。

得意技

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獲得タイトル

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NWAサンフランシスコ
オールスター・レスリング
アメリカン・レスリング・アソシエーション
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー王座:1回[17]

追記

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脚注

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  1. ^ a b c d 来日全外国人レスラー名鑑 レジー・パークス”. 昭和プロレス研究室. 2022年2月15日閲覧。
  2. ^ a b c Reggie Parks”. Wrestlingdata.com. 2022年2月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Reggie Parks”. Cagematch.net. 2022年2月15日閲覧。
  4. ^ a b c Former wrestler and famed belt designer Reggie Parks passes away”. POST Wrestling (2021年10月8日). 2022年2月15日閲覧。
  5. ^ a b "The King Of Belts" Reggie Parks Passes Away, WWE And Bret Hart Pay Tribute”. Wrestling Inc. (2021年10月8日). 2022年2月15日閲覧。
  6. ^ a b Reggie Parks Career Record”. Slam Wrestling. 2022年2月15日閲覧。
  7. ^ a b NWA World Tag Team Title [San Francisco]”. Wrestling-titles.com. 2022年2月15日閲覧。
  8. ^ a b Nebraska Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2022年2月15日閲覧。
  9. ^ a b c d AWA Midwest Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2022年2月15日閲覧。
  10. ^ JWA 1970 Golden Series 2 & NWA World Champion Series”. Puroresu.com. 2022年2月15日閲覧。
  11. ^ The JWA matches fought by Reggie Parks in 1970”. Wrestlingdata.com. 2022年2月15日閲覧。
  12. ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史 (6) プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P155(1986年、ベースボール・マガジン社
  13. ^ IWE 1974 Dynamite Series”. Puroresu.com. 2022年2月15日閲覧。
  14. ^ The IWE matches fought by Reggie Parks in 1974”. Wrestlingdata.com. 2022年2月15日閲覧。
  15. ^ a b NWA Western States Tag Team Title”. Wrestling-titles.com. 2022年2月15日閲覧。
  16. ^ a b NWA International Heavyweight Title”. Wrestling-titles.com. 2022年2月15日閲覧。
  17. ^ a b NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月15日閲覧。
  18. ^ The CSW matches fought by Reggie Parks in 1980”. Wrestlingdata.com. 2022年2月15日閲覧。
  19. ^ The CWF matches fought by Reggie Parks in 1981”. Wrestlingdata.com. 2022年2月15日閲覧。
  20. ^ Stampede at Edmonton”. Cagematch.net. 2022年2月15日閲覧。
  21. ^ Reggie Parks: Matches”. Cagematch.net. 2022年2月15日閲覧。
  22. ^ Reggie Parks”. Online World of Wrestling. 2022年2月15日閲覧。
  23. ^ レジー・パークス”. ALAS, 廿軒家プロレス (2011年7月3日). 2022年2月13日閲覧。
  24. ^ Reggie Parks: Wrestler to belt maker extraordinaire”. Slam Wrestling (2001年7月9日). 2022年2月15日閲覧。

外部リンク

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